○伴野
委員 民主党・無所属クラブの伴野豊でございます。
時間が予定より押しておりますので、早速
質問に入らせていただきたいと思います。
そうした中で、
国鉄改革から正確には二十八年、間もなく三十年ということだと思いますけれども、
国鉄改革をしばらく振り返りながら
質問に入らせていただきたいと思います。
まずは、安全は
輸送業務の最大の使命である。多分この
言葉は、三社長さん、もう骨身にしみていらっしゃる
言葉ではないかと思います。これは
日本国有
鉄道の安全綱領の第一項に書いてあることでございます。
あえて、気合いを込めて、ぽっぽ屋という呼称を使わせていただきたいと思いますが、毎日毎日、ぽっぽ屋は、おはようございますと言う前にこの安全綱領を何度となく口にして、背筋を伸ばして現場に出たものでございます。そこには浅田次郎原作、高倉健主演のあの「
鉄道員(ぽっぽや)」、乙松の世界がありました。かつて全国にそうしたたくさんの乙松がいて、列車が運行されたと記憶をしております。現在でもたくさんの乙松が各
地域で頑張っているから列車は動いているのだと思っております。
誇り高き集団でございます。たくみの集団でもあると言っても過言ではないと思います。まさに、
日本の高度成長期時代から機関車のごとく
日本の経済を引っ張り、そして支える意識が強くあった集団でございました。
しかしながら、昭和三十九年に
赤字に転落しました。皮肉にも、それは東海道新幹線の開業の年でございました。その後、幾度の再建計画、
経営改善計画が出されましたが、出しているやさきから修正がかかるなど失敗を重ねたのが、残念ながら当時でございました。労働組合の問題もありました。革マル問題もその当時からありました。そして、迎えた昭和六十年、もう後がない、いよいよという危機感の中で、
国鉄分割・
民営化が決定され、そして昭和六十二年四月、断行されたわけでございます。あれから二十八年、間もなく三十年、万感の思いがございます。
その当時、世界的にも、残念ながら
鉄道は斜陽産業とも言われておりました。一部の
会社は生き残れるかもしれないけれども、そのときの給料は
国鉄時代の六割とやゆされる専門家、有識者もその当時たくさんいらっしゃいました。あれから二十八年でございます。
本州三社は
完全民営化。今や新幹線という
言葉は世界共通語になりつつあります。しかしながら、新幹線と呼んでいいのは私は
日本の新幹線だけだと思っております。他国の高速
鉄道は、あれは新幹線ではありません。安全性、定時性、サービス水準、成熟度、格段に違いがあります。今や、その新幹線がリニアの新しい時代に入ろうとしております。
そうした中で、今回
JR九州さんの
上場へ向けた取り組み、動き、大変喜ばしく、心からエールを送らせていただきたいと思っております。しかしながら、六二・四は、今振り返れば、本当に
九州さんが
完全民営化できる日が来るのか、正直言って冗談の俎上にも当時はのっていなかったのが実情だったと思います。今日までの御努力には心から敬意を表させていただきたいと思います。
国鉄改革の成功の理由にはいろいろあろうかと思います。しかし、忘れてならないのは、私は、国民の皆様方の御理解と御
支援、つまりは、お客様としての公的
支援、あるいは公的財政としての、スポンサーなるものとしてのお役目。責任の所在をはっきりさせるという先ほどの
大臣のお
言葉をかりれば、そうした先人たちの
地域ごとの努力もあったと解釈をいたします。
また、過去の親方日の丸、何をやらかしても潰れないだろう、そういった意識から、やはり、
民間会社になったらこれから給料はどうなるかわからない、お客様第一のサービスをしてこその
鉄道である、こういった意識改革が私は根底にあったからこそ今日があるんだろうと思っております。
そういった
意味でも、いま一度、
国鉄改革の原点、姿勢に立ち返って、きょうは
質問をさせていただきたいと思います。
指針については同僚議員からたくさん
質問がありましたので、それ以外の重複しないところを端的に
質問をしていきますので、回答の方も端的にお答えいただきたいと思います。
まずは、新幹線リース料のお話。
そもそも新幹線リース料というのは何たるものか。どう算出しているのか。
鉄道局長、お教えください。