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小西洋之君 ありがとうございました。
では、もう
皆さんお聞きいただきましたように、まさに常識、非常識の問題で、もうこの
解釈改憲、
安保法制は終わりなわけでございます。もうノックアウトです。もう
衆議院でもどんどん追及が始まるでしょう。また、参議院に来ましたら、
大野先生、北澤先生を筆頭に我々も奮起しますので。もうこれはもたないですよ、こんなこと。そのうち国際問題にもなり始めると思いますけれども。
じゃ、さらに、大事な核心論点についてもう一つ追及を、もう
答弁拒否ばっかりされるので、本当に残念なんですけれども、核心論点をさせていただきます。
横畠長官は、
衆議院の
答弁などでこういうことをおっしゃっている。先ほどの私の
質疑もそうなんですけれども。この
昭和四十七年
政府見解というものを作った当時は、
吉國長官は、
我が国に対する
武力攻撃が発生していない局面で
国民の
生命などが
根底から覆されることがあるという、そうした事実
認識は持っていなかったと、事実
認識は持っていなかった。ただし、事実
認識はなかったんだけれども、
吉國長官が作られた
政府見解の
文書の中には、
限定的な
集団的自衛権と今、
安倍内閣がおっしゃっているものが
法理として含まれていたということを平然とおっしゃっているんですけれども、実はこれは、よろしいでしょうか、
法令解釈の
根本を否定する
憲法違反のとんでもない発言でございます。それを御
説明させていただきます。
このカラーのページの一番最後の紙を御覧いただけますでしょうか。ちょっとその前に、このカラーのページの前から一枚目をおめくりいただけますでしょうか。はい、それでございます。
私なりの分析によりますと、
憲法九条において
集団的自衛権を解禁した
解釈改憲というのは、要するに、
昭和四十七年
見解などの
歴代の
政府見解の中に書かれている正しい
憲法九条の基本的な
論理というものを捏造して、捏造の
論理である七月一日の
閣議決定の基本的な
論理をつくった。その捏造の
論理である基本的な
論理から、その中に書かれている
武力行使の新三
要件を抽出した。で、火事場泥棒的に明白な危険という緩和
要件を付けたというのが
解釈改憲の構図でございます。
そして、この
論理の捏造をするに当たって三つの不正ですね、
言葉は適切じゃないかもしれませんけど、
国民の
皆様に分かりやすく言うと、インチキです。不正をやっているということです。三つのからくり。
一つは、今日も申し上げさせていただきました、
外国の
武力攻撃という文言を恣意的に読み替えていると。
我が国に対する
外国の
武力攻撃に決まっているのに、
同盟国などに対する
外国の
武力攻撃と読み替えて、読替えの一環として、一ページ目にありますこの
昭和四十七年
見解を、一つの
段落に書かれているものを三つの
内容に構造分割していると。これを同時にやっているんですね。
もう一つは、平和主義の
法理の切捨て。
昭和四十七年
見解の中にも明確に書いてある。昨日も中谷
大臣は
答弁をされておりました。平和主義の制限があるんだから、何でもかんでも自衛の措置ができるわけではないという趣旨の
答弁をされていますが、まさにそのとおりです。三つの平和主義の
法理が掛かるんです。三つの平和主義の
法理はどれも
集団的自衛権と真っ向から矛盾するということを私は何度も追及を、安倍総理にも三月二十日、予算
委員会で追及をさせていただいています。
そして、今から御
説明するのは三つ目です。立法事実のでっち上げというんです。つまり、この世に新しい法規範を作るためには、その法規範が必要である、法規範の政策上の必要性と、そしてその法規範によって作られる新しいルールですね、新しいルールが手段として合理的、つまりほかにもう手段がなくてこれしかないと、この二つを証明しないといけないんですね。
それで、先ほどのこの
資料の一番最後を御覧いただけますでしょうか。これ、昨年の臨時
国会で私が追及をさせていただいておりました。もう私、七月一日の
解釈改憲の直後から平和主義の
法理の切捨てと立法事実のでっち上げについてはずっと追及をさせていただいていましたけれども、こういうことなんですね。
一番上に立法事実、法律用語辞典がございます。有斐閣です。この代表は、編者、
横畠裕介現
長官でございます。
横畠長官でございます。法令用語研究会と書いていますよね。
横畠長官に簡潔に
答弁をいただきたいと思うんです。これ、
衆議院の
先生方の追及に、私、ちょっと本質的なところをやらせていただいて、あと五分しかありませんので。
この法令用語研究会というのが一体どういう団体で、ここに、私の経験ですと、これ著作権料がたくさん入っているんですね。
横畠長官、また
内閣法制局もそれ使われているのではないかなというふうに推測をいたすところであるのですけれども、これはあくまで推測です、そのことはお断りをしておきますけれども。
つまり、御自分で書かれた立法事実を全く切り捨てる、でっち上げる、そういうことを平気でやられて、ちなみに、この法律用語辞典って、どこの法律事務所でも、霞が関の全課でも買っております。膨大な著作権料が毎年入ってくるんだと思いますけれども。
下の
内容について御
説明をさせていただきます。済みません、真ん中の灰色の、グレーのところを御覧いただけますか。
憲法九条において
集団的自衛権の
行使を許容するためには、今から申し上げる二つのことが必要なんです。
一つは、「目的の合理性」と書いてありますけど、目的の必要性と御
理解ください。これまで
歴代政府が一貫してあり得ないとしてきた、
我が国が
武力攻撃を受けていないのに
生命が失われてしまうことになる、つまり
生命などが
根底から覆ることになる日本
国民が存在することです。この存在は、まだ
政府はできておりません。できていないですね。二つ目、その覆されることになる
生命などを救うために、日本
国民を守るために
集団的自衛権の
行使しかほかに手段がない。この二つを証明しないといけないんですね、七月一日の
閣議決定の段階で。
そしてさらに、その下の(A)を御覧いただけますか。今二つ申し上げた
内容のことは、一言で言うと、こういうことになります。「
我が国として国際
関係において実力の
行使を行うことを一切禁じているように見える」、これは七月一日の
閣議決定でも
安倍内閣は引き継いでいる、
憲法九条を日本語として読んだときの文理としての受け止めの広い
意味での
解釈と言っていいのか、文理としての受け止めです。これは
昭和四十七年
政府見解以前にもこうした趣旨の
答弁はもう何度も何度もされています。
憲法九条の一項、二項というのを総合的に読むと、日本という国は、国際
関係において実力の
行使を一切禁じているように見える。見えるんだけれども、
我が国に
武力攻撃が発生したときに、
国民が殺されてしまう、そんなことは許されるんだろうかと思って
憲法全文を読み直したときに、日本
国民の平和的生存権を確認した前文、また、日本
国民の
生命を国家は最大限守りなさいという
憲法十三条があったので、それの
論理的な総合
解釈でぎりぎり、
我が国に
武力攻撃が発生したときに、それを排除する
必要最小限度の
武力行使、
国際法上の個別的
自衛権だけは許容されているというふうに言ったんですね。
つまり、申し上げたいことは、元々
憲法九条の
解釈はここから発生しているんです。一切禁じているように見えるという
考え方から始まっているんです。これは、
安倍内閣の七月一日の
閣議決定の基本的な
論理でも明確に書いてあります。すなわち、どういうことかというと、一切
武力の
行使を禁じているように見えるという
憲法の
解釈、九条の
解釈の出発点から、
集団的自衛権の
行使、それは、
限定的なものであれ何であれです、基本的には真っ暗闇なんです。真っ暗闇のところから新しい
武力の
行使という白いものを抜き取るためには、その
武力の
行使がどうしても必要だという政策の必要性ですね、さっき申し上げた、死んでしまう日本
国民がいるということ。
もう一つは、その日本
国民を救うためにこの
集団的自衛権の
行使以外に手段がないということが確認されていないといけないんですね。それをしないんだったら、あらゆる法規範は骨抜きになります。刑法によって、人殺しはしてはいけないという条文がちゃんと書いています。ただ、ある例外的な場合には、いわゆる物理的な行為として殺人の行為であっても違法性が阻却される場合があるわけですけれども、それは、それぞれのやっぱりそうした合理的な、
論理的な
理由があるわけでございます。あるいは、逆のケースもございます。これは最
高裁の判決もございます。
基本的に、私たち人間、
国民は自由なんです。自由な人間、
国民の
権利を制限するためには、この立法事実が必要なんです。最
高裁の
昭和五十年の薬事法の違憲判決というので、この立法事実がないことを
理由に、違憲無効で実は切って捨てられております。それは、薬局の営業の自由を、合理的な根拠、あと目的の必要性もなく、議員立法だったんですけど、やってしまったので、違憲無効というふうになっているんですね。
つまり、
横畠長官に伺いますけれども、
吉國長官は、よろしいですか、
昭和四十七年の
政府見解を作った段階において、
我が国が
武力攻撃を受けない局面では日本
国民の
生命が
根底から覆されることはない。つまり、今私が御
説明しました目的の必要性ですね、そういう日本
国民はいないというふうに言っていたんですね。かつ、この
吉國長官のその議事録も
資料で付けさせていただいて、昨日、私、本会議でも
皆様に御紹介申し上げましたけれども、日本が
武力攻撃を受けない局面では日本
国民の
生命などは
根底から覆されることはない、よって、
我が国は、自衛の措置は
憲法上一切できないというふうに
答弁をされているんですね。
横畠長官に伺います。
吉國長官は明確に、
昭和四十七年
政府見解を作った当時に、
我が国が
武力攻撃を受けていない局面では日本
国民の
生命などは
根底から覆されることはないというふうに
答弁で言っているし、
横畠長官もその
吉國長官の事実の
認識を認めています。
にもかかわらず、
吉國長官はなぜ、一切の実力の
行使を禁止しているかのように見えるという
憲法九条の下において、
国際法上、
武力の
行使に当たる、
国際法上、
集団的自衛権の
行使に当たる新しい
武力の
行使を認めることができるんでしょうか。それは、最
高裁も認めているところのこの立法事実という
考え方、あるいは、これもう全てですよ、条例や、また最
高裁は規制立法だとかといってごまかすのは駄目ですよ。新しい法規範を作るときには、そういう社会的な事実とか立法事実は必要なわけですから。そういう立法事実なくして、
吉國長官はなぜ
昭和四十七年
見解当時に新しい
武力行使を認めることができるんでしょうか。そんなことを認めたら、
我が国は法治国家ではなくなってしまうのではないんでしょうか。明確に
答弁をください。