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吉田(豊)
委員 済みません。ちょっと踏み込んだ
質問とは
理解しておりませんでした。失礼しました。
閣議決定については、私の
理解でございますけれども、当然、出された最新のものが今の現職の閣僚、総理
大臣はもとより皆さんがそれに従っていくということだろうというふうに私は思っております。
それであれば、当然、七十年談話という話もうわさには出ておりますけれども、まだ出されたわけでも何でもございませんので、きょうの答弁なさっている話を聞いていましても、安倍
内閣としてはという前振りが必ずつくんですけれども、そういうことを言う必要もなくて、既に今現時点で生きているものについての
認識をそのままおっしゃればいいんじゃないかなというふうに私は感じたものですから、何か、そういうやりとり一つ一つが、閣議決定というものがどういう位置づけなのかということもわかりにくくなるんじゃないかなと思うんですね。
今回の
平和安全法制一つをとっても、去年の閣議決定というものが一番ベースにあるわけですから、その上で、いろいろなものが積み上がっている。そうすると、閣議決定の重みというのは何かなというところもやはり私は出てくるというふうに感じるところでございます。
具体的に、わかりやすさということから入りますが、わかりにくいのはなぜわかりにくいかというと、例を出されるんです。この例というのは、もしかしたら、難しいものをわかりやすくするために例が出てくるはずなんですけれども、例について
説明されればされるほど、どんどんまたわからなくなってくる。それは例に値しないんじゃないかなというふうなことを私は違和感として感じるわけです。
それから、今度、プロセスについての不信感というか違和感というものを私は持っています。これは、例えばこの
委員会の中ででも、大きな意味で憲法にかかわっていることなんだったら、きちっと憲法について変えることの信任を仰げばいいんじゃないか、こういう言葉が出ると、例えば、私の中では、前回の総選挙というのは経済についての作戦をどういうふうにしていくかということについて
国民の皆さんが御
判断されたと
理解しておりますけれども、この閣議決定はその前にやっているから、これについても
国民の信任を得ているんだというような
考え方、こういうのも、そう言われればそうかなと思うけれども、そうでないな、違和感を感じるなというところもやはりあるわけです。
また、この
委員会では、座して死を待つという非常に重たい言葉も結構出てきます。この座して死を待つというのは、私は、そういう
状況がないとは言いませんが、やはりかなりの極論であって、そして、これを頻繁に使うというのは、
理解しようとしている
国民を、ある意味何かばかにしているんじゃないかなという言葉は言い過ぎかもしれませんけれども、もっともっと違う言葉で
説明できるはずじゃないんですかというふうにやはり思います。
こういう、私は、一般の
国民として感じるであろうということを幾つか並べさせていただきましたけれども、具体的には、この
法案について
説明が入る、そして、
説明があると必ず、幾つかの選択肢があるはずなのに、これしかないというような
説明があるんですね。そうすると、その上で、それが具体的にこれしかないと言ったときに、もう一つあわせて具体性がないわけです。こういうことでは、私は、やはりこれ以上同じことを、これだけどんどん繰り返していても、この
委員会でも、もちろん
国民の皆さんにとっても、
理解は深まらないんじゃないかな、こう思うわけです。
こう考えると、根本的にこの
法案というのはこういうでき上がりになっているんじゃないかなというふうなところにも行き着くと私は感じています。具体性を欠いている
法案の仕上がりだからこそ、これ以上具体的には
説明できません、それが一番合理的なことにつながっていくんじゃないかな、こういうようなことも思うわけです。
具体的に、私は、きょうはホルムズの例についての違和感に入らせていただきたいと思います。残された時間を使って、ホルムズの例というのはいかに例に値しないかということを、ホルムズ潰し作戦ということで展開してみたいと思うわけです。頑張ってまいります。
まず、何よりも、ホルムズの例というのはやはり
国民からすると距離的に遠いんですね。距離感として、
我が国の平和という言葉が頭について、そうすると、当然私
たちは
日本国民として自分の身近なところから物事を考えますが、こういうときに遠いんですわ、そこは。
そして、具体的に
国民が何を失うことになるのかというところを私は注目したいと思います。
きょうの午前中の
中谷委員が非常に大事な言葉を語っておられたと思います。
委員が語っていらっしゃった
リスクという言葉、御
自身が
自衛隊を経験なされているということでしたから、私以上によほど重い言葉として
リスクを語られたと思います。最終的には、失ってはいけないものがあるから、
リスクをかけてでも
任務を受けて、そして
自衛隊が出ていくんだ、それは具体的に、
訓練のときでさえ命がかかっている、こういう重みのある言葉も一緒におっしゃったわけです。
そうすると、今度は、
自衛隊を初め、そういう
現地に行く皆さんに対して行ってこいと言う、言う方の重みというのは当然私は要求されるだろう、こう思うわけです。
行ってこいと言う方にも
覚悟が要るわけで、それは、行ってこいと言うのは当然
政府であったり
国民である、そういうわけなんですが、私は、具体的に、こういうときに、ホルムズというのは経済的な
危機という言葉でも累次
説明されておりましたので、簡単に言うと、
国民として腹が減って困るから機雷をどけてきてくれ、こういうようなことを
自衛隊に対して言えるのか、簡単に言えるのかという話じゃないかなと思うわけです。(発言する者あり)わかりにくかったですか。失礼しました。
そこで、改めて、私は、何を失うのか、このホルムズの例というのは
日本として何を失うのか。失うものはこれこれこれだ、だから、それを失ってはいけないので今動きが出るんです、動かなくちゃいけないんです、これが一番わかりやすいわけです。
もうちょっと簡単なところからいきますけれども、
国民の皆さんは、ホルムズ海峡といっても具体的なイメージを持っていらっしゃらないと思うんですね。
中谷大臣に、簡単に、例えば海峡というのは一番狭いところで何キロぐらいあって、そして、機雷の敷設ということになっていくわけですから、相手は誰でもいいです、誰でもいいですけれども、機雷を敷設するとなったときには、具体的に、どれぐらいの時間をかけてそれが行われるだろうということ、それから機雷が浮いているのか沈んでいるのか、そういう簡単なことで結構ですから、
国民がイメージできるようなことを教えていただきたいと思います。