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逢沢議員 本村先生の御
質問にお答えをしたいと
思います。
あの党首討論の席に、私も、当時、野党自由民主党の一員として着席をいたしておりました。まさに間近に、野田総理、そして当時の野党
自民党党首、安倍晋三党首のやりとりを聞いておりました。もちろん、その中身もよく覚えておりますし、承知をいたしております。また、あの二人の討論によって衆議院が解散の運びになったということも、御案内のとおりでございます。
国民が見ている
国会の場で、総理大臣と野党第一党の党首の討論でございます。その語ったこと、また確認をされたことがしっかりと現実のものに移されるということは、これは政治の信頼性にかかわる非常に大事なことであることは論をまちません。
あの討論を受けて、
選挙制度あるいは院の構成にかかわることでございますから、これは、与党、野党、そして大きな会派から少数会派まで同じテーブルに着いて議論をし、コンセンサスを得よう、そういう大変な努力がなされたと承知をいたしております。我が党は
細田先生が党を代表して、また穀田先生は共産党を代表され、二十九回もの各党協議会に参加をされ、議論がなされました。
しかし、ある
意味で、率直に申し上げて、残念ながら一つの
結論を得るに至らなかった、コンセンサスを得るに至らなかった。その後の
経緯は御案内のとおりでございますが、主要な会派の代表者が当時の伊吹
議長のもとに来られまして、衆議院にいわゆる第三者機関、
議長のもとに機関を設けて、そこで議論をしてほしい、基本的に、出された
答申、アウトプットについてはそれを尊重する、そういう申し出のもとに議論がスタートし、そして
答申がなされ、今この場所につながっているわけでございます。
したがって、このプロセスをしっかりと検証しつつ、今、
法案の形で両案が出されたわけでございますので、しっかりと議論をし、一つの
結論を得るということが、ひいてはあの十一月十四日の党首討論において
国民に約束をした、随分、その評価についてはさまざまあろうかと
思います、時間もたったということも事実でございましょう、しかし、懸命の努力、ぎりぎりのコンセンサスを求める努力があったという事実、そして
議長のもとに懸命な
調査会がなされたという事実、それに基づいての
委員会になっているということは、
国民の
皆様にも
理解と一定の評価をいただけるもの、そのように承知をいたしております。