○
鈴木(望)
委員 維新の党の
鈴木望と申します。
それでは、引き続いて
質問をさせていただきたいと思います。
我が党の立場といたしましては、確かに、国民的な大イベントであります二〇二〇年の
東京オリンピック・
パラリンピックが成功してもらいたい、これは誰しもが同じ気持ちだろうと思いますけれども、そのために
専任の
大臣を置いて
準備万全、遺漏なきを期すということは否定するものではありませんが、一方で、同じ効果を発揮するのであれば、なるべく行財政改革という視点も抜かりなく持っていなければならない、そのことを私どもの党としては主張しておりますので、その点について、せっかく設置をするのだったら、意義のある、本当に設置をしてよかったというような
役割をぜひ果たしていってもらいたいという観点から、
パラリンピックについて
質問をさせていただきたいと思います。
先日、韓国の仁川で行われましたアジア
大会、超党派のスポーツ連盟の調査の一員に加えさせていただきまして、行ってまいりました。国を挙げて韓国が仁川
大会を頑張っている、そのためにいろいろ努力をされているというのはよくわかったわけでありますが、アジア
大会の
パラリンピック版については、アジア
大会そのものよりも、どうも盛り上がりに欠けていたというような報道がなされているわけであります。
率直に言わせてもらいまして、スポーツが発展してきた歴史を
考えますと、これは仕方がない面もあるのかなとも思います。障害者スポーツはリハビリの一環として発展をしてきたということがございますし、そういった事柄から、まだまだ障害者スポーツ、その
世界大会であります
パラリンピックについて、国民の関心、またそれに比例します報道
体制等々が劣っているというのは否めない事実じゃないのかなというふうに思うわけであります。
そういう観点から、二〇二〇年の
東京オリンピック大会が、
パラリンピックにとってもまた記念すべきエポックメーキングな
大会となるようにする、それは
意味のあることじゃないのかなと思っております。
私ごとを言いますと、私が厚生労働省と言われる前の厚生省に入ったとき、最初に配属されましたのが社会局の更生課というところでございまして、そこは
障害者福祉を
担当している課でありますけれども、そのころ、障害者を単に家とかそういうところに閉じ込めておくのではなくて、スポーツもやってもらうというようなことで、障害者スポーツというものが芽生えてきたというような時期でございました。
そのときに密接不可分に結びついていたのがリハビリということで、理由にもなるわけですけれども、障害者のリハビリにもなるから、ぜひ障害者スポーツというものはもっともっと振興しなきゃならないと、障害者スポーツの父と言われております中村先生なんかも旗を振って、大分の車椅子マラソンとか、そんなことを実施して、だんだんそれが、一つの転機となったのが五十年前の
東京オリンピックで、多分、記録的にはローマ・
オリンピックのときから
パラリンピックが始まったと公式にはされているということでありますけれども、実際、
パラリンピックという名前がついたのは、実質上使われていたのが一九六四年の
東京オリンピックじゃないのかなというふうに私自身は記憶をしているところであります。
そういう
意味で、五十年後の、二〇二〇年の
東京オリンピックが、一九六四年の
東京オリンピックに次ぐエポックメーキングな
大会になるようにということで、同時
開催の可能性、いろいろ
質問がこれまでも出ておりますけれども、改めて、
オリンピックと
パラリンピックを同時
開催する、その可能性を追求すべきではないかと思いますが、その点についてお尋ねをいたします。
〔
井上委員長退席、
西川委員長着席〕