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大島九州男君 今のを聞いて分かったんですけど、
Sクラスであるというんじゃなくて、
Sクラスを求めていると。求めているけれ
ども、司法の
判断としては、
規制委員会はそれで求めて、それでオーケーであればそれは認めましょうと。ところが、司法の側は、求めているけれ
ども、じゃ、高浜はその
Sクラスに合致していないんだろうなというふうに
判断したということでしょうね、客観的に。私はそういうふうに受け取ります。でなければ、今言うように、向こうも
専門家ではないわけですから、今おっしゃった、求めていることにここが一〇〇%応えられるかどうかに疑念があると、疑わしきは罰せずじゃないけれ
ども、やはりそういう部分の
判断を司法がしたんじゃないかと。
これ、私、何かとかぶるなと思って、実はふと思い出したら、これは水俣病とかぶるんですよ。これは、正直、私も水俣特措法の法律にずっと携わってきまして、先日も新潟水俣に行かせていただきまして、ちょっともう皆様も御存じでしょうからあれですが、特記するところだけ御説明しますと、新潟の水俣病というのは、元々、熊本のチッソのあの水俣病が発病して、そしてあの昭和電工、まさにカーバイド、石灰窒素の製造が開始をされ、昭和電工、まさに昭和の、もう戦前、十一年頃からそういうことをやっていたらしいんですね。
あそこも、結局チッソもそうですが、先ほどの答弁にもありましたけど、原発に依存する町、交付金だとかそういうふうに依存するというような形で、この昭和電工も昭和電工城下町としての鹿瀬町という歴史がそこに始まり、鹿瀬工場の最盛期は一九四八年、昭和二十三年頃で、正社員が二千名、下請五百名にも上る、その鹿瀬町は、その頃、東蒲原随一の工業都市で人口も一万人を超えて隆々発展し、その繁栄は、売店、病院、幼稚園、映画館等を直営していたことにも表れるという、まさに昭和電工の城下町だったんですね。
実際、そういう水俣病がチッソの
関係で出てきた後にもかかわらず、この鹿瀬町というのは、一九六五年、県が実施した第一回集団検診で高濃度の水銀保有者が発見されたために、翌六六年の第二回検診は、昭和電工を犯人と断定するための
資料集めには協力できないとの理由で拒否、中止をさせたと。この年九月、鹿瀬町議会は、水俣病の原因は昭和電工ではないとする阿賀野川下流流域の有機水銀問題に関する
意見書を採択して、当時の県知事や県議
会議長や厚生及び通産両
大臣、科学技術庁長官、衆参両院議長に提出をしたと。当時の北野県衛生部長は、鹿瀬、津川の周辺は水俣問題では治外法権のようなものでどうしようもないと語っていたと。
まさに城下町で、みんなここの人たちは、人口の既にもう七割とかそういう人たちが昭和電工の仕事に関わるような仕事をしていたという、そういう地域であるからこそそういう話が全然できない、あっ、八〇%でした、鹿瀬町の人口が約五千六百人の中の八〇%の人が何らかの形で昭和電工と関与をしていたと。まさにそういうことが言えないような
状況の中で犠牲になっているんですよ。
今日は、私、皆さんに
資料を、ちょっとお渡しをしている一枚紙があるんですけど、これ、チッソ水俣工場と昭和電工の鹿瀬工場の年次別のアセトアルデヒドの生産量の推移というのがあるんですよ。
熊本の水俣病が、バッテンで示されているところですけど、一九五六年の五月なんですね。新潟水俣病が一九六五年のまさに六月にそういう公表をされたと。ちょうどこのグラフ見ていただきますと、熊本水俣病が公表されてから一気に増産しているんですよ。これ何で一気に増産したかというと、これは電力で加工するそういう設備を石油でやるということで、そっちの方に転換をしていく最中なんですね。それで、この新潟水俣病がちょうど出てきたその六五年、公表されるまでに、徹底的に増産して企業としてその設備の償却をして、そして、これアセトアルデヒドの生産やめたんじゃなくて、石油化学の方にそれを持っていって山口の方に移転していったというんですよ。もう徹底的にこれは経済至上主義とその企業の論理なんですよ。
私は、東電がどうとかこうとかじゃないんですよ。だから、ここに、その住民だとかそういう人のことを考えたら、あのチッソの水俣病が出たときに、ちょうど政府挙げて、国会でも水俣病発生の危機が
指摘をされているんですよ。
それで、そういう
指摘をされたからどうなったかというと、水俣病国会
調査団も結成されて、五九年十月三十一日から十一月四日の五日間にわたり
現地調査が行われましたと。これを受けて、通産省や
関係各省も関与して作成された水俣病に関する対策案では、通産省が、同種工場について除外
施設、排水、
環境等の
調査を早急に実施することや、経済企画庁が水質保全法を早急に適用することが決まりましたと。このときにそのことをちゃんと真面目にやっていれば、新潟水俣病というのは正直もっともっと被害が小さくて、まあ全て起こらなかったことはないでしょうけれ
ども、被害は小さかったと思う。
ところが、この同種工場排水
データを今まで公表していないんですよね。一九六〇年二月に通産省、厚生省、水産庁、経済企画庁によって水俣病総合
調査研究連絡協議会が設置され、全国の同種工場の排水の水質
調査を通産省が担当することになりましたと。通産省は、依頼先の工業技術院東京工業試験所から同種工場排水分析結果の
データを受け取り、これを六一年三月に開催された協議会に提出した形跡がありますが、協議会でその結果をどのように
検討したかは不明ですと。この
データでは、同種工場六社の排水中にチッソ水俣工場の排水よりも高い値の総水銀量が検出されていますが、国は
データを公表せずに、協議会の議事録も作成せず、六一年三月の開催を最後に協議会
自体そのものを消滅させて
データを隠蔽したと。
まさに行政が、なかったことのように、そしてまたその鹿瀬町という町、そしてそこでは、いやいや、その昭和電工の問題じゃなくて、新潟地震で農薬が漏れて、その農薬がそういう原因になっているんだとかいうことを平気で言ってきたわけですよ。
だから、それが全てとは言いませんよ。皆さん、安全だ安全だとおっしゃっていますね。本当にそれが、じゃ、安全なのかと。行政として、こういう水俣で学んだことを、これは
環境省だとかほかの、経産省とかで皆さん国策として進めようとしている。これも国策ですよ。このアセトアルデヒドをどんどん作っていくのも国策でした。今回の原子力再稼働を進めていってベースロード電源にしていくというのも国策ですよ。まさにそこに、誰が、じゃ責任を持ってやっていくのか。国が責任持たなきゃいけないんですよ。
ここの水俣の
関係は、この新潟水俣病は国の責任はもっと私は重いと思うのに、まだ裁判では国の責任は認められていないんですよ。その
うち、間違いなく私は国が責任を認めざるを得ない
状況になると思います。それは何か。それが真実だからですよ。
今回の原発の
事故も、津波で電気が落ちたからああなったというふうにおっしゃっていますけれ
ども、私は本当にそうなのかなと。さっきもやりました、古い原発ですから地震でパイプが外れた
可能性だってあるんですよ。あれ、津波で後からかぶっちゃったから、その津波のせいに僕はしていると言われても否定のしようがないはずなんですよ。この原因はこういうことが全ての原因で、そして今回の福島第一原発
事故が起こっているんですよというきっちりとした検証があって、そして、こういう対策を打っているからだから安心ですよと言われれば、多くの国民もある程度は理解するかもしれない。ところが、まさに真実というそれを隠しているように国民は受け取っているんだと思うんですよ。
だから、本当に全てが明らかになって、国が謝罪するべきことは謝罪をし、そしてそのことの反省の上に二度とこういうことがないように私たちはやるんですよと言えば心に響くんだけれ
ども、そこは隠されていて、だから心に響かないと。だから司法がああいう
決定を出すんだと思いますよ。私はそういうふうにしか受け取れない。これは私個人ですけどね。
だけど、皆さんにも、そういう行政マンは行政マンとして、
委員長は
委員長、自分が、あの福島第一原発の
事故を受けて多くの人が苦しんでいる、二度とそのことを繰り返させないということが使命だとおっしゃった。まさにそのことに立ったときに、本当に今政府が進めようとしているその計画が、国家国民のためになるのかどうなのか、そして、それが将来の我々の子孫のためになるのかどうなのかと、そういうことをしっかり受け止めて、そして腹を割って進めていかない限りは、私は司法も理解してもらえない、当然国民も理解をしてもらえない。ただ、今、経済至上主義で、そして経営だとかそういうことだけを考える人たちは当然原発の方がいいですねと言うけれ
ども、これはおかしいですよ。これだけの
事故が起こった、そのいろんなコストはまるっきりそこには反映されていない。
当然、必ずとは言いませんけれ
ども、私は今の形であればきっと同じような
事故が起こる
可能性は非常に高いと思いますよ。それはなぜか。そこに本当の反省と、本当に国民のためにとか将来の国家のためというのは、国家は国民ですからね、経済じゃありませんからね、本当にその国家のためにというのなら、国民一人一人のために自分たちが信念を持ってこの政策が間違いないんだというその心で気合を入れてやるんだったら私はまだ道が付くかもしれないけれ
ども、心の中で、何かこれはちょっとおかしいけど、まあ国策だからなと。これは国策ではありません。今の政権が自分たちの利害とその企業の一部利益のために進める政策であったとするなら、必ず同じような
事故が起こる、私はそのように受け取ります。
だから、本当に国家国民のために、それが国策だというふうに思って、今後は
委員長に、私はそういう思いでいろいろ進めていただきたいというふうに思いますので、最後、
委員長があの水俣のお話とか聞かれてどのようにお受け取りになって、今後その
規制委員会を
委員長として仕切っていくときの心構えがもしあれば、一言御挨拶いただければと思います。