○
土屋(正)
委員 きちっとした
問題点の御
指摘をいただきまして、ありがとうございました。
私が申し上げましたのは、この十数年来、
大臣が
農水大臣になられたころ、相当思い切った発言をなされました。残念ながら、あのときは任期が短かったわけでありますが。私は、そのころも含めて、相当、あのころは今よりも、今のような
お話をするともっと
抵抗があったんだろうと思います。私もそばで見ておりまして、これはもうなかなか大変なことをなさっておられるなと思っておりました。
しかし、私が申し上げたかったのは、おかげさまで、
時代とともに、いろいろな
構造改革をやろう、
時代に合った
構造改革をやろうという機運が出てきたんだろうと思います。それは
農林水産業もそうでありますし、同時に
建設業も、今
お話が出ました、
インフラの
維持をやるためにはどうしたらいいのか、従来型の手法でいいのか、あるいはさらに一
工夫する必要があるのか、まあ、あるんですけれども、そういう方向にいろいろ問題が変わってきたと思います。
これはすばらしいことなんでありますが、私がぜひ申し上げたかったことは、いずれにせよ、
公共的な
資源を要することでありますから、これからも、この三つの
産業にかかわるものについては、しっかりとした、
時代と
構造改革に合わせたような
資源を投入していくということを明示しないと
地方は不安になる、このように思うわけであります。そうですからね。よろしく。
次に、三点目の
質問として、
政策提言を含めて申し上げたいわけでありますが、今一番最初に
大臣がおっしゃったことは、何で
都市住民と
農業に携わる者が
相互理解が少なくなったんだということをおっしゃいました。私も、その断絶ということを非常に気にいたしております。
先ほどのように、三
大都市圏に七五%、
首都圏だけで五〇%近い富が集まるときに、いずれにせよ、その富を使って
地方を元気にする
政策を打っていかなければならないときに、これに反対する
政治家が
大都市で出てきたら、これは相当
抵抗感があるんだろうと思います。
お互いに支える
大都市住民と
地方の
相互理解を進めていくことが大事だと思って、具体的な提案をしたいと思います。
私は、三十一年前に
東京都
武蔵野市の
市長となりましたが、就任以前から
農山漁村の持つ多面的な高い
価値に注目をしておりました。緑豊かな
山河、広大な海、とにかく気持ちがいいわけであります。癒やされるわけであります。
日本一の
過密都市武蔵野市では到底味わうことのできないものばかりでございました。
また、
農山漁村の市町村との
防災協定を結ぶことも大切であります。就任したとき、
富山県利賀村、現在の
富山県
南砺市と一市だけの
姉妹都市でございましたが、二十年間に八つの
都市を新しくつけ加えて、
姉妹友好都市のネットワークをつくったわけであります。
また、さまざまな形で
市民交流を進めると同時に多面的な
交流を進めてきたわけでありますが、
石破大臣が当時は
防衛庁長官のときのことでございましたが、この御縁で、鳥取の山と海に
親子で行く家族の旅を企画、実施したのは二〇〇三年のことでございます。
親子四人、五泊六日の旅で、一組十三万円、これは高いか安いか、五十八組百九十二人が参加しました。
武蔵野市の
都市交流事業は、原則、実費は
参加者負担なんですが、とはいえ、このときは、
夜行寝台特急を使い、帰りに飛行機を使ったので、一組三万円程度の
補助をいたしました。また、現地のマイクロバスの借り上げなどは、各町のバスなどを提供してもらいました。私が
市長を去った後も、この
事業は
参加者を半分にして現在続いているわけであります。
委員、
理事の
皆さん、一組三万円ということは、これ全体にかかる費用はわずか二百万円
足らずの公金の支出なのであります。
その結果、どういう効果があったかと申しますと、例えば、
子供たちの楽しかったことという感想文を、幾つかあるんですが、一、二読んでみますと、自分でつくった釣りざおでの魚釣り、滝つぼの滝に打たれたこと、竹を使った流しそうめん、一人っ子のために、民泊先のお兄さんと夜遅くまで遊んでもらい大家族の一員となれたこと、こういうことなどが、ずっと感激した様子が続くわけであります。
では、大人の目から見たのはどうだったか。民泊した家族の優しさと温かさが忘れられない、
日本にもまだ美しい自然が残っていて、自然と
共存する方法は幾らでもあると実感した、コンビニ、自販機もない、
東京で
生活する
生活を考え直した、家族のきずなを改めて、今までこんなにゆっくりしたことはなかったなどなどの、参加した親も深い感銘を受けているわけであります。
また、当時の片山善博氏が私に話していたことは、あるとき空港で町のおじいさんに会った。そうしたら、どこに行くんですかと言ったら、
東京の孫のうちに行く、こう言った。ところが、そのおじいさんはたしか
東京には孫はいないはずだったがな、こう思ったら、実は民泊のときに泊まって一緒にしたその子供の
東京の家に呼ばれていくと。
東京の家は狭いですから、残念ながら泊まれないんですけれども、近くのホテルに泊まって、それでみんなで食事したりディズニーランドに行ったりするということを言っているんですよ。
東京の親戚に行くということにまでなったんですよ。こういうのこそ、まさにウイン・ウインの
関係ではないかと思います。
もう
一つの事例として、
武蔵野市
教育委員会がちょうど二十年前に始めたセカンドスクールを御紹介いたしたいと思います。
これがパンフレット、資料でございます。ここには、「出会う・ふれあう・見つける・感じる 生きる力をはぐくむ セカンドスクール」、こういうことになっておりまして、生きる実感、これは簡単に申し上げますと、小学校の五年生全員が六泊七日で
地方の自然に恵まれたところに行って、
農山漁村で農作業に従事したり、あるいは自然体験をしたり、こういう授業なのであります。
これは、
教育委員会が相当思い切らないとできません。当時は労働組合の反対も強かったわけであります。労働強化ということであります。五月や六月、九月や十月の学期中に一週間行うわけであります。
いろいろなところへ行きます。長野県、新潟県、
富山県、群馬県、山梨県、ついこの間までは山形県、鳥海山の麓の遊佐町まで行ったんですが、三・一一の避難民との
関係で、残念ながら、これが使えなくなりました。
ここに参加した
子供たちは長期間親元を離れるのが初体験なのですが、最初不安だった子供も日が増すにつれて元気になります。民泊を中心に、
農林漁業の体験や
地域のお祭りに参加したり、自然観察や満天の星を見たり、時には友達とけんかしたり、また仲直りして、これは一週間がいいんですね。二泊三日ぐらいだと、
東京の仮面をかぶったまま帰ってきちゃう。やはり、一週間たつと、我慢し切れなくなって素顔が出てくるわけであります。一旦けんかしていたのがまた仲直りして、子供と子供の
関係、子供と先生の
関係が変わってくるわけであります。そして、これを見て、先生の教師魂にも火がつくわけであります。
もちろん、二十四時間勤務ではばててしまいますので、各民宿の
人々、
地域の
人々、
生活指導員、看護師などの共同作業によって、
子供たちは見違えるようになるわけであります。
これにかかる費用は、一人九万円で、九百人で約八千万円。義務
教育課程の正規の授業ですので原則無料ですが、一日二千円の食費を徴収します。自宅にいても食べるんですから、当然です。親は誰一人として、感謝こそすれ、不満を言いません。
自然体験
教育の推進は、文部科学省の学習
指導要領に記載され、
全国九〇%近い学校が取り組んでいますが、ほとんど一泊から二泊が多いのであります。市町村財政に余裕がないのが原因です。現在、
全国で五年生は百十万人ですので、一千億弱でこれが
全国一斉に、百十万人が六泊
地方に行くことができたら、すごいですよね、六百万人が行くんです。
都会生まれ
都会育ちの人
たちが
地方に移住するのは大変です。仮に
仕事が保証されても、思い切れません。
地方創生には、
都市部、とりわけ三
大都市圏に住んでいる六千万人の
都市住民に
地方の魅力を知ってもらうことが大事であります。子供が目覚め、子供につられて大人も目覚めるんです。新しいタイプの
公共事業なんです。ソフトの
公共事業なんです。自然体験
教育こそ、自然と
農林水産業への理解を深め、人と人とのきずな、また家族の
あり方と生きる
意味を考える、国を救う
教育ではないでしょうか。
さらに、幼児も子供も青壮年も、そして
高齢者も、国民全員が年に一度ふるさとや新しく見つけたふるさとに帰る大帰郷運動、大国民運動がこれから始まらなければならないと思うわけであります。
この
子供たちの感想もたくさんありますが、時間がなくなってまいりましたので割愛しますが、しかし、この
子供たちが本当に感動しております。そして、
子供たちが変わるんです、元気になるんです、生き生きとなるんです。この間、
務台議員と一緒に現場に行ってまいりました。
子供たちの声がでかいこと、でかいこと。こんにちは、あんな声は
東京では聞けません。
でありますからして、ぜひこういった新しいタイプの
公共事業、ソフト
事業でありますが、このことを推し進めていただきたいと存じます。
大臣の所見をお聞かせいただきたいと思います。帰りなん、いざ、田園まさに荒れなんとすであります。