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福田(達)
委員 自由民主党の
福田達夫でございます。
本日は、
地方創生特別委員会におきまして、
与党議員にもかかわらず三十分のお時間をいただきましたこと、大変に、
委員長、
理事の
皆様にお礼を申し上げます。
私
自身、
政治家という
仕事をさせていただく一番の
目標に、
地域に
自立できる力をつける、このことを掲げて、主に
中小企業政策を
中心にやらせていただいております。
この国というものはしっかりと伸びる力があると思っていますけれども、どうも、
成長戦略等で伸びていく力を引っ張るということは
政治の表舞台でもって非常に華やかにやられておりますけれども、実は、この国というものの一番の力というのは、
地域にまだ顕在化していない力、この
潜在力というものをしっかりと真っ正面から見据えて、それをその
地域ごとの特性に合わせて引っ張り出していく、そのことによって、
成長戦略という、より羽ばたく
戦略ももちろんやるわけでありますけれども、足腰から湧き上がるような形でこの国の力を引き出すことができるんじゃないか。
その
観点から、この十年間、
地域のあちらこちらにお邪魔いたしまして、それをやっている
人たちと会ったりとか、もしくはそれをやろうとしている
人たちの試みを調べてきたりとか、そういう
方々を連携させたりとか、そういう
仕事をしてまいりました。
その
観点から、
地方の力を引き出すという
方々がどういうふうな形でもってやってきたのか、また、そういう
方々が、実際、今の日本の国の
政治の中において、こういうふうにあったらいいなとかいうことを持った
視点から今回は御質問させていただきたいというふうに思っております。
まず、私
自身が預かっております
選挙区について
お話し申し上げます。
二市一町一村、非常にコンパクトな
選挙区でございます。
群馬県の一番南側、関東平野の一番北側でございます。三十八万弱の大きな市、そして一番小さなところは千三百人の村、こういう非常にバラエティーに富んだところでございます。この二市一町一村だけ考えても、この二市一町一村が生き延びていく、もしくはこれから飛躍する方法というのは四通りあると思っています。
高崎という一番大きな三十八万の
都市については、
仲間たちに言っておりますのは、
高崎の
中心市街地を
中心として
半径二十キロから三十キロの
人たちに対しては、ああ、
高崎に行けば大丈夫だ、そういう
安心感を持っていただくようなそういう
まちづくりをしようじゃないか。
多少ちょっと外れていってしまうと、ここの
半径に入れますと、大体、埼玉県、県境を越えると深谷とか本庄も入ってまいります。そういう
方々からも
期待をされる。県の境も越えていろいろな
方々が
期待をできる。あそこに行けば飯が食えるかもしれない、あそこに行けば子育てができるかもしれない、そういう
目標を掲げた中で初めて
高崎という
地方都市が、
東京圏という非常に大きな、世界でもとても大きな
地域からも独立して光を放って生きていくことができるだろう、そういうことを申し上げております。
また、一方で、一番小さな村であります
上野村、ここはまたそういうこととは全く違う生き方があると思っています。
ちょこっと御
紹介させていただきますけれども、きょうは
資料を三枚配付させていただいております。一枚目の
資料にグラフをつけております。
上野村というのは、なかなか
皆様御記憶ないと
思いますが、ちょうど三十年前の八月十二日に
日航機が墜落いたしました。墜落いたしました場所が
上野村の奥地、御巣鷹山というところがございます。実は、その事故によって一躍名前が知られた村でありますけれども、
群馬県の中で一番
人口が少ない村であります。
しかし、今の
村長の二代前の
村長が、十期四十年
村長をやっていた方でありますが、この方が、一九七〇年代、まだ過疎という
言葉がない時代から、
人口問題がこの村の最大の
課題であるということに目をつけまして、しかも、それをやはり、
政治の金は使わなければいけない、しかし
経済で
村民を食べさせていく、このことをしっかりと腹に据えて、過去四十年にわたって
村長の代は続きましたけれども、そのことに基づいて
村政をやってきた。まさに
村民全員の父親という形でやってまいりました。その成果だと
思います。
この
資料一は何かと申しますと、
社人研なんですけれども、
社人研の出している
上野村の
人口の推移及び
予測であります。丸がついています下の方の線、これが二〇〇〇年のときの
社人研の
予測であります。もう一本あります三角形のついています線、これが二〇一四年
段階の実績と推計でございます。
ごらんいただいてわかりますとおり、二〇〇〇年のときの
予測では、二〇一五年
段階では八百八十人しかいないであろうというふうに言われていた
上野村が、実際には、これは
国調ベースなので千二百三十八になっておりますけれども、今現在、千三百四十人、
村民がおります。しかも、その中の二割の二百四十人は
Iターンである。そして、さらに、その
Iターンの
方々が、お客様としていらっしゃるわけではなくて、しっかりと、
村づくりのさまざまな
場面で活躍をしていただける、そういう
場面も用意して、長く定住をしていただける、そういうことをやっております。
その結果としまして、さきの
統一地方選挙におきましては、初めて
Iターン者からも
村議会議員が誕生しました。しかも、圧倒的なといっても、しょせんと言っては失礼ですけれども、百何票で決まってしまう
選挙でありますけれども、大変多くの方の
支持を、
Iターン者の方の
支持のみならず、もとからいらっしゃる
村民の
方々の
支持も受けて
村議会議員に当選されたということで、これから先、
上野村というものが、確かに昔からいた
方々だけではないかもしれないが、これから新しい発展をしていくんじゃないか、そういう
期待感を持てるような、そういう
施策をさせていただいている。
ある
意味、
経済がしっかり生きる、市場というものだけで生きるわけじゃないけれども、しっかりとそういうところに食い込んでいくことによって好循環を起こしていくということを試行錯誤している村であります。
しっかりと
地方の生きるという意思を持って、しかも
経済というものを取り込んで
村政をやっていく、これは、
地方創生という我々が今回取り組んでいる、ある
意味、
政治のあり方すらも変えなければいけない、
見方を全く変えなければいけないこの
取り組みに対して、まさに好事例であると
思いまして、実は、先般、三月二十二日に
石破大臣に御視察いただきました。
ぜひ、一番
最初に、
上野村を御視察いただきました
大臣の御感想、御
所見等をいただければというふうに
思います。