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アントニオ猪木君 危なくでかい声が出そうでした。
予算委員会のときに、安倍総理に元気ですかと言ったら、
委員長が心臓に悪いからやめてくれと言われました。その翌日、外交防衛
委員会では
委員長にお断りをしたら、震災時にも言って皆さんが元気になりました、どうぞやってくださいということを言われましたが、今日は、先ほどできるだけ小さい声でというふうに、喉がちょっとやられているものですから、今日は声が出ないので、次回またやらせていただきますけれども。
政界もいろいろ、毎日、
新聞を見て、テレビを見ていると問題が絶えませんが、先日は二
大臣が同時に
辞任されて大変だなと思っているんですが、一部でこの責任は、任命責任があるんじゃないかと。英語でアルファベットはABCと言うんですけど、ラテン語だとアーベーセーと言うんです。安倍総理に責任があるのかなと。まあ本当にふざけたことを言うなと言う人もいるかもしれませんが、冗談とふんどしはまたにしろと怒られるかもしれませんので、本題に入りたいと思います。
私も、十四歳のときにブラジルに移民をすることになりまして、一家を挙げてブラジルに着いて、翌日トラックで奥地に入って、そしてすぐコーヒー労働という、全くさっきの
教育を受ける環境になく過ごした時期があります。
私にとって、特にいろんなところを、プロレスラーであり
国会議員でもあって、世界中いろんなところを回りました。そうすると、必ずその土地でニュースになって、
日本人
学校の
校長先生、先生が、是非
学校にも来てくださいと言う。私も正直言うともう体がぼろぼろで、肩は外れ、膝はもう打撲している、でもそんな
状況の中でも、やはりそういうさっき言ったブラジルの経験もあるものですから、是非訪問しようということで朝一番で起きて行った経験があります。
その中で、いろんな国も行きましたけど、
一つ思い出に残っているのが、ドイツのデュッセルドルフという、この小
学校は相当生徒もいたと思うんですが、
日本の空とドイツの空をつなぐデュッセルドルフというかな、二番目が
日本の土地とドイツの土地を結ぶ、三番目が
日本の友とドイツの友が結ぶデュッセルドルフという、そんな校歌だったと思いますが、非常にちょっと涙するような感じがしました。
そんな中で、今、
日本人
学校というのは、この間お聞きしたら五十か国ぐらいあるというんです、海外に。先日はパキスタンに、小
学校にも行ってきましたが、本当に
日本人の商社マンとか外務省の
子供とかそういう方が行っている
学校。非常に、この辺はへき地というか、いろんなところに行くと、やはり
子供たちが
教育を受けられない場面があるということで、本当にもうちょっと、私もいろいろなところを歩いたときに
視察をこれからしていこうかなと思っていますが、途上国における
学校教育が大変関心もありますので、その辺の事情をちょっとお聞かせいただければと思います。