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小坂憲次君
審査会長、ありがとうございます。
先ほど
審査会長並びに
金子副
団長の方から御
報告がありました。
私の方からは、まず
最初におわびを申し上げなきゃいけないのは、本来、この
派遣は、昨年の八月、私の
審査会長としての
責任においてなすべきでございましたけれども、当時、
災害が起こりまして、大変大きな広島の
災害、また現地のイギリスが夏休みということがあって、それだけならよかったのですが、
議会の修復ということで工事が行われているということもありましたので、そういう
状況が判明したところで、これを延期させていただきました。しかし、その後、延期をした十二月が今度は
選挙ということになりまして年を越したわけでございまして、
柳本会長の下で
派遣を実現できたことは誠によかったと思っております。
ただいま御
報告がありましたこと以外に何か付け加えることがあるかなと思って書いてまいりましたけれども、かなりの
部分、
金子副
団長の御
報告の中にカバーされております。
若干の私の気付いたところを申し上げますと、まず
ドイツでございますけれども、
ドイツの
基本法の中には
財政均衡条項というのがございます。この
財政均衡条項というのは、
我が国もそうでありますが、最近いずれの国にも見られる
状況として、歳出が膨張していくという傾向がある。これに歯止めを掛けるということで、
ドイツでは景気が良いにもかかわらず新規債務が膨らんでいるといったことを受け止めて、
国民の声に従ってこのような条項が入ったと。しかし、
憲法はあらゆる
状況下においても通用する必要性があるわけでありまして、そういった長期的な視点からすると、景気の調整局面においてはいろいろな
状況があるわけですから、
財政均衡条項が本当に厳格に守られるのかという疑問があります。
ドイツ基本法では、対GDP比で〇・三五%の新規債務は例外的に認められるとされておるわけですが、この〇・三五%は必ずしもリジッドに
運用されていることではないようでありますけれども、
我が国のように、財政法に
規定をされていることによって、毎年、
法律によって公債発行特例法、特例という形で対処できるという
我が国のやり方との違いを、これを
考えると、
法律ではなくて、いわゆる
憲法にこういったことを盛り込むことが財政を動かす上での柔軟性という観点から適しているのかなというふうな疑問を持ったところであります。
また、
ドイツの
連邦参議院でございますけれども、まあ
連邦参議院が特異な第
二院というふうに思って見てまいりましたけれども、先ほど御
説明がありましたように、州
代表で構成されるということでありながら、必ずしもその人口比に、一つの方程式に従って配分されるということではなくて、かなり大ざっぱにそれが決められているという点からすると、アメリカの州二人というような、そういった州
代表制というものとはちょっと比較すると何となく中途半端な違和感を持ったところであります。また、こういった細かいことまでも
憲法で定めてしまうということにも驚いたところでございます。
また、こういった
議員の
投票行動というのは
各州の
指示に基づいているということでありましたけれども、その
指示は、それに逆らってその
議員が
投票した場合、それは無効かというと、直ちに無効にならないということでありまして、こういったことも詳細に聞いてまいりますと、州の意思決定の過程というものが必ずしも透明性がないということ。で、その
部分は州の閣議で、
州政府の閣議で決定されるということがあるんですが、一方、その
議員は現場におるわけですから、現場の議論を聞いてその自分の
指示を変えたいと思うことはあるわけでございますから、そういった場合にはそれに従って行動するということもあり得る。しかし、それは必ずしも無効ではないが、いろいろな形で最終的には
州政府の閣議決定されたものが反映していくということになると、
審議というものが、先ほど
金子さんの
報告にもあったように、ここで議論をするということがどれほどの意義があるのかなという疑問を持ったところであります。
また、
イタリアについてでありますが、
イタリアの
二院制については、いわゆる双子の
二院制と呼ばれておりますけれども、権能、
議員の選出方法等もほぼ同じ。で、
政府は
上院の信任も必要ということで、
上院についても解散が認められている、可能であると。その場合に
上下両院が同時に解散されるということなんだそうですが、
我が国には
参議院の緊急
制度も設けられておりますけれども、このような場合、
緊急事態になったらどのようにするのかなと、
国民の意思はどのように反映されるんだろうかというふうに思いましたが。
また同時に、現在行われている
二院制改革については、
上院の
権限を縮小させて
下院の優越、そして
上院にはむしろ地方
代表的な性格を持たせる、このような現在の取組
状況を御
説明いただきましたが、これも政権をより安定させようという試みかなと、こういうふうに感じたところでありますが、これは
我が国の在り方というものも
関係してくると思いますので、彼らの決定後の推移というものをしっかり見守ってまいりたい、いろいろ参考にすることはあるのかなと思った次第でございます。
最後に行ったイギリスでございますけれども、いわゆる
慣習法の国として
不文憲法ということでありますけれども、先ほどの御指摘もありましたように、
憲法教育にはやっぱり書いたものが必要じゃないかなということで、やはり
国民に
憲法というものをしっかり理解してもらうための教育という観点からすると、成文
憲法も必要ではないかという気がいたしましたし、またそういった必要性も感じているようでございました。
また、お会いした方々から聞いたいわゆるヨーロッパ人権条約に従って、いろいろな
法律がこの人権条約に反するかどうか、これを最高裁の
判決によって審査されているということを聞きましたが、条約が
法律の上位にあるような印象を受けて、この条約が成文
憲法のような役割を果たすのには何となく違和感を覚えたところでございます。
また、更に面白いと思ったのは、こういった在り方、人権条約に照らして最高裁が審査するというようなやり方については、やはり拒否反応というものが保守党の中にもあって、保守党の中からは人権条約から抜けようといった意見も出ているというふうにお聞きしたところでございます。
あとは
貴族院改革でありますが、私もイギリスに住んでおりまして、そのときにも、まあ貴族院というのは
議席が、全員が出たらとても議場に入れるような
議席ではありませんし、また、新興貴族が次々とその貴族院にメンバーになっていく、名誉職のような立場で、
審議には誰が参加するんだろうかと、そんな思いでおりましたが、今回行ってみると、いろいろと更に疑問が膨らんだりもいたしました。
特に、お会いした
下院の方々からいろいろ意見を聞いても、
貴族院改革について余り熱心でないなという印象を受けましたし、また
国民全体も、私が感じていたようなことと若干ダブりますが、貴族院というものに対しての
関心が若干薄いのかなという気もいたしました。
私は、お会いした
上院の方との
お話の中で、
貴族院改革は、出てこない人、いわゆる名誉職としてそのタイトルだけあればいいという人
たちと、それから実際に出て
審議に参加するという常時国会に出てくるという人とのステータスで二つに分けられたらいかがなものかと。そして、
議席にちゃんと座れる人数をいわゆる常時出席される
上院として認定をし、また、名誉職で俺はいいんだと言われているような方については、やはり直ちにその貴族院としてのタイトルを剥奪するというのは問題があるのでしょうから、そこはそれで立場だけは残して、そういうような
改革の
方向性というのはいかがなものかと
お話ししましたら、まあそういうのも一つの案かもしれないなとおっしゃっておりました。
この辺で私の意見は終えさせていただきます。どうもありがとうございました。