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富田委員 理事会の御了解をいただいて資料を配付させていただきましたが、資料一を見ていただきますと、諸外国でどういった
取り組みがされているかがポンチ絵で出ております。
フィンランド、スウェーデン、ドイツ、フランス、スイス等書かれております。私は、昨年の九月、ことしの一月、そしてことしの八月から九月にかけまして、スウェーデン、フィンランド、フランス、ドイツ、スイスと全部回って、処分地の
地域とか、あるいは研究所の地下に潜りまして、見てまいりました。四百メートルの地下もあれば五百メートルの地下もあり、今回行ったドイツのゴアレーベンは八百八十メートルの地下に掘られておりました。
それを報告書にまとめさせていただきましたし、一枚紙で、私の
国会報告の一部なんですが、ことしの夏の視察経過もつけさせていただきましたので、ぜひ読んでいただきたい。
この三回の視察では、政治家がどういう形でこの問題に取り組むかが本当に大事だなというふうに思いました。昨年九月にフランスに行きましたときに、ロンゲさんという上院議員とお会いしたんですが、実は、ロンゲさんは下院議員時代に自分の地元ビュールに地下研究所を誘致されました。ところが、その後の選挙で落選されてしまうんですね。落選した後、県議
会議員選挙に出て、いきなり県議
会議長になり、その後の上院議員選挙で復活されてきた。自分の後継者が次の下院議員選挙で
地域の下院議員になった。
この方が言われていたのは、独立性、信頼性、透明性が大事だ、
地域の
皆さんにきちんと
理解していただけるためには、この三つが本当に大事なんだと。
独立性という意味では、私と、当時の増子参議院
経済産業委員長、二人で行ったんですが、君たちは
政府の金で来たのか、あるいは
事業者に応援してもらって来たのかと聞かれたんです。いや、自費で来ましたと言ったら、すばらしい、インディペンデントが大事だというふうに言われて、何のひもつきでもないそういう政治家が育っていかなきゃいけないんだと。
もう一つは、政治家が覚悟をしないとだめだ、この問題に取り組んだら絶対落選するよと言われました。でも、私も増子さんももう落選を経験していますから全然平気ですというふうに言ったんです。
そういった意味で、本当に、役所に任せるのではなくて、政治家が一歩を踏み込まないとこの問題は進まないと思います。報告書を書いておきましたので、ぜひ
大臣にもここに取り組んでいただいて、これから
経済産業大臣ですから
世界各国に行かれると思うんですね、その際に現地にぜひ足を運んでいただきたい。自分の目で見て、役所が気づかないところ、政治家の観点から見たところを、ぜひ
大臣の
リーダーシップで一歩前に進めていっていただきたいというふうに思います。ぜひよろしくお願いしたいと思います。
その関係で、最後に、もう時間になりますので、実は、
大臣のお父様の
小渕恵三元総理に私は大変感謝していることがあります。
ちょうど十五年前に台湾で大地震がありました。前の経産副
大臣の赤羽さんと、今二十四時間医療をやられている福島豊さん、三名で台湾へ行ったんですが、台中の
日本人学校が壊滅状態でした。帰ってきて、総理に申し入れをしたいというふうに我が党の国対
委員長に言いましたら、たまたまその十月四日が自自公連立政権樹立の日だった。おまえらみたいな若手を総理に会わせるわけにはいかないとはじかれたんですが、
鈴木宗男官房副
長官、野中広務官房
長官が、そんなことはない、官邸に来い、総理に会わせてあげるからということで、会わせていただきました。
台中で撮ってきた写真を私が
小渕総理に見せましたら、こんなひどい
状況なのか、
政府として何ができるんだと言われたんですが、外国にある
日本人学校に
政府が直接援助というのは当時できませんでした。教員の派遣とか教材での援助等。
土地は当時の李登輝総統が提供してくれる。では建物はどうするんだ。お金の出しようがなかったんですが、
小渕総理が、外務省、文科省にいろいろ指示を出してくれて、その週のうちに、阪神・淡路大震災で経験のある臨床心理士を派遣してくれた。教材の補助もしていただきました。最終的には本校舎の建設費を四億円も出していただいた。本来、それまでの枠組みではできなかったことなんですが、
小渕総理は、本当に困っている人のためには何でもやるんだということで、そういった指示を出してくれました。
ぜひ、
小渕大臣にも、お父様を見習って、お父様以上に、本当に困っている人のために
経済産業大臣として
活躍していただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。