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吉村分科員 維新の党の
吉村でございます。
私からは、ちょっと一風変わりまして、
文化行政のあり方について、前向きな議論をさせていただけたらなというふうに思っております。
そもそも、まず、これは維新の政治理念にもかかわってくることでございますけれども、少子高齢化が見込まれる時代が確実にやってくるわけでございます。二〇五〇年には、おおよそですけれども一億人の人口を切って、
子供が約一千万人、働き手が、大ざっぱですけれども約四千万ぐらい、そして約四千万が高齢者。すなわち、一人で一人の高齢者を支えるような、そういった時代が到来するということは、もうなかなか避けがたい、そういった
状況になっているのかなというふうに思っています。
当然、
子供をふやすという
政策をしていくわけでございますけれども、そういった人口構造がある程度もう見えている。それから、私は一九七五年生まれでございますので、私のときは、大体七人か八人ぐらいの働き手で一人の高齢者を支えるといった時代だったわけでございますけれども、もうそういった時代ではなくなってきている。本当に抜本的な改革というのをしなければならない。
その中で、維新の理念として自立というのがございます。個人であれ、団体であれ、自立できるところはしっかりと自立していただく。そして、漫然と行政、国が補助を打っていくようなやり方ではなくて、しっかりと自立を促して、そして、どうしても自立ができない、そういったところについて税を投入していく、そういった、めり張りというか、今までのあり方とは違ったあり方が求められる時代が来るだろうというふうに思っております。
その中で、これまで私もいろいろ、公務員改革とかそういうことも
質疑させてもらっておったんですけれども、きょうは、ちょっとかわって、文楽について
質疑させていただきたいというふうに思っております。
文楽につきましても、実は大阪では、いろいろそのあり方について改革をやってまいりました。行政は文楽の価値がわかっていないとか、有識者と言われる方、一部の方から、これはどうなんだと言われるような、さまざまな批判を受けてきましたけれども、その後、改革は随分進んで一定のところまで来ているという
状況でございます。
まず、文楽について、ちょっとだけ簡単に御
説明させていただきたいと
思います。
文楽というのは、人形浄瑠璃文楽と言われるものですけれども、文楽自体をあくまでちょっと例とさせていただいて、伝統
文化遺産、
文化行政をどう
支援して、そして
振興して、活用していくのかというのがきょうの
質疑のテーマになります。そして、国と
地方と、それからその団体と、どういう形で協力
関係を築いていくのかということが
質疑内容になります。
まず、文楽でございますけれども、江戸時代の後期に大阪で発祥した伝統芸能でございます。国の重要
文化財、昭和三十年に指定されておりまして、ユネスコの世界無形
文化遺産、
平成十五年にも指定されている、三百年の歴史を有する
日本を代表する伝統芸能の一つでございます。
文楽協会について、大阪市の助成のあり方については本当にメディアで取り上げられておるところでございますけれども、文楽の保護とか
振興のあり方というのは、これは大阪だけの問題じゃなくて、国の
文化政策の問題でもある、そういう認識でございます。
メディアの表現からは、大阪市が、文楽協会という組織ではなくて、文楽という芸能についての
支援を打ち切りにするという誤解があるようでございますけれども、文楽の体制というか、そういった今までの実態についてはわかりにくいところがあるので、ちょっとお話しさせていただきます。
もともと、文楽というのは、歌舞伎と同じように松竹株式会社で実は興行をしておりました。巨額の赤字が出るということで松竹が文楽の経営を断念したということで、昭和三十八年に、国と大阪府と大阪市とNHKの合意のもとで、この四者からの補助金と助成金を前提に、文楽の保存、普及を図る団体として、公益財団法人の文楽協会、これが設立されました。
この時点では、文楽協会は、本公演を含む全公演の興行を行って、また、人形などの資産や技術人員も保有する、文楽のプロデュースマネジメント組織としてフル機能を持った組織でございました。
そして、昭和五十九年に、特殊法人国立劇場、
平成二年に
日本芸術
文化振興会に改称されまして
平成十五年には独法に移行されましたけれども、国立文楽劇場が設立されたということに伴いまして、それまで文楽協会が担ってきた本公演の興行機能については国立文楽劇場へ移管された。それとともに、人形や道具などの資産、技術人材も劇場に移管して、また技芸員の研修、保存、
振興のための
事業も劇場が行うということになりました。
文楽協会は、当時、全ての業務を劇場に移管することを要望しておったんですけれども、技芸員との契約あるいは出演調整、
地方公演など、これを劇場でするのは難しいという理由から、それらの業務は文楽協会に残って、結果的に文楽協会は機能が限定された組織として残るということになりました。
それ以降、年間日程の約八割を占める本公演の収支は文楽劇場が賄っておりまして、劇場の入場者数の多少にかかわらず技芸員には一定の出演料が支払われて、文楽協会の運営費は国と大阪府と大阪市の補助金、助成金でほぼ賄われるという仕組みが、この三十年間の長きにわたって続けられてきております。
これに対して、大阪市が、漫然と補助を打つというこの
文化行政のあり方に疑問を呈したわけでございます。行政自身が、何に対して助成するのかというのを、特定の
文化行政に対して決め打ちをして、行政の価値判断のもとで補助をし、そして団体補助、運営補助ですね、そこに補助金を、すなわち有権者の皆様の税を投入するという仕方について、問題を提起したわけでございます。
それによって初めて、これまでなかったことでございますけれども、技芸員であったり、あるいは文楽協会、劇場が同じテーブルで議論するということが起こりまして、技芸員や文楽協会による広報活動、そういったことも見られるようになりました。
しかし、それ以前、現在の、今もその構造も残っているわけでございますけれども、結局、観客が来ても来なくても、技芸員も文楽協会も収入が保証されている。すなわち、国、府、市の漫然と運営補助としてそこに補助金を投入するという仕組みの中で、劇場のみが興行のリスクを負っているというような
状況だったわけでございます。そういった
状況の中で、技芸員も協会も、文楽の当事者でありながら、劇場の観客の入りぐあいにはほとんど興味を持たない、そのための努力をしない、そうしなくてもいいという仕組みがずっと続いてきたわけでございます。
そういった今の仕組みでは、全体として、安定した
環境で文楽という芸能が後世に残っていくというその
文化財保護の機能を重視する、そして、文楽の観客をふやすという積極的な
振興策をとるためにオール文楽で努力するということが想定されていない、そういった基本構造がずっと続けられてきたというふうな認識で、大阪では改革を行ってきたわけでございますけれども、この基本構造について
文化庁はどういった認識、同様の認識なのか、違う認識なのか、そのあたりをまずお伺いしたいと
思います。