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細野委員 我が国が世界の一員として
テロをなくしていくためにしっかり貢献をしていくべきだという考え方は、私も合意をします。そこは私も
総理に賛成します。
しかし、現実的に、過去の国際情勢を見たときに、それはアフガンもイラクもそうですけれども、さまざまな国際的な
取り組みをしてきた中で、
テロが
撲滅できてこなかったという歴史もあるわけですね。その中で、
日本は
日本で独自の役割をさまざま果たしてきた、これも
日本のこれまでのあり方だったわけです。
もうこれ以上
総理にこの件は聞きませんが、来年には、
日本が久しぶりに国連の安全保障の非常任
理事国になる、さらにはサミットの議長国になる、そういった中で、積極的平和主義のもとで
日本が世界の先頭に立っていくんだということになった場合には、
テロの標的にされるリスクはあると思います。それは、私は、
テロリストをもちろん非難をしなければならないし、そこについてはしっかりとした態度で臨まなければならないんだけれども、
国際社会の現実としてある以上は、そのことを
総理はしっかり御
説明すべきだ、私はそう思います。そのことを申し上げた上で、次の質問に参りたいと思います。
戦争責任について、
総理と少しやりとりをさせていただきたいと思います。
総理は、就任直後の、一昨年の十二月の二十六日に靖国神社を参拝されました。
私も、実は、閣僚のときは、いろいろとさまざまな余波がありますから参拝をいたしませんでしたが、静かな時期に、年に一回程度の割合で靖国に参拝をいたします。
なぜ私が参拝をするのかというと、私の肉親に一人戦死者がおりまして、
細野光男というんですが、この私の親戚を大事にするという意味と、そして戦没者の皆さんに手を合わせるという意味で参拝をいたします。
少しだけ彼のことについて話をしたいと思います。
細野光男というのは、十八歳になった次の日に海軍に入隊をしています。そして、その二年後、一九四四年の十一月の十七日に、南シナ海で水雷艇に乗っていて撃沈をされて戦死しています。この十一月十七日、四四年ですから戦争が終わる前の年ですが、その一カ月前にはフィリピン沖海戦というのが行われていまして、もう完全にその
地域の制海権は
日本は失っていた。その一月ほど後に、
細野光男というのはそこに、船に乗って、水雷艇に乗って戦争に行っているわけですね。
横須賀から行ったそうです。私の祖父からこの話は何度か聞いておったんですが、私の曽祖父ですね、横須賀まで、京都府の綾部という丹波の山奥なんですが、そこから人生最大の旅行をして、送り出して、そしてそのまま戦死をしたと。恐らく、両親もそうですが、本人も、もうこれは行ったら帰ってこられないだろうということは把握をしていたというふうに思うんですね。
昨年、靖国に確認をいたしましたら、この
細野光男は靖国に合祀をされておりました。従来からそうだというふうに思っておりましたが、改めて確認をすることができた。
私が靖国に参拝をするときに、そういう戦没者に対して手を合わせると同時に、やや自分の中で若干のわだかまりがあるのは、一九四四年の十一月という、もうほとんど行っても帰ってこられないときに行ったこの
細野光男という私の親戚と、一方で、そこに行くという判断をした戦争指導者が一緒に祭られていることに関して、私は若干の違和感を禁じ得ない。
そこで、
総理にお伺いしたいと思います。
資料をお配りしました。これは、
総理が就任直後に靖国に参拝されたときに発表された談話です。
この五段落目にこういう文言がある。「
日本は、二度と戦争を起こしてはならない。私は、過去への痛切な反省の上に立って、そう考えています。戦争犠牲者の方々の御霊を前に、今後とも不戦の誓いを堅持していく決意を、新たにしてまいりました。」こうおっしゃっている。
「戦争犠牲者の方々の御霊を前に、」ということで
総理は発信をされました。この戦争犠牲者の中には、恐らく私の祖父の弟である
細野光男も入っていると思います。一方で、靖国に合祀をされている戦争指導者、これが入っているのか入っていないのか。
私がこれを聞くのは、私が靖国に参拝する思いと
総理が靖国に参拝される思いというのはもしかしたら若干違うかもしれない、そこも確認をしたいという思いも含めて、
総理はこの戦争犠牲者の中に戦争指導者を入れておられるか入れておられないか、お答えをいただきたいと思います。