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堀内(照)
委員 結局、距離で線引きをして控訴しているということになるじゃありませんか。七十年も前の幼少期の記憶を頼りに、病気が放射線起因であるということを立証せよと迫ること自体、私はひどい話だと思うんですね。
多くの被爆者にとって、放射能の影響を証明することは、加齢による記憶の減退、証人も含めた証拠の散逸など、ますます困難になっているわけであります。そういう被爆者に訴訟を強い、立証責任を負わすことは、非人道的だと私は言わなければならないと思うんです。
地裁で勝訴しながら国から控訴された方は、十四歳のとき、爆心地付近で四日間瓦れきの撤去の作業に従事をし、帰宅後猛烈な下痢が二カ月余り続いた後、髪や眉毛が抜け落ちた。後に肝臓がんなども患いましたが、それでも認定
申請は却下だったと。却下の
理由は示されませんでしたが、恐らくということで、この方は、投下後約百時間以内の入市でなかったからだろう、官僚の勝手な線引きは許せない、こう語っていたわけであります。以来六年もの歳月を費やしてやっと地裁で勝訴したのに、国が控訴をしたことで認定を受けられませんでした。
今、
大臣、逆転もあるんだとおっしゃいましたけれども、この方も本当に不当な判決だと私は思うんですね。この方は、地裁で勝訴をかち取って喜んだ後、国が控訴した中で、落胆する中、間もなく入院し、帰らぬ人となりました。
私もこの問題でいろいろ相談を受ける中で、国は被爆者が死ぬのを待っているのか、そういう声があるわけです。私は国の責任は本当に重大だと思うんです。
八・六合意では、訴訟を終結させ、今後、訴訟の場で争う必要のないよう、定期協議の場を通じて解決を図ると。官房長官の談話では、「国の原爆症認定行政について厳しい司法判断が示されたことについて、国としてこれを厳粛に受け止め、この間、裁判が長期化し、被爆者の
高齢化、病気の深刻化などによる被爆者の
方々の筆舌に尽くしがたい苦しみや、集団訴訟に込められた原告の皆さんの心情に思いを致し、これを陳謝いたします。この視点を踏まえ、この度、集団訴訟の早期解決を図ることとしたものであります。」こう述べているんですね。
しかし、これはやはり全くやっていることが逆じゃないかと私は言わなければならないと思うんです。
高齢の被爆者を訴訟に追い込むことはあってはなりません。
十三歳のときに長崎で入市被爆をした神戸の方、裁判当時は八十一歳の女性なんですが、裁判で国側代理人から、入市した日付が被爆者手帳の
記載と違うということを
指摘される中で、出発する日付をカレンダーで
確認したのかとか、長崎の町へどの交通機関を使うつもりだったのかとか、爆心地の
状況をわかって向かったのかとか、罹災証明をとっていなかったのかと。子供だった私にわかるはずありません、こう答えるしかなかったというんですが、被爆直後の混乱した
状況を考えればおよそ発することができないような執拗な尋問に、この女性は、こんな性悪な
質問はない、もう帰りたい、ここまで口にしたというんです。
裁判となったら、国側代理人からの尋問が、被爆者の証言には虚偽はないのかと、戦後七十年以上、被爆によるさまざまな苦難を強いられてきた
高齢の被爆者を一層傷つけるものになっているわけです。
そうした被爆者の、今、放射線起因性と言われました、それを立証させる国のやり方、被爆者に立証させるやり方を司法は何度も断罪をしているわけです。今後、
高齢化で、一層立証は困難になります。だからこそ私は、政治の決断が必要なんだと思うんです。
今の認定行政では、基準を設けることで、どうしても切り捨てが生まれてしまう。司法と行政の乖離も解決しない。現行の認定行政では私は解決できないと思います。だから、被団協は、現行の認定行政をやめようと提言を発表しております。全ての被爆者に現行の健康管理手当相当の被爆者手当を
支給し、疾患について、段階的に手当の加算を行うことを提案している。段階的
支給により、現行の手当より減る人も生まれるかもしれませんけれども、今の認定行政のこのような切り捨ては変えようという思い切った提案なんです。
認定行政を見直す必要があると私は思うわけですが、
大臣、いかがでしょうか。