○儀間光男君 もう少し輸入品と国産品についての関わりを見てみたいのでありますが、輸入品全体も、中国、インドが主でありますが、減ってきているんですね。それは、はっきりした理由はよくつかめていませんが、推測するところ、恐らく両国とも、糸の原料を輸出するよりは自ら
製品を開発して、そして自分の国でそれぞれ
製品を作って高
付加価値を付けて更なる経済発展につなげていくというようなことから輸入量が減ってきたのではないかというようなことが推測されるのであります。
例えばインドでありますけど、二万トン生産をするんですけれど、これは国の政策援助、これによって高
品質の高
付加価値の
製品ができ上がって、それをブランド物として世界に出すことによって農家が増えてきているんです、逆に。だから、そういうことを思ったりいたしますというと、紙先生も御
指摘があったんですが、国がどうしても徹底した関与をしていただきたい。五十億だの百億だの言わずぼんぼん入れて、湯水のようにとは言いませんけれど、やはり成長産業に切り替えていただきたい、成長産業にしていただきたい、そういうふうに思えてなりません。
したがって、そのことも含めてお願いをしてまいりたいと
思いますが、そういうことによって、日本の伝統産業あるいは産業資源として、私は大いにまだまだ市場へ参入していけると思っておりますから、僕が思ったってしようがない話でありますけれど、どうぞそういうことも含めて
促進をしていただきたいと、このように
思います。
先ほど申し上げましたように、インドでは国が政策
支援して多くの効果を出しているのでありまして、
我が国も
是非とも、せめて地
産地消、さっき冒頭申し上げたんですが、
我が国の
需要を
我が国の産品で、絹糸のみならず多くもそうですけれど、自給率を上げていくということに御配慮をいただきたいと、こう
思います。
私は、この養蚕業を単なる懐古調、懐古というのは虫の蚕じゃなしに古きを懐かしむ懐古ですね、懐古調でもノスタルジーから言っているものでもありません。リアルタイムで私自身が、実は、今切り口をしていただきましたが、
平成十三年に市長に就任して二十五年二月までの浦添市長三期十二年の間にこの
事業に関わった経験から、可能性として、あのちっちゃなところでほんの少しやっていろんなことが分かりましたから、組織的にもっともっと多くやっていくと可能性として非常に高い、そういうふうなことから訴え出しているのであります。
お手元に少し数多い資料を配付させていただきましたが、どうぞお持ち帰りいただいて、捨てないで、しばらくこれ扱いたいと
思いますから、沖縄キャビネットでも作ってファイルしていただけたら有り難いなと、こういうふうに
思います。
平成十三年に就任をして、翌十四年から
農林水産省へも通いながら行動を起こして、
平成十八年には生産体制に入ってまいりました。
事業経緯はお手元の二枚目の紙に簡単に書いてありますから御覧いただければいいんでありますが、
大臣、ここが違うところ。実は、沖縄のこの浦添の六農家というのは、減ったんじゃないんですよ、新たにできた農家なんです。ほとんどの養蚕
事業が十年ほど前まで細々やっていたのが消えて、新たにつくった。浦添、元はゼロだったんですね。都市化される浦添にこういう農業というのも皆が気違い扱いされましたけれ
ども。こういうことで、ゼロからスタートさせていただいて、今は資料に見るようにかなりの進化をしてきたと。
そして、私も、沖縄県もかなりの絹糸の
需要がありますから、少しでも県内の
需要を県内での生産で賄っていけたらいいというような、つまり地
産地消、
地域力をキーワードに位置付けてこの
事業を進めてきた経験から、国、都道府県、
市町村、農家あるいは製糸
関係の各団体、連携チーム、こういうものをもっともっと強化していけばこの絹産業の再興は夢ではないというふうに思ってのことでありますが、答弁はまた同じ答弁になりますから結構でありますけれ
ども、ここで私がどんなに力んだって、
大臣、
大臣が理解を示してその気にならなければなかなか物事は進んでいきません。
したがって、今
思いのたけを聞きましたけれ
ども、実行へ向けての
思い入れのたけをいま一度伺いたいと
思います。