○篠原(豪)
委員 ありがとうございます。
夕張は、確かに、おっしゃるように、インフラ資産をそのまま、もともと炭鉱会社がやっていたものを引き継がなければいけなかった。そのときにちゃんとデューデリジェンスというか、やっていなくて、何も
考えずに、炭鉱がなくなったんだけれども、そのまま
住民サービスを何とか維持しなければいけない、次は観光だというふうにやって、何とか人を呼び込もうといっていろいろなものに、それこそ余り計画性のない中で、
行政が普通民間がやるようなことを。
夕張の炭鉱博物館というのはなかなかできがよくて、行ってみるといろいろと勉強になるところではあるんですけれども、それも今、お客さんがいないときは閉鎖している
状態で、電気をつければ動くのは動くんですよ。なかなか難しい
状態だなというふうに
思いました。
海士町の話、今いただきましたけれども、私も、実は海士町へ行って、町長にもお会いしましたし、島留学をやってきた方々ともお話をしました。これは二年ぐらい前だったですかね。
島留学に関して僕が感じたのは、リーダーシップがあって、ある民間の会社だったと
思いますけれども、普通の一流企業のリーダーの方が、何とか隠岐というところで、今の
日本の過疎化の現状も踏まえ、また、田舎をどういうふうに取り戻していくか、町を好きになってもらって、
子供たちにどうやってやっていくか、そういったことをつくった上で町長と組んで
戦略的に、今度は、この町に入ってきた
人たちがこの町に育って、誇りに思って育っていって、いずれまた戻ってきてくれるんじゃないかというようなお話を聞いたので、やはり町長さんはなかなかすばらしい方でして、リーダーシップの違いというのがあったのかなというふうに
思います。
そのリーダーシップというのを
考えたときに、やはり大事だったと思うのが、今、夕張の話で、失敗した
一つの原因というのが、
行政がインフラ資産をそのまま引き継いで、ライフサイクルコストを
考えないで。いまだに
住民住宅というのが何も建てかえられなくて、穴があいたようなところもあって、一方で、
コンパクトシティーみたいなのは県費でやっていたりもするんですけれども。
ただ、なかなか実際に、おっしゃるように、夕張メロンもあって、
地域に潜在能力があるのかもしれないですけれども、あの夕張メロンの話も、もともと炭鉱の時代には、炭鉱の方々がどちらかというといい会社に勤めている
人たちで、夕張メロンをつくっている
人たちは端の方、端というか、わからないですけれども、こつこつとやってきて、今は夕張メロンはよくなったけれども、当時は大変だったというふうにも聞いていて、なかなか難しいんだなというふうに思うんです。今のはちょっと余談ですけれども。
そういったいろいろなものがある中で、
考えなければいけないのは、やはり、いろいろな箱物をつくってきて、
行政が失敗した経験、ホテルも買って、今はある観光会社に引き継ぎましたけれども、スキーリゾートまでそのままで、何とか
経済を
自分たちの手で、夕張を人が集まるところにしなきゃいけないというので、無謀なプランというか、普通だったら、
行政がホテル、スキーリゾートとかを買ったりしないと思うんですよね、そういうことまでやってきた。第三セクターをつくってですけれどもね。
ということで
考えたときに、ちょっと資料を見ていただきたいと思うんですけれども、やはり大阪の問題。
私、実は横浜で市
会議員をやっていまして、横浜からすれば、今回の大阪都構想、一緒に一丸となって戦った中で、すごいなというふうに感じたのが、まずこの負の遺産という紙でございます。
これも、ラスパOSAKAというのが左上にあって、これはスーパー銭湯みたいなものだと御理解いただければと
思います。右下にフェスティバルゲートというのがあって、これはジェットコースターがついた遊園施設みたいなものだと
思います。これは、つくってだめになってしまった、こういうふうに次から次にやってきたわけですね。
損失もいろいろあって、例えば、アジア太平洋トレードセンター、ワールドトレードセンター、これは、似たような施設のものを、例えば、海外からわあっと、大阪を国際ハブ
都市にする、メトロポリスにするといったときに、こういった箱物をつくっておいたらいいんじゃないかとか、いろいろなものをやってきました。
今でも、右下のオーク200というのがあるんですけれども、これは、事業費が一千億円かかっていて、事業がうまくいかなくて、結局、お金を出した側の金融の方に市が訴えられて、今、六百億円を超える額を返していかなければいけないという訴訟があって、大阪地裁で大阪市は負けたんですよ。だから、それは市民の
皆さんの税金で払っていかなければいけない。
遊園地だったりホテルという
意味では何かかぶるところがあって、横浜だと、多分こういうことは想像できない話だったんだと思うんです。
そういった中で、結局十一兆円にも借金が府と市でなってしまって、この負担を誰が背負っていくかといえば、これからの大阪の市民の
皆さん、府民の
皆さんだというふうに
思います。
こういった問題がある中で、大阪は、もう
一つ気になるデータが、みずほ総研が二〇一三年の十月に、今後の三大
都市圏の展望というのをまとめていて、これによると、実は
人口が、
日本のピークは二〇一〇年ですか、そのときから比べて、三十年後の二〇四〇年には百二十万人もの
人口が減って、最も厳しい状況に置かれた三大
都市圏、大阪は三大
都市圏でなくなるというふうにみずほ総研は言っているんですね。
だからこそ、効率的な
行政体制を
整備するために、指定
都市と都道府県との実際の
行政運営の中で、いわゆる二重
行政の解消を図ることが大切です。
その解消のために、さっき横浜の話もありましたけれども、とにかく、形からして、指定
都市の存する区域において、これは第三十次
地方制度
調査会でも言われていることですけれども、できる限り同種の事務を処理する
主体を一元化するとともに、事務処理に際して指定
都市と都道府県の間の調整のあり方を検討することが必要だ。
これに加えて、
住民意思を的確に反映させるために、指定
都市は
人口が大き過ぎるので、
住民に身近な
行政サービスを
住民により近い組織でやろうということで、特別区制度を大阪に適用しようということで、本当に議員立法で大
都市地域特別区設置法を制定していただいて、二百万人以上の大阪のような
都市に特別区ができる手続を確定して、この二つの
意味から都構想をぜひやろうというふうにしてきた、突破をしていこうということが大阪の都構想だったので、形はともかくとして、取り組みとして、私、やはり大事だったんだなというふうに
思います。こういったホテルまでつくっているところを見ますとね。
きのうの質疑の中で、
石破大臣からは、都構想がうまくいかなかった理由というのを幾つか伺っていまして、
一つが、二重
行政の打破が論点となっていた中で、区が五つに再編されて、そこに首長が選ばれるという
住民に身近な特別区という主張がうまくかみ合っていなかったんじゃないかと。
あともう
一つ、今回の投票結果を受けて、投票所でのメディアの
調査について聞いて、七十歳以上の方々が反対になってしまったということについて、世代間における資源配分も含めた
政策決定をどうするかということが投票行動として顕在化してきたんだろうという顕著な例だったということになった中で、基礎
自治体の首長と
住民で話し合われるべきだけれども、明確には難しい答えであり、それで、先ほど海士町の話をいただきました。あと、鹿児島は、たしか伊仙町の話もいただいたんです。
その話はわかるんですが、大
都市をどうするかという話が一方でありまして、小さな単位で手の届くところだったらまだいいんだと思うんです。ただ、大
都市という大きな
課題を抱えて今やっていて、第三十次
地方制度
調査会どうするかといったときに、大
都市において本当にどうしたらそういうことができていくんだろうかということを、今回
住民投票がうまくいきませんでしたので、改めて思っているんです。
今後の方向性を
考えたときに、
石破大臣からは、きのう、
国家というものは夜警
国家であればいいというぐらいの役割をやっていくべきだろうというお話をなさっていて、その後に、道州制にするかどうかというのは全国町村会が反対しているわけで、こちらも今ロジカルに話がかみ合ってないという問題があるんだということをおっしゃっていました。今の中央の省庁がどう変わるのか、国と
地方政府の議会がどういう
関係なのかという
議論がほとんどされていないことが問題だろうというふうにおっしゃって、私もそう思うんですね。そういったときに、時間だけが過ぎていくというのは物すごくもったいない。
お金だけは、借金、大阪の場合は、借金が十一兆円で、利息だけで一日四億円なんです。利息ですよ、一年で一千四百四十億、十年で一兆四千億という感じなので、そういったものも含めて、いろいろな
自治体がこうやって、ある
意味倣うんだと思うんですけれども。
そこで、基礎
自治体による
住民自治を身近にするためにどうしたらいいかということで、ちっちゃな、観察単位が違いますから、海士町とか伊仙町じゃなくて、二五年の問題というのもお話しされていましたけれども、これは大
都市においては急速に進むという問題でありますので、では、そこに向けて大
都市はどういうふうに変わっていくべきなのかということについてのお
考えを伺います。