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伊達忠一君 自由
民主党の
伊達忠一でございます。
まず、
総理、国連
防災会議、御苦労さまでございました。会議の合間合間に各首脳とも会議をやられるということでございまして、心から敬意を表したいと思っております。
一方で、その時期に、五十年来の念願がかなったという北陸の新幹線の開通が一昨日行われました。これを見て私は本当にもう感動したんですが、北陸の人だけではなくて、東京だ大阪だ、もうすごい、北海道からも二人行かれて、切符を取れたので行って見てきたと、いろいろな観光地を見てきたという話を聞きました。
これだけすごいことなんだなということを感じまして、
是非、この効果も
経済的に私はすごいものがあると、こう思いますし、旅行の予約も五倍だと、こう言っておられますので、これが北海道、来年函館まで開通でございますが、札幌まで開通したらどんなにみんな喜ぶだろうと思うと、
経済効果も物すごい大きいなと、こう思うと、一日も早く
ひとつ北海道の新幹線を
太田大臣にもお願いしたいと、こう思う次第でございます。
いよいよ待ちに待ったこの
予算、今日から参議院で審議が始まったわけでございますが、これだけしかし参議院の
皆さん方が私は待っていたときは余りなかったんじゃないかなと、こう思っております。というのも、これはもう
与党だとか野党だとか問わず、
国民の
皆さん方も、一日も早くとにかく参議院で審議をして一日も早くこの
予算を上げてほしい、こういう願いだったろうと、こう思うんですが、これは何かというと、いわゆる私は景気回復だと、こう思っております。
御存じのように、
総理もよく言われるように、都市部は確かにもう景気が回復してございます。先般、私も名古屋に行ってきたんですが、一泊で行きました。晩にタクシーに三回乗って、朝二回乗ったんですが、必ず私が聞くことは、その
地域の
経済状況を聞くんですが、そのときに運転手さん、晩と朝で合わせて五人ですが、どうですか、名古屋と言ったら、五人とも景気はいいですね、良くなりましたね、こう言っておられました。僕は、すごいことだな、さすがやっぱりトヨタの町だなと、こう思ったんですが。しかし、
皆さん方思っているのは、蓮舫さんは東京の方ですからあれなんですけど、まあ
地方の方が多いでしょう。
ですから、これが、待っていたということは、
地方がやっと今景気が回復しつつあるんです。この間も新聞に出ておりました。北海道もやっと、飛行機の後輪だということをよく言われますが、もう良くなるのは一番遅い、だけど悪くなるのは一番早いんだということをよく言われますが、タクシーもかつては生活保護よりも悪いよと、こういってよく文句を言われましたが、最近は少し良くなったね、それからデパートの売上げも少し良くなってきました。求人数も、この間新聞に出ておりましたが、六十か月連続だと、こう言っております。これをやっぱり止めてはならない、これを早くやろうや、少しでも、一日でも早くやろうということが恐らくここにいる
皆さん方の私は願いだろうと、こう思っております。
そんなことから、
是非一日も早く、我々は良識の府と言われるわけですから、
是非上げていきたいと、こう思うんですが、しかし、今日も時間がちょっと押しております。できるだけ、通告はしておりますが、はしょってやっていきたいと、こう思いますので、よろしくお願いをしたいと思いますのと、場合によっては辛口になるかもしれません。これは、私は野党ではございませんので、
与党なのですが、だからこそという場面もあるかもしれませんが、よろしく
ひとつ御
理解をいただきたいと、こう思っております。
今年、戦後七十年という一つの節目であります。戦後の焼け野原から、そして荒廃した瓦れきの山、
日本は世界の最貧国であり、全ての
国民が自信を失ったという時期だったと、こう思います。しかし、戦後十年目、自由
民主党が誕生した一九五五年頃には、街頭のテレビの前では、いわゆる当時は力道山のプロレスを見て人だかりだったということをよく聞きますが、翌年の
経済白書はもはや戦後ではないというようなことを書いています。我が国のGDP、その当時は八兆円台しかありませんでしたが、その後、高度成長やバブル
経済を経て、戦後五十年を迎えた一九九五年には五百兆円となりました。今でも、中国には抜かれましたが、世界三位の
経済大国です。
もう一つ誇れることは、我が国がさきの大戦の反省を踏まえ、平和国家としての歩みを着実に進めてきたことです。このことは国際社会に大変高く
評価をされております。しかし、先日、アメリカのシャーマン国務次官の
発言が話題となりました。歴史問題が日中韓三か国の協力を妨げているというような
発言がございまして、かつての敵を中傷して
国民の歓心を買うというのは簡単だが、それは進歩ではなく停滞を招くんだということですと述べられました。これが韓国内でも
日本の肩を持つ
発言だと反発を招いたそうですが、この
発言は三か国全てに向けられたものと考えるべきでしょう。近隣国との関係はいまだ難しい問題はたくさんありますが、批判してばかりいては、
未来に向けて協力し合うことが私は目的をしっかりと果たすことだと、こう思っております。
そういうことから、
総理におかれましては、戦後七十年の我が国の歩みと近隣の関係を踏まえて、これからの関係をどう構築していこうとするのかお聞きをしたいと、こう思っております。