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片山虎之助君 それでは
質問いたします。
既に
先生方から
質問ありましたが、郵政
改革というのは我が国にとっては大変な政治イシューだったんですよね。
郵政事業ができたのは明治四年ですから、今年はというと百三十六年ですよね、何と。そのうちの百二十四年、
平成十五年までは国営
事業だった、国の
事業だった。それから後、十二年、いろんな変遷をしましたよ。しかし、それが常に政治や政局の核というか目というのか、そういうあれだったんですね。
お話ありましたが、
井原先生から
質問ありましたが、
平成十五年の四月から
日本郵政公社になるんですよ。私はたまたま
大臣で、苦労して
日本郵政公社法を通しました。そのとき国会で、この
委員会でも予算
委員会でもいろいろ
質問があった。公社というのは最後なのか、途中なのかと、こういう
質問がありまして、私はどっちでもないと言ったんですよ。場合によっては最後になるかもしれぬし、場合によっては
民営化の途中になるかもしれない、それはこれからの
在り方次第だと。ただ、私個人は、一遍に
民営化といっても大変な問題がある、抵抗がある。だから、十年ぐらいは公社でならして、なだらかに
民営化すべきじゃないかと私は思ったんです。
しかし、
内閣総理
大臣は小泉さんですから、それは郵政
民営化がライフワークだもの。それはもう、すぐやれと、こういうことになって、公社化になると同時に準備に入るんですよ。
平成十五年の四月から公社になるんですけれども、それから準備に入りまして、法案を
平成十七年に出すんです。衆議院はかすかすで通過ですよ。参議院では否決されるんですよ。そうしたら、瞬間に小泉さんは衆議院を解散するんですよ。あの有名な郵政解散というか、
平成十七年ですね。その結果、大勝するんですよ。それで、しゅっと通っちゃう。それが
平成十九年の十月から。公社は四年半で終わるんです。それで
民営化に入るんです。
しかし、そのとき私はもう自民党に帰っておりましたが、五つにも分けるというのはそれは無理だと言ったんですよ。末端の
郵便局、
一つでしょう。頭の方を五つにするというんだから。
日本郵政に、
郵便局会社に、
郵便事業に、ゆうちょ銀行に、かんぽ生命でしょう。それは無理だと言ったんですよ。しかし、それでやっちゃったんです。それからいろいろなことがあって、政権交代もあって、
平成二十四年に今の格好になるんですよ。これも議論がありますよ。
そういう意味では、政治にもみくちゃにされたんですよ、郵政は。難波
先生の
質問もありましたがね。しかし、もう私はそろそろ一段落でなきゃいかぬというような気もするんですがね、
大臣。
そこで、個人的な見解を含めていただいても結構なんだけれども、これでもう落ち着きですか。後は
上場をうまく乗り切るだけですか。何かもう少し加えたり、足りないものがあるのかどうか。これまたこれが波乱の種になるようじゃ困るんで、今は四つになりましたよね、
郵便局と
郵便事業が一緒になって
日本郵便会社になった。四公社というのは我々も言っておったあれですけれどもね、その辺の
大臣の御感想をまずお聞きしたいと思います。