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小西洋之君 なぜ法制局長官自らがそういう認識に至ったのかを私は聞いているんですけれども、答弁はされませんでした。
答弁がもうめちゃくちゃずれちゃっているんですね、法制局長官。七月の十五日は、私はそういう認識には至っていませんと、そういう
審査をしていませんとあなたはおっしゃっていました。国家
安全保障局からそういう
説明を受けたので、そういう事実があり得ると、そのような事実があり得るという
説明を前提として法的な論理について検討したということでございますと言っているのに、先ほどは認識したと言い始めたんですね。じゃ、認識したんだったらどのように認識したんですかというと、答えられない。もうめちゃくちゃずれているじゃないですか。
両
大臣にお聞きいただきたいんですけれども、こんな憲法解釈を引きずってこれから内閣を運営されるんですか。もたないですよ、こんなもの。もつわけないですよ。
あと、私は国会議員としてもういろんな活動を今やっていますけれども、これ、もちませんよ、こんなもの。やっているというのは解釈改憲を阻止する活動ですけれども。もつわけないです、こんなもの。法制局長官が国会議員から法律論を議論されて、全く答弁できないじゃないですか。ひたすら答弁拒否ばかりやっている。これをずうっと続けるんですか。今度、私、予算
委員会のテレビ入りで総理
大臣や各
大臣にやらせていただきますよ。もつんですか、こんなもの。もたないんですよ。これ、めちゃくちゃなクーデターをやっているんですよ、誰が考えてもおかしい。
ちょっと何がおかしいか御
説明します。このカラーの資料がございますけれども、これ一枚おめくりいただきますか。時間がないので結論だけ申し上げさせていただきますけど、なぜ、平和主義の憲法の下で、条文を変えない限りできないと言われていた、集団的自衛権の行使ができることになったのかと、これは大きく
二つの暴挙を犯しているからなんです。
一つは、今追及している立法事実、でっち上げているからです。
我が国に武力攻撃が発生していない状況では、生命や身体が危険にさらされる
日本国民はいないとずっと言っていたのに、六十年間以上、歴代の内閣は誰も見付けられなかったのに、安倍総理
大臣と
横畠長官は見付けたと言い始めたんですね。じゃ、誰なんですかと聞くと答えられない。あり得ないものをあり得ると言った瞬間に、全ての法規範、それを擦り抜けることができるんですよ。
例えばこういうことなんです。私、かつて
総務省で放送法を所管していました。放送ですね、広い領域に電波を持つ地上波と言われるものですけれども。憲法二十一条の言論、報道の自由がございます。
原則自由です。ただ、国民に対していろんな影響がやっぱり起こり得るので、その言論、報道の自由の
趣旨を踏まえた、つまり放送
事業者の自主性を尊重した、そういう非常に緩やかな規制だけが入っています、入っている。
ところがです。
総務省の官僚が内閣法制局に、新しい立法事実を発見しました、放送局の電波によって国民の思考回路が根底から覆される、そういうことを我々は発見しましたと言い始めたとします。すると、法制局長官が言っていることは、それを法制局は
審査していないと、
日本の地上波のテレビ局の放送によって国民の思考回路が根底から覆される、それって一体何なんだと、なぜ覆されるんだと、について法制局は
審査していない。ただ、
総務省がそう言うので、分かりました、憲法二十一条の解釈を変えて、放送の番組の個別の
内容まで規制できるような、そういう憲法規範にします、その下でそういう法律を作ります、それと全く同じことをやっているんですよ。こんなことをやった瞬間に、憲法九条以外の全ての憲法の条文というのは滅んでしまうんですよ。
それが
一つですね。このカラーの絵ですけれども、そのからくりですけれども、なぜ解釈改憲が可能なのか。
一つは立法事実のでっち上げ。
もう
一つは、このでっち上げをしても、なお
我が国の平和憲法というのは、この平和主義の法規範によって集団的自衛権を排除できるはずだったんですよ。実は平和主義のこの基本論理というものを切り捨てているんですよ。内閣法制局においても、何の
審査資料も持っていないし作っていない。かつ、国家
安全保障局においても何の
審査資料も作っていない。かつ、いろんなところに出回っています、私も与党
協議の全資料見ましたけれども、与党
協議の中にも、この平和主義の法理について何ら検討していません。全く検討していない。
平和主義の法理、前回の
委員会でも申し上げましたけれども、三つ憲法の前文に書いてあるんですけれども、全世界の国民に対して、戦争の恐怖や欠乏から免れて平和のうちに生存する
権利、全世界の国民に保障する平和的生存権を
我が国の憲法は
確認しているんですよ。にもかかわらず、
日本に攻めてきていない国に、先ほどのイランのケースです、イランは
日本に攻めてきていないのに、
日本がイランまで自衛隊を派遣してイランの軍人や国民を殺りくして石油を確保する、全世界の国民に平和的生存権を
確認する平和主義の国家がそんなことができるかといったら、できっこないんですよ。
あるいは、平和主義の、先の、第一の方ですね、こういうふうに書いています。
日本国民は、
政府の
行為によって戦争の惨禍が再び起こることがないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定すると書いています。これは
政府の国会答弁でも確立していますけれども、
政府の
行為によって戦争の惨禍が再び起こることがないように、つまり、
政府が勝手に国民に無断で憲法上禁じられている戦争を起こすことがないように、二度とないように、過去の戦争のようなことがないように、だから国民主権を採用したんだと。
国民主権の究極の行使は憲法改正権ですよ、国民投票です。つまり、国民投票をやらずに集団的自衛権という新しい戦争を起こして、自衛隊員を死に至らしめて、かつ
日本国民を戦争の惨禍で死に至らしめることを
我が国の平和主義は許していないんですよ。こういう法理を全く検討していないから、こういう解釈改憲が実現できているんです、強行できているんですよ。その結果、下の絵ですけど、もう無限定ですよ、歯止めがない、恐ろしい、ぬえのような新三要件ですよ。そういうものであるということを御
指摘させていただきます。
じゃ、資料の六、法制局長官、いいですか。法制局長官、さきの十月の十六日のこの外防
委員会の
審議で、資料の六ですね、先ほど申し上げました集団的自衛権の行使を、必要不可欠性を根拠付けるその立法事実、目的の必要性と手段の合理性について、一番下の(A)、(B)ですね。(B)しか
確認していないと言っていた。(B)は我々も
審査するのかどうか分からないですけど、(B)はあるんじゃないんですかと言うんですけれども、(A)ですね、
我が国として国際
関係において実力の行使を行うことを一切禁止しているように見える憲法九条のそういう文理を乗り越えて、集団的自衛権という新しい武力行使を可能にする解釈の変更が必要不可欠だと、そういうことを論ずる根拠、それが上の(1)、(2)になるんですけれども、それが必要なんですね、
一つ、この解釈の変更には。
で、もう
一つ。この
我が国会、
委員会で、今後、安倍内閣が強行する限りは、集団的自衛権を解禁する自衛隊法の改正等々の法案
審議を、まあ我々としてはそれ以前に安倍内閣を打倒するためにもう政治生命を懸けて闘いますけれども、やろうとされるんでしょう。ただ、そうした場合でも、そういう法律が憲法九条に違反しないのか、そこも立法事実の問題になるわけでございます。それで、前回も申し上げました昭和五十年の最高裁違憲判決で、立法事実の不存在を理由として、ある法律、薬事法という法律ですけれども、違憲無効であるというふうに切って捨てられています。
法制局長官に伺います。(B)のところですね、集団的自衛権を行使することにより生命が失われる自衛隊員その他の国民との
関係において、このように国民の
権利を制限し国民に義務を課す法律を具体的に整備するときの、その立法の合憲性の根拠、これについては法制局は
審査するということでよろしいですね。