○上月良祐君 自由民主党の茨城県選出の上月良祐でございます。
竹下大臣に
質問させていただく機会をいただきましたことを、本当に心より感謝を申し上げたいと存じます。
今日も朝からずっと
大臣の御
答弁ぶりを聞かせていただいておりました。正直、本当に大変信頼できる
大臣なんだなということを改めて、御
答弁ぶりをずっと見ながら、私なんかが言うのは本当に僣越ではございますが、感じた次第でございます。
実は私は、震災当時の茨城県で副知事を務めておりました。そして、発災当時から、
原発の被害があり、もう本当に目まぐるしく事態が動く中で、本当に懸命に
対応させていただきました。国との交渉も、窓口でございましたから、もう何度国に来たか分からないぐらい国に来させていただいて、
一つ一つ復旧
復興に取り組んだつもりでございます。そして、今こういう立場になっております。私は、最後の最後まで茨城県、もちろん全国のことなんですけれども、私は茨城県選出として茨城県のことについてもう徹底してきちんと最後まで取り組んでいきたいという
思いを持ってございます。
実は私は、昔、鹿児島県に赴任していたことがあります。六年間おりました。大変災害の多い県なんです、台風常襲地帯でもありますし。当時、特に当時としては本当に最大級だった被害が出た、一夏で百人以上が亡くなった平成五年の八・六水害というのがありました。その年は本当に雨の多い年で、広島、去年似たような
状況ありましたけれども、そういう災害にまさに直面もいたしました。
また、実家は神戸でございます。当時、鹿児島におりましたときに神戸で阪神
大震災がありまして、発災直後から実家からいろんな
お話を聞かせてもらっております。今ももちろん聞いております。目に見える
復興ほどに進んでいないというようなこともなかなかあるんだなということを存じております。
そういう私で、しかも、だからこそ頑張らないといけないと思っている自分も、この間、三・一一の震災の
復興の追悼の式典に
地元で出てまいりました。今年は県庁じゃなくて現場でということで、北茨城市というところであったわけです。そして、当時の発災の様子、津波の様子、大きな映像が流れました。自分ではよく分かっていたつもりなんですが、やっぱり心のどこかにもう二度と見たくないという
思いがやっぱりあるんだと
思います、人間だから。なので、あの画面を見ると非常に、何というんでしょうか、また当時の
思いがよみがえってきてというんでしょうか、またやっぱり頑張らないといけないなということは、気持ちが新たになったという面もあります。
やっぱり人間は忘れる動物ですから、忘れないといけないこともあるんだと
思います。しかし一方で、忘れちゃいけないこともあるんだと
思います。私は、それで気持ちが新たになったということは、自分自身、やはり心のどこかで少し忘れていたようなこともあったのかなと自省をしながら、頑張らないといけないと改めて
思い直しました。
被災県以外の方は、どうしてもやはり記憶が薄れていってしまうこともあろうかと
思います。これはまた、先ほど言いましたように、仕方がない面もあるし、忘れることも大切だということもあろうかと
思います。しかし、私がとにかく申し上げたいのは、災害復旧の、震災
復興復旧のプロフェッショナルな皆さんがそうなったらもうおしまいだというふうに思っております。
実は、役所の皆さんというのは、どうしても人事
異動がありますから替わるんですね。これはもうしようがない面もあるんですが、ころころ替わっちゃうというのは本当によろしくなくて、新しく来られた方というのは、やっぱり原風景を見ていない方もいらっしゃるし、ここまで復旧してきたんだという流れを見ていらっしゃらない方もいます。それはもう仕方がない面はあるんですけれども。
大臣が半年間で二十三回ですか、現地見られたと。僕はその二十三回という数字の
意味がよく分かっています。これは、とんでもなく大変な中で二十三回も行かれた
意味がよく分かっております。だから、だから本当にすごいなというふうに思っております。
しかし、最近の役人の人というのは、ともすれば現場から遠くなっています。それは、忙しくもなって、定数も減らされて、
仕事も、コンプライアンスの問題、情報公開の問題、いろんなことに
対応しなきゃいけないから、その中で更に忙しさが増していて、現場から大変遠くなっています。そういう
意味では、
大臣と同じように、あるいは現場を担う役人の人は
大臣以上に現場に近くあっていただかなければいけないんだというふうに思っております。
そして、今回のは、もう
一つ大切なのは、
復興庁が幾ら頑張っても、それだけじゃ駄目なんですね。その先に各省があるわけです。
復興庁の人に動いてもらうのも、これもまあなかなか、何というんでしょうか、
思いを持って動いてもらうというのは大変な面もあるのかもしれません。しかし、その先にある各省の人たち、更にそこで人事
異動があって替わっていく人たちにどれぐらいシンパシーを持って、ハートを持ってやっていただけるのかということが
被災地にとっては全てだと私は思っております。
役人の人というのは制度を設計します。特に国の役人の人は制度を設計します。そうすると、大体こういう制度があって、
被災対象の人が例えば百人いたと、百あったと。九十八ぐらいの制度ができれば、大体それででき上がった感になるんですね。ところが、残り二、二%の人にとってはゼロなんですよね。ということを僕は絶対に忘れちゃ駄目だと思う。鹿児島の現場にいたり、あるいは神戸で実家の話を聞いたりして、こっちから目線じゃなくて、絶対に、そっちから目線というんでしょうか、
被災者目線でそこは
対応していただきたいというふうに思っております。
そういう
意味で、現場の役所の皆さんの率い方、特にこれまでの経緯をよく知っている人をよく活用していただいて、是非ともうまくやっていっていただきたい、そういったことも含めて
大臣のお考えを、御姿勢をお聞きいたしたいと
思います。