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江川参考人 おはようございます。
江川です。
今回の
法改正というのは、本当に多岐に及んでいると思います。それぞれの
課題をよく吟味することも大切ですけれども、少し視野を広くして全体像をチェックするということもまた必要だと思います。
そうして見たときに、私が一番気になるのは、
裁判の公開、
司法の
透明性、
国民による
検証可能性といった問題がなおざりにされていないだろうかということです。本来、
日本の
刑事司法は少しずつよくなって、
透明性も昔より高まっているはずです。しかし、現実はどうでしょうか。
刑事確定訴訟記録法の制定以来、
裁判記録の閲覧は、
国民はほとんどできなくなりました。
原則は、
刑事訴訟法五十三条の「何人も、」「訴訟記録を閲覧することができる。」だったはずなのに、
原則と例外の逆転現象が起きてしまったわけです。
また、
裁判の公開というのも、形式的な
解釈がなされ、時に非常に形骸化いたします。要するに、法廷のドアが開いていて、傍聴人が入る
機会があればオーケーというのが
裁判所の
解釈のようです。
前回も申し上げましたけれども、オウム
事件の一審は、大半が一九九五年から二〇〇四年に職業
裁判官による
裁判で行われました。このときは、ほとんどの
証人尋問が公開で普通の形で行われました。私たち傍聴人は、
証人の証言態度が確認できました。また、
被告人の家族や友人などの証言
状況からは、オウムなどのカルトによる
事件というのは、
被害者のみならず加害者周辺にもどれだけ大きな悲しみや苦しみをもたらすか、見てとることができました。
二〇一二年に捕まった、
裁判員裁判で裁かれた三人はどうだったでしょうか。元信者の
証人は、非公開だったり、遮蔽措置が施されて見えませんでした。死刑囚は、本人が通常の
裁判を望んでいても、遮蔽されていて見えませんでした。
被告人がオウムに行く前に友達だった人が弁護側の情状
証人で出ましたが、それも遮蔽措置で見られませんでした。
視覚による情報は重要であります。目で見、耳で聞いて、それを総合して
判断したり考えたりするのは、傍聴人も同じです。ところが、高画質な4Kテレビが出てくるという時代に、法廷はラジオの時代に逆行しているわけです。
それだけではありません。ある
事件で、これはオウム
事件ではありませんが、検察側
証人がビデオリンク方式で証言をしたわけですけれども、その上なぜか遮蔽措置になりました。そのため、法廷のモニターが切られ、映像だけではなくて音声までもオフになりました。
裁判官、
検察官、
弁護人の席上のモニターはオンです。傍聴人は、
証人が見えないだけでなく、証言も聞こえないという
状況で
裁判が行われました。傍聴とは傍らで聴くと書きますが、聞こえなくても傍聴人とはこれいかにという感じがいたします。
傍聴人の中に
弁護士さんが一人いて、
裁判を起こしました。これは不当であるというような
趣旨ですけれども、認められませんでした。
それはそうでしょう。これに限らず、
裁判所の問題を
裁判に訴えても全く無駄というのが現実です。
裁判所は自分たちの問題を認めないからです。皆さん方、余り
司法は批判されませんけれども、
冤罪の問題でも最も責任があるのは
裁判所なのに、
裁判所ほど反省というものが見えない役所はありません。心の中でこっそり反省している人はいるのかもしれませんけれども、
国民からは見えないのです。
また、
証拠開示に関連して、検察側
証拠の
目的外使用の禁止というのが昨今つくられました。
かつては、私も、記録を全部読んで、その上でさまざまな人に取材をし、これを検証しつつ記事や本を書くということができましたけれども、今は再審
請求事件でもそれができなくなっています。
記録を読むということは公正な報道に役立つと思います。
冤罪を訴えている人が、その
主張を知ってもらうときに、記録の一部を見せる必要がある場合もあるでしょう。また、
被告人や
弁護人の訴えが信頼を置けるものなのかを確認する手段にもなります。
読んだ人に、プライバシーにかかわる情報や個人情報をみだりに流布させないための対策はもちろん必要だと思います。けれども、
刑事確定訴訟記録法のときと同じように、全て大
もとで元栓をひねって情報をとめてしまうというのは、違うのではないでしょうか。
国民が
刑事司法を通して考えるべき
課題はたくさんあります。
冤罪だけでなく、死刑
制度、知的障害や発達障害と
刑事司法、犯罪の高齢化の問題、テロ対策などなど、
裁判を通じて考えたり研究したりする
テーマはたくさんあります。
刑事司法は法曹三者だけのものではありません。個々の
事件についてはそのように見えるかもしれませんが、
刑事司法という大きな枠で見るならば、それは
国民のものであります。
国民の目から見てできるだけ透明な
制度であることが必要です。
今回、
証拠開示の
拡充ということが
議論されていますけれども、この
機会に、この
目的外使用の禁止の問題についても
改善を
議論していただきたいというふうに思います。
それから、個別の問題について幾つか申し上げます。
きょう
テーマにはなっていませんけれども、
証人についてのビデオリンク方式や遮蔽措置などについて、こういう
透明性を損なう方式や措置は、私は実は
原則として反対であります。
原則としてというのは、わずかな例外はあるということですが、なぜ反対かというと、やはり法廷はパブリックな場、公開の場所であるべきだと思うからです。
証人がそういう場に顔をさらして出てくるのは嫌に決まっています。私がその
立場になっても嫌でしょう。けれども、法廷というのは、やはり公的な場所であり、人々の目が届くべき場所であり、そういう意識と覚悟を持って出てくるところだと思います。嫌だけれども仕方がないということです。
なのに、嫌なことを避ける方法があるということになれば、だったら私
もという人が相次ぐのは当然であります。そういうふうにしてくれなければ
証人として出ないと言われれば、
検察官や
弁護人も、
事件の立証のために、あるいは
被告人の利益のために、例外措置を求めます。こうして例外が積み上げられ、
原則と例外の逆転が起きていくのだと思います。
最初に遮蔽措置が講じられるようになったときは、性犯罪の
被害者など、ごくごく例外的な措置だったはずです。それが、先ほどオウム
事件で述べたような
状況に今なっているわけです。私も性犯罪の
被害者などへの例外的措置は必要だと思いますが、
原則と例外の逆転が起きないような対策は必要だと思います。
それから、きょう話題の
保釈に関する問題です。
刑訴法九十条の
改正というのは、いわゆる人質
司法の対策だと思いますが、申しわけありませんが、こういう微温的な対応では問題は
改善しないと思います。
先日、
法制審議会のメンバーの方に話を伺って、びっくり仰天したことがありました。それは、検察や法務省常連の学者の先生だけではなく、
裁判所なども、人質
司法は
日本には存在しないとの
認識だというのです。だから、問題を
改善するための話をしようにも話が全然かみ合わないということでした。
まさか、この法務
委員会では人質
司法がないなどという
前提での
議論はされていないと思いますが、どうなのでしょうか。
質問は許されないということなので、後でこっそり教えていただければと思います。
これに関して、一番の問題は、
裁判所が、これは検察もですが、
被疑者、
被告人が
否認していることをもって
罪証隠滅のおそれありとすることであります。この問題点はずっと指摘されていますが、改まっていないようであります。
ある
事件を紹介します。
脱税の
嫌疑をかけられた
弁護士さんと元妻の公認会計士ですが、この二人は、逮捕から二年三カ月もの間
勾留されていました。脱税の
嫌疑でです。それは
公判前
整理手続が長引いたということがあるようなんですが、その間、何度
保釈申請をしても蹴られたということです。そして、ようやく
公判前
整理手続が終わり、
裁判が始まり、そして、その結果は一審無罪でした。
検察官は控訴しているようなんですけれども、とにかく一審は無罪です。
村木さんのときもそうでしたが、
無実の人が
否認をするのは当たり前です。なのに、
否認すると
罪証隠滅のおそれがあるととられる。そうして
否認すると長期の
勾留をされる。そういう
不利益を恐れて
虚偽の
供述をしたりして、
冤罪も生まれる。これが人質
司法の怖さだと思います。
否認しているからといって
罪証隠滅のおそれありと
判断してはいけないと、ぜひ法律に書いてほしいと思います。
この脱税
事件については、一審
裁判長が、長期の
拘束は
裁判所としても反省すると述べられたそうです。反省を述べる
裁判長、実に貴重で見識のある
裁判官だと思います。しかし、真に反省すべきはこの方ではありません。第一回
公判が開かれるまでは、いわゆる令状部が身柄に関する
判断をしていたからです。この
事件でも、
公判担当部ではない、東京地裁十四部というところが
判断したというふうに伺っております。
公判前
整理手続になっている
事件は、
公判担当の
裁判所は、検察、
弁護人双方の
主張や
証拠もよくわかっております。
公判前
整理手続中の
身柄拘束に関する
判断は、むしろ
事情がよくわかっている担当部が行うべきではないかなと私は思っています。
公判前
整理手続になると、初
公判までの時間がかかります。
勾留の無用な長期化を避けるための対策を
検討する必要があると思います。
もう
一つの問題は、
勾留の
手続は全くノーチェックの
状態であるということです。
裁判官がどういう疎明資料を
もとに
勾留の
判断をしたのか、
弁護人はわかりません。今回は、起訴後の
勾留に関する条文が話題になっているようですけれども、
捜査段階の
勾留にも問題がいろいろあると思います。
勾留理由開示の
請求の
公判も幾つか見たことがありますけれども、そこでは
判断の根拠が
裁判官から具体的に述べられるわけではありません。疎明資料は後々も
弁護人に
開示されません。
身柄拘束にかかわる
判断について後からチェックされたり研究されたりする
可能性もないまま、若い
裁判官が、まあ
検察官が言うとおり
勾留しておいた方が無難だからと、ばんばん
勾留を認めているんじゃないかと見られても仕方がない
状況があります。おかしな
勾留をしたら後から確認されるという検証可能な
状況をつくる必要があるのではないでしょうか。
弁護人から
請求があった場合、疎明資料は
開示しなければいけないというふうにしたらどうでしょうか。そういった点もあわせて御
検討いただきたいというふうに思います。
今回の法案については、
冤罪被害者の人やその支援者が反対しているというふうにも伺っています。彼らの不信感や危機感は相当なものだと思います。
その不信感というのは、警察、検察、
裁判所だけに向けられたものではないと思います。政治も、今まで幾ら声を上げても動いてくれなかった、自分たちの被害を受けとめてもらえなかった。ところが、厚労省の高級官僚である村木さんがああいうことになり、おまけに検察が
証拠改ざんしたという事態があって初めて政治も
動き、今回の法案になった。でも、そんなことはめったにあるものではない。ということは、この可視化も、これが初めの一歩ではなく、最後の一歩になるんじゃないか、そんな不信感と危機感があるというふうに思います。これはまさに政治の信頼性が問われている、そういう現象だと思います。
これに対して、そうではないんだ、政治はこの問題をちゃんと見ていくし、もっといい
制度にしていくんだというメッセージをはっきり出していただきたいというふうに思います。
録音、録画だけでなく、合意
制度、あるいは先ほど私が例外が例外でなくなっていくというようなことを申し上げた点、あるいは人質
司法の問題点、さらには
刑事司法の
透明性を含めた全体像を三年後に見直すということを、何らかの形で目に見えるように示していただきたいというふうに思います。
特に
透明性の問題については、要求してくる人が余りいないと思うので、全
国民を代表する先生方にその見識をぜひ働かせていただきたいというふうに思います。
先般、アメリカの
司法当局が、FIFA、国際サッカー連盟の幹部らを起訴した
事件がありました。
日本でいえば、起訴状と検察側の冒頭陳述を合体させたような書面が当局からネットで公表されて、
日本にいてもそれを読むことができました。
司法取引でFIFAの元
理事がしゃべった
内容や
捜査協力の
内容についても公表がされました。
日本の
司法も、真の
意味での公開、つまり、
国民の前にできるだけ開かれたものにするという意識で今後とも
制度づくりをしていただきたいというふうに思います。よろしくお願いいたします。
ありがとうございました。(
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