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公述人(
奥田愛基君) 御紹介にあずかりました大学生の
奥田愛基といいます。SEALDsという学生団体で活動をしております。
済みません、こんなことを言うのは非常に申し訳ないのですが、先ほどから寝ている方がたくさんおられるので、もしよろしければお話を聞いていただければと思います。僕も二日間ぐらい緊張して寝られなかったので、僕も帰って早く寝たいと思っているので、よろしく
お願いします。
初めに、SEALDsとは、スチューデント・エマージェンシー・アクション・フォー・リベラル・デモクラシーズ、
日本語で言うと自由と民主主義のための学生緊急行動です。私たちは特定の支持政党を持っていません。無党派の集まりで、保守、革新、改憲、護憲の垣根を越えてつながっています。最初はたった数十人で、
立憲主義の危機や民主主義の問題を真剣に
考え、五月に活動を開始しました。その後、デモや勉強会、街宣活動などの行動を通じて、私たちが
考える国のあるべき姿、未来について
日本社会に問いかけてきたつもりです。
こうした活動を通して、今日、貴重な機会をいただきました。今日私が話したいことは三つあります。一つは、今全国各地でどのようなことが起こっているか、人々がこの安保
法制に対してどのように声を上げているか。二つ目は、この安保
法制に関して、現在の
国会はまともな
議論の運営をしているとは言い難く、余りにも
説明不足だということです。端的に言って、このままでは私たちはこの
法案に対して到底納得することができません。
三つ目は、政治家の
方々への私からの
お願いです。
まず第一にお伝えしたいのは、私たち
国民が感じている安保
法制に対する大きな危機感です。
この安保
法制に対する疑問や反対の声は、現在でも
日本中でやみません。つい先日も
国会前では十万人を超える人が集まりました。
しかし、この行動は、何も東京の、しかも
国会前で行われているだけではありません。私たちが独自にインターネットや新聞などで調査した結果、
日本全国二千か所以上、数千回を超える抗議が行われています。累計して百三十万人以上の人が路上に出て声を上げています。この私たちが調査したものやメディアに流れているもの以外にもたくさんの集会が、あの町でもこの町でも行われています。まさに全国各地で声が上がり、人々が立ち上がっているのです。また、声を上げずとも疑問に思っている人はその数十倍もいるでしょう。
強調しておきたいことがあります。それは、私たちを含め、これまで政治的無関心と言われてきた若い
世代が動き始めているということです。これは、誰かに言われたからとか、どこかの政治団体に所属しているからとか、いわゆる動員的な発想ではありません。私たちは、この国の民主主義の在り方について、この国の未来について、主体的に一人一人、個人として
考え、立ち上がっていったものです。
SEALDsとして行動を始めてから、誹謗中傷に近いものを含む様々な
批判の
言葉を投げかけられました。例えば、騒ぎたいだけだとか、若気の至りだとか、そういった声があります。ほかにも、
一般市民のくせにしておまえは何を一生懸命になっているのかというものもあります。つまり、おまえは
専門家でもなく学生なのに、若しくは主婦なのに、おまえはサラリーマンなのに、フリーターなのに、なぜ声を上げるのかということです。
しかし、先ほども御
説明させていただきましたように、私たちは、一人一人、個人として声を上げています。不断の努力なくして、この国の
憲法や民主主義、それらが機能しないことを自覚しているからです。
政治のことは選挙で選ばれた政治家に任せておけばいい、この国にはどこかそのような空気感があったように思います。それに対し、私たちこそがこの国の当事者、つまり主権者であること、私たちが政治について
考え、声を上げることは当たり前なのだということ、そう
考えています。その当たり前のことを当たり前にするために、これまでも声を上げてきました。
そして、二〇一五年九月現在、今やデモなんてものは珍しいものではありません。路上に出た人々がこの
社会の空気を変えていったのです。デモや至る所で行われた集会こそが不断の努力です。そうした行動の積み重ねが、基本的な人権の尊重、
平和主義、
国民主権といったこの国の
憲法の理念を体現するものだと私は信じています。私は、私たち一人一人が思考し、何が正しいのかを
判断し、声を上げることは間違っていないと確信しています。また、それこそが民主主義だと
考えています。
安保
法制に賛成している議員の
方々も含め、
戦争を好んでしたい人など誰もいないはずです。私は、先日、予科練で特攻隊の通信兵だった方と会ってきました。七十年前の夏、あの終戦の日、二十歳だった
方々は、今では九十歳です。ちょうど今の私やSEALDsのメンバーの年齢で
戦争を
経験し、そしてその後の混乱を生きてきた
方々です。そうした
世代の
方々も、この安保
法制に対し強い危惧を抱かれています。私は、その声をしっかりと受け止めたいと思います。
そして、議員の
方々も、どうかそうした危惧や不安をしっかり受け止めてほしいと思います。今、これだけ不安や反対の声が広がり、
説明不足が叫ばれる中での採決は、そうした思いを軽んじるものではないでしょうか。七十年の不戦の誓いを裏切るものではないでしょうか。
今の反対のうねりは
世代を超えたものです。七十年間、この国の
平和主義の歩みを、さきの大戦で犠牲になった
方々の思いを引き継ぎ、守りたい、その思いが私たちをつなげています。私は、今日、そのうちのたった一人としてここで話をしています。つまり、
国会前の巨大な群像の中の一人として
国会に来ています。
第二に、この
法案の審議に関してです。
各世論調査の平均値を見たとき、初めから過半数近い人々は反対していました。そして、月を追うごと、反対世論は拡大しています。理解してもらうためにきちんと
説明していくと現
政府の方はおっしゃられておりました。しかし、
説明した結果、内閣支持率は落ち、反対世論は盛り上がり、この
法案への賛成の
意見は減りました。
選挙のときに
集団的自衛権に関して既に
説明したとおっしゃる
方々もいます。しかしながら、自民党が出している重要政策集では、アベノミクスに関しては二十六ページ中八ページ近く
説明されていましたが、それに対して
安全保障関連法案に関してはたった数行でしか書かれていません。昨年の選挙でも、菅官房長官は、
集団的自衛権は争点ではないと言っています。
更に言えば、選挙のときに、
国民投票もせず、
解釈で改憲するような、
違憲で法的安定性もない、そして
国会の答弁をきちんとできないような
法案を作るなど、私たちは聞かされていません。私には、
政府は法的安定性の
説明をすることを途中から放棄してしまったようにも思えます。
憲法とは
国民の
権利であり、それを無視することは
国民を無視するのと同義です。
また、本当に与党の
方々は、この
法律が通ったらどのようなことが起こるのか理解しているのでしょうか、想定しているのでしょうか。先日言っていた答弁とは全く違う
説明を翌日に平然とし、野党からの質問に対しても
国会の審議は何度も何度も速記が止まるような
状況です。このような
状況で一体どうやって
国民は納得したらいいのでしょうか。
SEALDsは確かに注目を集めていますが、現在の安保
法制に対してその
国民的な世論を私たちがつくり出したのではありません。もしそう
考えていられるのでしたら、それは残念ながら過大
評価だと思います。
私の
考えでは、この
状況をつくっているのは紛れもなく現在の与党の皆さんです。つまり、安保
法制に関する
国会答弁を見て、首相のテレビでの理解し難い例え話を見て、不安に感じた人が
国会前に足を運び、また全国各地で声を上げ始めたのです。ある金沢の主婦の方がフェイスブックに書いた
国会答弁の文字起こしは、瞬く間に一万人もの人にシェアされました。ただの
国会答弁です。ふだんなら見ないようなその書き起こしをみんなが読みたがりました。なぜなら不安だったからです。
今年の夏までに
武力行使の拡大や
集団的自衛権の
行使の容認をなぜしなければならなかったのか。それは、人の生き死にに関わる
法案で、これまで七十年間
日本が行ってこなかったことでもあります。一体なぜ十一個の
法案を二つにまとめて審議したか、その
理由もよく分かりません。一つ一つ審議しては駄目だったのでしょうか。全く納得がいきません。結局、
説明をした結果、しかも
国会の審議としては異例の九月末まで延ばした結果、
国民の理解を得られなかったのですから、もうこの
議論の結論は出ています。今
国会での可決は無理です。廃案にするしかありません。
私は、毎週
国会前に立ち、この安保
法制に対して抗議活動を行ってきました。そして、たくさんの人々に出会ってきました。その中には、自分のおじいちゃんやおばあちゃん
世代の人や、親
世代の人、そして最近では自分の妹や弟のような人たちもいます。
確かに、若者は政治的に無関心だと言われています。しかしながら、現在の政治
状況に対して、どうやって彼らが希望を持つことができるというのでしょうか。関心が持てるというのでしょうか。私や彼らがこれから生きていく
世界は、相対的貧困が五人に一人と言われる超格差
社会です。親の
世代のような経済成長もこれからは期待できないでしょう。今こそ政治の力が必要なのです。どうかこれ以上政治に対して絶望してしまうような仕方で議会を運営するのはやめてください。
何も賛成から全て反対に回れというのではありません。私たちも、
安全保障上の
議論は非常に大切なことを理解しています。その点について異論はありません。しかし、指摘されたこともまともに答えることができない、その態度に強い不信感を抱いているのです。政治生命を懸けた争いだとおっしゃいますが、政治生命と
国民一人一人の生命を比べてはなりません。与野党の皆さん、どうか若者に希望を与えるような政治家でいてください。
国民の声に耳を傾けてください。まさに、義を見てせざるは勇なきなりです。政治のことをまともに
考えることがばからしいことだと思わせないでください。
現在の
国会の
状況を冷静に把握し、今
国会での
成立を断念することはできないのでしょうか。世論の過半数を超える
意見は、明確にこの
法案に対し今
国会中の
成立に反対しているのです。自由と民主主義のために、この国の未来のために、どうかもう一度
考え直してはいただけないでしょうか。
私は単なる学生であり、政治家の先生方に比べ、このようなところで話すような立派な人間ではありません。もっと正直に言うと、この場でスピーチすることも、昨日から寝れないぐらい緊張して来ました。政治家の先生方は毎回このようなプレッシャーに立ち向かっているのだと思うと、本当に頭が下がる思いです。一票一票から
国民の思いを受け、それを代表し、この
国会という場所で毎回答弁をし、最後には投票により
法案を審議する、本当に本当に大事なことであり、誰にでもできることではありません。それはあなたたちにしかできないことなのです。
では、なぜ私はここで話しているのか、どうしても勇気を振り絞り、ここに来なくてはならないと思ったのか、それには
理由があります。参考人としてここに来てもいい人材か分かりませんが、参考にしてほしいことがあります。
一つ、仮にこの
法案が強行に採決されるようなことになれば、全国各地でこれまで以上に声が上がるでしょう。連日、
国会前は人であふれ返るでしょう。次の選挙にももちろん影響を与えるでしょう。当然、この
法案に関する野党の
方々の態度も見ています。本当にできることは全てやったのでしょうか。私たちは決して今の政治家の方の
発言や態度を忘れません。三連休を挟めば忘れるだなんて、
国民をばかにしないでください。むしろそこからまた始まっていくのです。
新しい時代はもう始まっています。もう止まらない。既に私たちの日常の一部になっているのです。私たちは学び、働き、食べて、寝て、そしてまた路上で声を上げます。できる
範囲で、できることを、日常の中で。私にとって、政治のことを
考えるのは仕事ではありません。この国に生きる個人としての不断の、そして当たり前の努力です。私はこの困難な四か月の中でそのことを実感することができました。それが私にとっての希望です。
最後に、私からの
お願いです。SEALDsの一員ではなく、個人としての、一人の人間としての
お願いです。
どうかどうか政治家の先生たちも個人でいてください。政治家である前に、派閥に属する前に、グループに属する前に、たった一人の個であってください。自分の信じる正しさに向かい、勇気を出して孤独に思考し、
判断し、行動してください。皆さんには、一人一人
考える力があります、
権利があります。政治家になった動機は人それぞれ様々あるでしょうが、どうか政治家とはどうあるべきなのかを
考え、この国の民の
意見を聞いてください。勇気を振り絞り、ある種賭けかもしれない、あなたにしかできないその尊い行動を取ってください。
日本国
憲法はそれを保障し、何より
日本国に生きる民一人一人、そして私はそのことを支持します。
困難な時代にこそ希望があることを信じて、私は自由で民主的な
社会を望み、この
安全保障関連法案に反対します。
二〇一五年九月十五日、
奥田愛基。
ありがとうございました。