○真山
勇一君 比較的きめ細かにやっているという印象は私も受けております。ただ、
一つやっぱり気になっているのは、
裁判員に余りなりたくないという人が最近増えているということが
指摘されていますけれども、私は、
一つは、
裁判員をやってよかったという結果が九五・二%もある。これ、大変な数字ですよね。その一方で、自分が
裁判員に選ばれたら
裁判員裁判に参加しますかというと、余りやりたくないという、それもまた
意見が多いわけですね。
私が思うのは、この
裁判員の経験がよかったと答えている九五・二%のその中身のことがちょっと気になるのは、これ、
裁判員裁判が終わった直後に聞いているわけですね。私、人間の心理として、やはり大きなものをやり遂げた満足感とか充実感があって、いろいろ大変だったけれども、自分で多分
裁判員を受けるときに物すごいやっぱりいろいろ重圧感を感じながら受けて、いや、やりたくないな、やらない方がいいなと思いながらやってみたけれども、やっている過程で、だんだんだんだん自分のその
立場の重要性、仕事の、任務の、役割の重要性、そういうことにやはり気が付くというか、感じると思うんですね。ふだん、ほとんど日常の世界では経験しないような、そういう世界での話、そういう場に自分が置かれるわけです。
ですから、終わったときはやはりそういうことをやったという大変な、私なんかはきっと、まだ
裁判員に選ばれていないんですけど、選ばれる資格はないですけれども、なったら、やっぱりそういう気持ちになるなと。そうすると、終わった直後というのはやっぱり満足感で、みんな、やっぱりやってよかった、やらないということはなかった、やってよかったという気持ちになると思うんですね。そうすると、でも、それがしばらくたってみると、やはり大変だった、重圧だった、それから物理的にも、勤務のところに迷惑掛けた、家にも迷惑掛けたということになると、例えば知り合いとか友人とかの話の中で、
裁判員やったんだって、うん、やったよ、でもね、やっぱり大変だという話が出たとすると、いや、やっぱり
裁判員選ばれてもやるの大変だなという声にもなると思うんですよ。ちょっとくどい説明になりましたけれども、私は何かそんなことを実は感じているんですね。
ですから、やはりメンタル、病気までは行かなくても、
裁判員の心の
負担というのをどうやってうまく和らげる、取り除くかということは、この
裁判員制度を、なるべくたくさんの人が進んで参加してもらえるようになる
一つの大きなポイントではないかなというふうに感じております。ひとつよろしくお願いしたいと思うんですが。
それで、今回も一応三年後の見直しというのが求められておりますね。実は、今回の改正についても、
裁判員裁判制度に関する
検討会というのが設けられて、十一人の専門家とか有識者の方が四年十か月にわたって十八回もの会合を持って、その
検討内容もかなり多岐にわたった、法制上のいろいろ問題点、それから
運用に関する様々な点というのを
検討されたと思うんですね。改善点も挙げられて
指摘もされていると。そうしたことをこの
検討会のまとめの中に書かれているんですが、
法務省において適切な措置が講じられ、また法曹の協力で、法曹というのは
裁判所、検察、弁護士、この三者の協力で
運用のより改善をというふうに求めているわけですね。
私、今回の改正、この四点入っていますけれども、こうした膨大な問題点、いろいろ
検討した
検討会の提言とか
意見が余り今回は取り入れられていなかったんではないかなという、そんな気がしているんですけれども、その辺はそうなんでしょうか。それで、なぜなんでしょうか。