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原田(義)
委員 戦略的に対応するといいながら、しかし、
主権国家、
独立国家が連日その
領海を侵されているということは、これはただならぬことではないかと思います。
これは、ある
意味では、
政府、
関係者はしっかり頑張っておられますけれども、第三国、
国際社会から見たら、
日本は何をしておるんだと。また、私はそれ以上に、
日本の
国民が
自分たちの国を見たときに本当に情けない、これは現実、そうですよ、何をしておるんだということをよく聞きます。せんだっての小笠原の
サンゴ密漁の話もしかりでありますので、私は、しっかりまた対応していただかないかぬと改めて思うところであります。
その上で、実はこの問題は、既にして
尖閣の問題は長くなりましたが、もう一回、実はこの歴史を振り返らなきゃいけない、こう思っております。
資料の二をお配りしておりますから、これを見ますと、たくさん書いておりますけれども、ポイントは二つか三つしかございません。
一つは赤字のところです。一八九五年の一月に
日本政府は
尖閣を
日本の
領土として編入いたしました。これは、先占という
制度が
国際法にありまして、今でもあるんです。これに基づいて、ちゃんとした十年に及ぶ手続、
調査をやって、一八九五年の一月に編入したわけであります。
真ん中辺に、一九七一年の十二月、
中国が
尖閣諸島の
領有権を
主張した、こういうことがあります。実は、この八十年間、一度もよそから文句を言われたことはないわけであります。この間に約二百人前後の
日本人がこの島で生活をし、かつ仕事もしておりました。
もっと言うならば、実は
中国の側が、この島は
日本のものだということを、いろいろな
資料ではっきりしているんですけれども、そのことを何度にもわたって言っているわけであります。
その幾つかの例を、既にして有名な例でありますけれども、
資料の三というのが、これは一九五三年一月の人民日報に、いろいろ漢字で書いていますけれども、
日本の
領土だと。それから、
資料の四、これも時々見かけますけれども、これは一九六〇年に既に公表された
中国の
世界地図。これは
中国の中学校とか高校の教科書にも載っている、こういうふうに言われておるんですね。
いずれにしても、こういう形で
中国自身が
日本の
領土だということを認めたということでありますが、実は、きょうはもっと大事なことを申し上げようと思って、この場に立っておるんです。
資料の六以降でございますが、ここに私は、これは現物なんですけれども、この
資料を持ってきております。それの中身は
資料の九に書いてあります。
パネルで申し上げておきたいと思いますけれども、普通、
パネルというと
NHKテレビに向けるんですけれども、きょうはもう
NHKテレビに出ていませんが、しかし、やはりこれは
総理以下、議員の
皆さんにしっかり眼に焼きつけてもらいたいと思って、これをつくってきたんです。
実は、これは
本邦初公開であり、同時に、私の
認識では、今の
地球上では
唯一ではないか、それぐらいに思っているんです。なぜかというと、これは一九六九年の
中国の
資料であります。
資料五以下、書いていますけれども、まず、これは
発行元が
中華人民共和国の
国土地理院、これが出したものであります。
そして、あろうことか、
資料六、七を見ていただきますと、
毛沢東主席が
語録としてその
前文にこの
文章を載せておるわけであります。その上で、この一九六九年の
地図帳が載っているわけですね。考えてみれば、
中華人民共和国のクレジットが入り、かつ、
毛主席が
前文を書いておられる。これをまさか知らないよというわけにはいかないと思います。
毛沢東主席の
語録を、これは私も読めませんでしたから、ちょっと仮訳をつくってきました。
資料の十のところを見ていただくとわかりますが、
毛主席語録、これはいろいろ書いています。
中国人民がいかに偉大かということを書いておるんですけれども、
真ん中のパラ
グラフ、少し
下線を引いておる部分にこういう
文章があります。
云々云々の後に、「我々のために広大な森林を育て、豊富な
鉱物資源を蓄えてくれる全国を縦横に走る大小の山脈がある。」これは内陸のことです。「そして、我々に水運と灌漑の利を与えてくれる多くの河川や湖沼があり、我々に海外の各
民族との
交通の便をあたえてくれる長い
海岸線がある。
はるか古代から、我が
中華民族の祖先は、この広大な土地において労働し、生活し、子孫を増やしてきた。」これが
下線のところに書いていますけれども、こういう
語録を踏まえてこの
地図が発表されているわけであります。
ちょっと話はそれますけれども、実は、
神田神保町にたくさんの
古本屋さんがありますね。あそこには古い
地図、古文書がたくさんありますけれども、多分、いや、間違いなくこの
地図はどこにもありません。恐らく
中国にもないと思います。ということは、
本邦初であると同時に、この
地球上、
唯一この原典しかないと私は言えると思います。さっきの
古本屋の話を言いますと、ある時期、あるどこかの国の人が札束を持ってあの辺の古
地図を全部買い占めました。だから、ないんです。
それは別といたしまして、この
地図を見ていただきますと、一九六九年まで、これが間違いなく
日本の
領土であり、
相方中国もそれを認めたということが言われるわけです。
考えてみれば、一九六九年まで
日本のものだと認めていながら、一九七一年の十二月に
中国は、それは俺のものだよということを言い始めたというのが先ほどの年表でございますけれども、これはちょっと、
皆さん、おかしいと思いませんか。
幾ら白髪三千丈の国とはいえ、きのう言ったことときょう言ったことが違う、これは私は、いかにもおかしいな、こういうふうにも思うわけであります。
証拠、とりわけ
物的証拠というのは、およそ極めて大事なものであります。もめごとやら
争い事のときには、それを見せれば大体もう決着するんですよ。
裁判やら訴訟、弁護士の方もあるいはおられると思いますけれども、百回
自分の理論を言ったところで、一発
証拠を見せれば大体
裁判は終わりでしょう。そうですか、階さん。(発言する者あり)そういう感じがいたしますよ。
エストッペルという言葉があります。これは
日本語では禁反言と訳されているんですけれども、要するに、同じ人が同じ
案件で、きのうときょう、別なことを言っちゃいけないということです。
エストッペル。こんなことは何も、子供でも知っていますよ。このペンが、きのうまで、あなたのものだ、君のものだと言いながら、きょうになったら、私のものだ、返してくれと言えば、これは一気に信用を失いますよ。
ですから、一九六九年まで
日本のものだと言いながら、七一年になったら途端に、俺のものだ、返してくれと言うのは、これはやはり私は言い過ぎではないかな、間違いではないか、あえてこう思うわけであります。
なぜ
中国がそう言っているかというと、これはつらつら思いますに、一八九五年、
日本が編入したときにはちょうど
日清戦争のさなかだった。どうも、かの国は、あの帝国主義的な
日本が押さえたんではないか、これはもともと
中国領だと言っておるような気がするんですね。
しかし、これがまた違うんですね。同じ一八九五年の四月に、
日清戦争の
講話条約、これは
下関条約、
下関は
安倍総理の選挙区でありますけれども、
下関条約でこのことは当然議論されました。ここでは、
日本がおどし取ったと言われること、例えば、
遼東半島とか
台湾、澎湖諸島、これについては議論されたんですけれども、実は、この
尖閣列島のセの字も議論されておりません。そういう
意味では、この八十年間、当然、
中国も
日本領土と認めるのは当たり前であります。
一九六八年ごろに、
国連のいろいろな
委員会、ECAFEという
委員会で、
尖閣の下には豊富な
海洋資源が眠っているということが
報告されたために、どうもこの一九七一年、
台湾とか
中国が急に、これは俺のものだと言い始めたらしいんですけれども、これは聞いたわけじゃありませんが。
それで、このことを踏まえて私は、先ほど
外務大臣からしっかりやるということを言われましたけれども、それでは、
外務大臣、私はこのことをぜひ
お願いしたいと思っております。
一つは、まず
中国に向かって、撃ち方をやめよ、
尖閣諸島への
侵入はやめよということをはっきり言っていただきたい、こう思います。私は、
日本の
外交の中に、何となく物事をはっきり言わない、間接的にわかるだろうというけれども、ここは
王毅外務大臣に、これだけの
不審船、
公船については、入ってくるのはやめてくれ、こういうことを言っていただきたいな、こう思うわけであります。もう理由は言わなくてもいいと思っております。
もう
一つは、私は、やはりこの事実を
国際社会にしっかり訴えていただかなきゃいけない、こう思っております。何となれば、二国間でやったって水かけ論になりかねない。ですから、
外務大臣も、外を回っておられるときにはこういう事実についてしっかり訴えていただきたいな、こう思っておりますが、
外務大臣、ぜひまたお答えいただきたいと思います。