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参考人(
永井良三君)
自治医科大学の
永井でございます。本日はこの機会を与えていただきまして、ありがとうございます。
私は、新たな
医療分野の
研究開発体制への期待ということで
お話をさせていただきます。
現在、
日本が
実用化研究が遅れていると言われておりますけれども、しかし考えてみますと、三十年ほど前は
実用化研究ばかりで
基礎研究ただ乗り論というのがあったわけです。こうした
実用化と
基礎研究というのは
時代によって大きく変わります。
この二ページ目は、御
参考までに、
発明唱歌、明治四十年にこうした歌があったと。「工風に人のさちは増し 発明に世は開け行く」という、こうした
時代がかつてはあったということで提示させていただきました。
三ページ目、こうした
医療分野の
開発研究のパイオニアは
北里柴三郎博士でありまして、明治二十三年にジフテリアの抗
血清療法をベーリングと
一緒に
開発しています。
基礎研究から
臨床への応用が成功した極めて有名な例であります。
この当時は、四ページ目見ていただきますと、
研究所で製造から販売までしておりました。これは、帰国後、
伝染病研究所における抗血清の
作製風景でありますが、しかし考えてみますと、これ、今の
基準からいいますと、
品質管理という点では非常に問題があるわけです。これが今の
一つのキーポイントになるということであります。
そうは申しましても、五ページ目、
成功例はたくさんございます。特に有名なのは
胃カメラ、
内視鏡であります。これは
昭和二十五年、戦争直後の
東大分院、
東大病院の分院で
外科医の
先生方、一番左の
宇治先生という方が
オリンパス工業と
一緒に
開発した
胃カメラの風景でありまして、
吉村昭さんの「光る壁画」という小説に紹介されております。
なぜこれが、こうした
開発体制が問題になってきたかというのは六ページ目にサマライズしてございます。要するに、
実用化研究というのは
社会を巻き込んでいきますので、
倫理とか
社会システム、全てを含めた
総合的戦略がないと停滞してしまうということであります。
欧米では、戦後、
ニュルンベルク綱領とか
ヘルシンキ宣言、こうした宣言が採択されまして、これに基づきましてコスト、
人材、
法規制、
ガイドライン、そうした整備が行われてまいりました。これがグローバル化し、
世界基準となってきますと、
国内の
基準だけで
開発していると立ち行かなくなるということであります。
七ページ目に、その例として
薬事法、
薬剤師法の変遷を記載しております。
日本で
薬事法が制定されましたのは
昭和三十五年でありますが、
米国では、これに対応する
FDC法は
昭和十三年に既に定められております。二十二年の遅れということになります。
八ページ目には、そのほか、
臨床開発研究に関する日米の規制の年代の違いということを一覧にしております。製造・
品質管理に関するものは、GMPですが、六二年に対して七四年通知、八〇年公布と。そのほか、
安全性試験管理、
臨床試験管理、
倫理委員会、
個人情報保護、これ、ことごとく十年、二十年の遅れになってまいっております。
九ページ目に、これがいかに非常にシビアな現実をもたらすかということを
治験を例に挙げております。新
GCP法が九七年に公布されましたけれども、それまで活発に行われておりました
治験が一気に停滞いたしまして、今やや上昇傾向あります、回復傾向ございますが、なかなか元のレベルには戻っておりません。
十ページ目、これは当然、
医療産業にも影響が出てまいります。左上が
医薬品で、赤い線が
輸入額、青い線が
輸出額、緑のバーが
差額でありますけれども、この十年間、
輸出入額の
差額が
輸入超過になっているということは歴然としています。
医療機器についても同様であります。
十一ページ目には一番最近の
データをお示ししておりますが、
医薬品については、
輸出一千三百七十六億円、
輸入が二兆八千百七十四億円。
医療機器についても非常に大きな
差額がございます。
十二ページ目、これは特に
医療機器、
医薬品産業で、
日本の
産業の中でも非常に問題が大きいということを示しております。
国際競争力指数を
輸出、
輸入の差で示しておりますけれども、特に
医療機器の落ち込みが大きいですし、
医薬品は従前から非常に
輸入超過になっているということを示しています。
十三ページ目に、こうした
一つの動向を表す例といたしまして、平成十九年、
アメリカの
ファイザー社が韓国の
臨床開発研究に三億ドルを投資したという話題がございました。この同時期に、実は
ファイザー社は
日本の二つの
研究所を閉鎖し、二百五十億円で売却したということがございまして、明らかに
研究動向、
開発動向が
日本離れが起こっていたということであります。
十四ページ目を御覧ください。こうした
基礎から
臨床への
開発研究、
橋渡し研究と申しますが、ややもしますと、
メカニズム解明、
動物実験、
臨床試験、そして死の谷を越えて
薬事承認ということを一直線のように考えがちで、言わば百メートル走のように考えがちなんですが、しかし、
薬事承認というのは非常に狭い範囲で適応を獲得いたします。それでゴールなわけではなくて、その後、
臨床研究によって
適応拡大、
差別化をして、いわゆる育薬という作業が延々と続きます。そして、そこで
企業は資本を蓄積して、今度は新たに
基礎研究あるいは別の
医薬品の
開発に向かっていくという非常に大きな
循環をつくっております。そのために、小手先の
体制づくりではなくて、こうしたことまで視野に入れた大きな
総合戦略が必要であるということが今回の法案の背景にあるのではないかと思います。
十五ページ目、こうした
状況を
外国からいろいろやゆされておりまして、正確な年代は忘れましたが、十五年前だったと思いますが、
エコノミスト誌の
風刺画の中に、「ドラッグズ・イン・ジャパン ツー・スモール・ツー・コンピート」というふうにからかわれております。ビッグファーマがなぜ
吸収合併を繰り返してきたかというのは、まさにこの大きな
総合戦略をつくるために、
基礎研究から
臨床研究まで含めて非常に大きな
開発費が掛かるということで対応してきたわけですが、
日本ではやはり立ち遅れたということです。
十六ページ目、御覧ください。そうした中でも、
日本の
開発研究、
幾つか
成功例もありますし、また、そこから教訓を学ばないといけない事例もたくさんございます。
これは、私が卒業したばかりのときからずっと見守っていた
白血球増多
因子、今、
G—CSFと言いますが、それの発見から
開発に至る話であります。
これは、
東大病院に入院していたある
患者さんの
肺がんの
リンパ節、転移した
リンパ節を
マウスに植えたところ、十七ページ目、御覧ください、
マウスに植えたところ、普通は一万以下である
白血球が五十万まで増えたということで、また、その腫瘍を取り除くと
白血球が元に戻ったということがございました。これがまさに
白血球増多
因子を産生する、つくる腫瘍であると。そうしますと、この
細胞から
白血球を増やすことのできる、例えば抗
がん剤を使った後に
白血球は減りますけれども、あるいは
重症感染のときに、そういうときに
白血球を増やす夢のような、まさにペニシリンに匹敵するような
薬剤開発ができるだろうということは
昭和四十九年に我々は考えていたわけであります。
その後、十八ページ目に、
製薬企業の支援あるいは試薬として発売、また、
東大医科学研究所で
長田先生、
浅野先生らが
ネイチャー誌に一番乗りでこの
白血球増多
因子のことを報告いたしました。九一年に薬価収載されております。
基礎研究では、これは
日本が
世界に一番乗りしたわけでありますが、しかし、いろいろな
知財の
管理とかマーケティングで必ずしも成功したわけではございませんで、十九ページ目、御覧いただきますと、
外国の
企業も追ってこれを
開発してきたわけであります。
国内市場を見ますとほぼ同等でありますけれども、明らかに
国外市場では
外国社、
外国の
企業の製品が席巻しているということで、これは、
基礎研究、
開発はある程度はうまくいったけれども何か足りなかったという例ではないかと思います。
二十ページ目、これは
JSTからいただいた資料でありますが、
JST、
科学技術振興機構が支援してきた
研究費の中で
薬事承認まで至ったのは四%、しかしながら、ほとんどは
診断薬で、
治療薬に至ったのは一例のみということだそうであります。
その一例のみの例が二十一ページ目に提示されております。これは、
自治医科大学にいらした
間野博行教授が、EML4とALKという二つの
遺伝子が
がん細胞の中で融合していると、これが、全てではありませんが、一部の
肺がんで起こっているということを見出し、その薬の
開発が現在行われているという例であります。
二十二ページ目に、その薬の例でありますが、こうした例は実は
慢性白血病で知られておりましたけれども、
肺がんあるいは
固形がんで見付かったのは世界で初めてで、
世界的な業績として知られております。
しかしながら、この
薬剤開発はまたしても
ファイザー社に先行されまして、左上、
奏効率八一%と画期的な薬が
外国で
治験が先行し、
間野教授の
患者さんも実は韓国で治療を受けたという、そういう実例がございました。しかしながら、
間野先生たちは更にこの薬の耐性を起こす
機構を解明し、耐性、
つまり薬が効かなくなった
患者さんにも効く薬という、
奏効率九四%というものを
開発し、現在、中外製薬で
開発中ということであります。
二十三ページ目、似たような例で、それほど画期的ではありませんけれども、いろいろ良い薬が必ずしも
外国で売れないという例をお示しいたします。
これは、私自身も
開発に関与しましたけれども、短時間作用型で
血圧降下が少ない
ベータ遮断薬という、
臨床家にとっては非常に使いやすい薬であります。ところが、こうした良い薬が
日本にあるので
外国で販売できるかというと、かつての
開発時の条件が
国内と海外で違っていたということのために、今海外に持っていこうとするともう一度
基礎研究、
安全性試験等をやり直さないといけないという、そうした国際的な
基準から外れていた
時代が長く続いた影響が出ております。
二十四ページ目に参りますが、要するに、こうした
医療の
応用開発、
実用化研究というのは
総合戦略が必要で様々な角度から検討しないといけないということであります。
この
状況に対して、もちろん
アメリカの
NIHはその先頭でありますが、
ヨーロッパ各国も非常に綿密に考えています。イギリスには、左の真ん中辺りに
NIHRというのがございます。
NIHというのは各国にございまして、この
NIHRというところでこうした
総合戦略を考え、また
研究費の補助も行っているということであります。大体
予算規模は年間千五百億円ぐらいと聞いておりますけれども、詳細は現在調査中であります。
まとめに入りますが、二十五ページ目の下の図を御覧ください。この
医療開発というのは、
基礎研究から
臨床へ橋渡しして、それで終わりではないわけです。
臨床現場で
少数例で検証し、今度は、
有効性、副作用の評価、新たな
課題の設定を多数の
患者の中で、集団の中で検証しないといけないという、こうした大きな
循環を描きませんと、また
社会と
一緒に
倫理の問題、
社会との協働を踏まえて行っていきませんとできないことであるということであります。そういう意味で、上にあります
循環型研究開発であるとか、あるいは、いろんな
利害関係が出てまいりますので、この運営に当たっては
科学的合理性、
透明性に基づく判断、これを尊重しないといけないということが明らかであります。
以上でございますが、大体
まとめとして、二十六ページ目、同じようなことが書いてございます。今日特に私が申し上げたいのは、
人間を対象とする
医療分野の
研究開発というのはやや
独自性があるということ。これは
基礎研究の延長では必ずしもなくて、厳密な
品質管理、目的、目標、
研究期間の
明確化、
国際基準に沿った十分な
体制、こうしたものが必要であるということであります。もちろん、
研究には自由な発想と
好奇心というものが必要でありますが、そのまま人を対象にして
研究してはいけないんだと、そこに
国際基準が今設けられていて、そのハードルがどんどん高くなっているということであります。
そのため、二十七ページ目に、その
マネジメント、
研究費、
データ管理、
知財、
支援人材、
利益相反の
管理・
支援体制、こういうものが必要になりますし、
企業ももっとリスクを取らないといけないと思います。国の
行政も
縦割りの弊害がいろいろございます。しかし、何よりも
国際基準への対応という、いわゆるレギュラトリーサイエンスという言葉で言われておりますが、そうした問題があるということであります。
二十八ページ目以降、これももう繰り返しでありますが、
体制の
構築、
仕組みの
構築、エビデンス、それからICTがこれから重要になると思います。情報が非常に重要になるという、
ビッグデータ時代への対応、再生、
ゲノム、これはもう言われているところでありますし、二十九ページ目、
人材育成ということが大事になります。それから、公正な
研究を行う
仕組み、
倫理、法令、
ガイドライン、
知財の
マネジメント、もちろん
基礎研究は重視しないといけないということ。しかし、特に強調したいのは、
科学的合理性に基づかないとこの
システムは危ないですよということを特に強調したいと思います。
また、
臨床あるいは医学だけではなくて、工学、ナノテク、
ICT領域の
研究者との連携が極めて重要であるということを強調したいと思います。
以上でございます。