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丸山和也君 まさにおっしゃったように、非常にこれ危機的状況だと思っているんですね。なかなか目標を作っても、
日本の
社会というか、法曹も含めて、そう変わっていけない、いかないということですね。
私も
司法制度調査会の責任者としていろいろ考えているんですけれども、なかなか、かといって何千人を輩出して、合格者を出して、それでいいんだというふうに、
日本はやはり非常に調和型の
社会ですし、それから法曹資格者の就職ということも真剣に考えますものですから、就職できない人が何人いたっていいんじゃないかという議論になかなかならなくて、しかし、他方ではやっぱり質、量共に充実させていかないと、やっぱりこういう危機的状況というのは、アメリカ、欧米に対してだけでなく、先ほど言いました中国等を含めて、あるいは韓国等を含めて、国際的な
司法的闘争力に非常に弱いというか、欠けているという点を
是非強い危機意識を持って
解決していくという必要があると思うんですね。
それに関連しますけど、知財に関しても、例えば
日本の特許侵害訴訟というのは大体年間二百件と言われている。アメリカは年間約四千件、中国は年間約八千件。知財立国と言われて久しいんですが、たくさんの知的財産持っているんですけど、これの侵害とか紛争もたくさんあるんですけれども、なかなか訴訟までして白黒付けるということは
日本の
社会ではなかなかやらない。何となく、お互い、もごもごというか、手を握り合って適当なところで妥協をする、和解する。これは一面、何でもかんでも争いにしないといういい面もあるんですけれども、こういうスタイルというのがやはり、
大臣もおっしゃったように、国際
社会ではなかなか通用しない、特に知財では通用しない。だから、なかなかそのノウハウなり力量が蓄積されないんですね、国内においては、ローヤーあるいは弁理士の中においても。
したがって、こういう紛争が起こっても、
日本で訴訟をやっても、これが、そういうサポートする能力ある専門家が少ないということと、それから裁判所で認める賠償額というのは非常に低いと、恐らく十分の一から百分の一だと思うんですね、アメリカやあれと比べると。
日本で一億円賠償額が認められたとすると、簡単にはいきませんけれども、アメリカだったら百億円は認められると。すると、誰も
日本で起こさなくなってくる。外国の
企業もばかばかしいと。しかも、時間が掛かるということですね。
知財高裁もできたんですけど、
日本の特許侵害訴訟の場はあるんですけれども、国際的に見て、非常にこれがむしろ増えるどころか減ってきていると。かつての特許庁長官荒井さん、私もちょっと本を持ってきましたけれども、「知財立国が危ない」という本を出されていると。本当に、なかなか土俵はできたんだけど活用されていないと、変わっていかないというか、これも
一つの非常に知財を側面から見た
司法の危機だと思うんですね。
そして、私は、これはどういうところに
一つ大きな原因があるかと思うと、やっぱり
日本の良き伝統である調和型、あるいは集団型、組織
社会の中で、権利を主張して物事を堂々と
解決していくということがなかなかやりにくい
社会だと。あるいは、それは教育においても、やっぱり協調性が重んじられる、和が重んじられるということで、権利を主張して闘うということをややマイナスに評価する側面が強過ぎるんじゃないかと思うんですね。すると、小さな
世界ではいいんですけど、広く
世界に出ていくと太刀打ちできないという。
私も海外での経験が幾つかありますけれども、やっぱり戦闘力が落ちるんですね。
日本国家の、
日本人の、
日本企業の国際的な戦闘力というのはやっぱり弱いですよ。だから、闘う前から飲み込まれているというか、やられちゃうんですね。これは何度も悔しい思いをしましたけれども。
そういう
意味で、私は何も紛争を起こせと言っているんじゃないですけれども、強い
日本人、強い
企業、強い国家をつくっていくためには
司法の力を強化していく以外にないと言ったら言い過ぎかも分かりませんけれども、極めて大事だと。教育においても、こういう観点から
日本人を鍛え上げていくという、堂々と優しさを持ちながらも戦う戦闘能力の強い
日本人をつくっていかないと、
世界の中でやっぱり生き残れないというか、堂々と正しいことが主張できないように思うんですね。
ですから、
是非、文部
大臣においては、こういう観点から、大所高所から教育行政をつかさどっていただきたいということをお願いして、次の、
大臣の、今日
是非お聞きしたいと思っていたんですけれども、
道徳教育のことについてお聞きしたいと思うんですけれども。
日本でも
道徳教育の重視が叫ばれてきました。そして、私は、これは反対じゃないんですけれども、ひとつ今日はある角度から人間教育と
道徳教育の違いというか、あるいは違いがあるのかないのか、力点の置き方はどこにある。私は、人間教育というのは教育の根本だと思うんですけれども、しかし、
道徳教育というのも大事だと思うんですけれども、このさじ加減の違いというか、どこがどういうふうに人間教育と
道徳教育は違うんでしょうか、あるいは同じなんでしょうか。
大臣、ひとつお聞きしたいと思っています。