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小西洋之君 ありがとうございました。
今の会計検査院の院長の答弁と申しますのは、憲法に違反しているかどうか、その判断を主体的に会計検査院が行うということでございます。これは当然でございまして、会計検査院は憲法上の独立機関でございますので、法律に基づく合規性の検査に当たりましては主体的に自ら憲法違反か否かについて
検討するということでございます。
委員長、この答弁、実はこの
決算委員会の歴史、また衆参を通じての
委員会の歴史で初めての答弁でございますので、是非、同僚議員の皆様とともに共有をさせていただきたいと思います。
では、この関連で、こうした答弁も踏まえながら
質問をさせていただきたいと思います。昨年の七月一日の集団的自衛権を行使容認をいたしましたいわゆる解釈改憲の問題について
質問をさせていただきます。
昨年の七月一日ではございますけれども、その着手は、
政府の中におかれましては、一昨年、まさに
平成二十五年の八月の冒頭に、お亡くなりになりましたあの小松長官がいらっしゃってこうした動きが始まり、私も
平成二十五年の十一月の二十五日にこの
決算委員会で憲法解釈の問題について追及をさせていただいたところでございます。また、その他いろんな先生方がこうした問題を重ねられておりますので、二十五年の関連として非常に深い問題があるという
認識で
質問をさせていただきたいと思います。
今日、
委員長、させていただく
質問は、恐らくこの
決算委員会の歴史の中においても、ある意味、私が申し上げるのもなんですけれども、非常に重要な
質疑になろうかと思います。それはなぜかと申しますと、七月一日の集団的自衛権の行使容認の解釈の変更、それは、昭和四十七年見解、今皆様のお手元にカラーで配らせていただいておりますこの昭和四十七年見解を基に行ったということが言われているところでございます。
その内容でございますけれども、これは
外交防衛委員会などで何度も追及をさせていただいて、ここで改めて更に
決算委員会で本質的なものをさせていただきますけれども、この昭和四十七年見解、今から四十三年前の昭和四十七年にまさにこの
決算委員会に提出をされたものでございます。何枚かめくっていただきますと、その当時の
内閣法制局の中におけるその起案の原議、これは私は情報公開請求で入手したものでございますけれども、それも付けさせていただいているところでございます。
今まで、集団的自衛権の行使は、昨年の七月一日以前は、憲法の条文を変えない限りできないというふうに
国会答弁をされておりました。解釈変更の
余地すらない、限定容認も
余地すらないということも、
平成十六年の有名な秋山法制
局長官の答弁などで具体的に示されているところでございます。つまり、解釈変更の
余地すらなく、あらゆる集団的自衛権が、また、憲法の条文を変えない限りできないと言われていたものが、七月一日に、ある日突然できるようになった、その
理由の根本が実はこの紙の中に書いてあるわけでございます。まず、それを御
説明しまして、皆様と共有させていただきたいと思います。
このカラーの絵でございますけれども、七月一日以降の、七月十四日の衆議院の閉会中審査で公明党の北側先生が掲げられたパネルと同じものでございます、衆議院の
委員部からいただきましたけれども。
ここに書いてある内容をちょっと御
説明をさせていただきますと、上から、これ憲法九条の解釈なんですけれども、憲法は九条において戦争の放棄などを定めていると。なので、一見すると、我が国においてその実力の行使という、一切の実力の行使は禁止していられるように見えると。しかし、次、三行目ですけれども、
国民の生存という問題がありますけれども、
国民の命に関わるようなことについては、下から二行目の言葉ですけれども、必要な自衛の措置をとることまでは禁じているとは到底解されない。
次の段落です。しかしながら、だからといって、そういう
国民の命を守るための自衛の措置、すなわち戦いですけれども、戦いができるからといっても、我が国は憲法前文の平和主義の規定がございます、憲法九条の解釈を拘束する平和主義の規定がありますので、平和主義の憲法なのだから、何でもかんでも戦い、すなわち何でもかんでも自衛のための措置を無制限に認めるということは到底解されない。よって、それができるのは、あくまで外国の武力攻撃によって
国民の生命などが根底から覆されるという急迫不正の事態に対処し、
国民のこれらの権利を守るための必要やむを得ない措置として必要最小限度のものができると。これが憲法九条の七月一日以前の解釈でございました。
ところが、七月一日をもって安倍内閣は、今申し上げたこの文章を別の読み方ができるということに気付いたというふうに言っているわけでございます。それは、二つ目の箱の基本的な論理②というのがございますけれども、赤い文字のスタートのところに「外国の武力攻撃」というのがございます。この外国の武力攻撃、今申し上げましたように、我が国に対する外国の武力攻撃によって
日本国民の生命が根底から覆される場合に、それを守るための必要最小限度のことはできるというふうに当然読めるし、それ以外に読めるはずもないんですけれども、実は
横畠長官はこのようにおっしゃったんです。外国の武力攻撃というのは裸で書かれています、限定されていません、我が国に対する外国の武力攻撃だけではなくて、我が国の同盟国に対する外国の武力攻撃によって
日本国民の生命が根底から覆される場合、これも含まれるのであると。
分かりやすく申し上げますと、安倍総理が
国会で言っているような事例に基づいて申し上げますと、我が国の同盟国であるアメリカに対する外国たるイランの武力攻撃によって
日本国民の生命が根底から覆されるという場合には、我が国は必要最小限度の自衛の措置たるその武力行使ができる、すなわち集団的自衛権ができるというふうに言っているんです。
皆さん、初めて御理解された方はもうとんでもないことだというふうに思われると思うんですけれども、これが実は、もう私、
外交防衛委員会で何度も、三回確認させていただきましたけれども、
政府のその集団的自衛権行使を解禁した解釈でございます。ここからいろいろ
質疑を重ねさせていただきます。
問題は、こうした昭和四十七年見解をこのような読み方をすることが、論理的な整合性あるいは法的な安定性、これは七月一日の
閣議決定にもそれは守らなきゃいけないと書いてあります、あるいは今までの
国会の議論の積み重ね、我々が六十年間以上この
質疑を通じて
政府の憲法解釈、九条解釈を監督し確立してきた、我が国に対する武力攻撃が発生したとき以外に我が国は武力行使をすることができない、それも限定された必要最小限度の正当
防衛的な武力行使しかできない、そういう歴代の積み重なってきた考え方に矛盾しないかということを確認をさせていただきたいと思います。
では、初めは法制局の第一
部長に伺わせていただきます。
めくっていただいて出てくるこの起案の文書ですけれども、これは情報公開請求に基づいて提出をいただきました。私の情報公開請求は、昭和四十七年当時、昭和四十七年当時にこの昭和四十七年見解を作ったときの
内閣法制局にある全ての
資料、また、作るときに
内閣法制局が入手することになった全ての
資料を提出して、情報公開請求して、くださいといって、結果、この起案の文書とこれをワープロ打ちした文書が出てきましたけれども、それ以外の文書は法制局の中にはないという理解でよろしいですか。