○儀間光男君 よくもそんなことをおっしゃると思うんですが、数字のマジックを使えばそうなりますね。どこに九十数%の達成率がありますか。軍用地を持つ
市町村、ここは全て潰れ地があるんですよ。未買収があるんです。
国道に関わるもの、県道に関わるものが大きかったからといって、達成率がいいなんて言っては駄目なんですよ。
市町村道はほとんど手付けられていない状態ですね。
私は浦添で市長をさせていただきましたけれ
ども、十二年掛かりましたよ、少しめどを付けるのに。二〇〇一年、
平成十三年の二月に市長に就任しますと、
土地泥棒といって、
土地返せといって、私は裁判に訴えられて、真面目に何十年とやってきたんですが一気に被告人になったんです。その原因を探っていって、また県議時代も、あるいは復帰前の立法院という時代がありましたが、その頃から未買収問題ずっと扱って先輩方はやってきたんですね。その間、七十年ですよ。そこでおって、
市町村道がまだほとんど手付かずで生活の障害になっている現実、これを見ていただきたいんですね。
例えば、普天間の基地の周辺、
皆さんよく空撮で御存じだろうと思いますが、普天間の飛行場の成り立ちは後でもう一回
説明しますけれ
ども、一九四五年、昭和二十年戦争が終わって、避難を、県内、県外、国外におった人々が戦争が終わったんだといって帰ってまいりましてね、さて我がふるさとへと行ったら、そこは既に米軍の銃剣とブルでふるさとの山や川や林や谷や小川は全部フラットにされてしまったんです。そしてフェンスをされて鉄条網を回されたんです。そばに寄ることもできないですね。憲兵たちが銃剣を構えておるんですから。だから、銃とブルによる
土地の強制収用だったわけです。
そこで、人々はふるさとへ行ったけど、ふるさとは既にフラットでなし、万やむを得ないから、フェンスのそばにあった田や畑、あるいは沼地を埋めたりして、カヤぶきとか、わら屋根ぶきで掘っ建て小屋を造って戦後の生活が始まるんですよ。ですから、普天間の飛行場の東側、あの一帯を空撮で見てください。ランダムに家が造って、道がどうなっているか分からないんです。クモの巣みたいな道になるんですよ。あれ全部潰れ地なんですよ。全部個人用地なんです。そこをいつしか公道化してしまって、
市町村あるいは県、国が取り上げて、支払もしないで公用道路として使って今日があるんです。
〔理事藤田幸久君退席、
委員長着席〕
したがって、このことについて、戦後処理の一環として
皆さんは
市町村をちゃんと手伝ってやらなきゃならない、こういう思いがするんですが、
大臣、決意のほどを
伺いたいですね。