○吉川沙織君
総合的な観点で適切に進めていただけるという
答弁でございました。
次に、また答申に沿って伺っていきたいと思います。
最近も大きな話題になりましたし、先ほ
ども引用ございました。この答申では、
我が国が
人口減少社会に突入する一方で、集落数はそれほど
減少しないという予測の下に、人々が国土に点在して住み続け、しかも単身者世帯が多くなるという広く薄い
人口分布の中で、基礎
自治体による
サービス提供体制をいかに構築するかが
課題として示されています。
戦後、
我が国においては三度にわたって
地方から
大都市圏へ大量の
人口移動が発生しています。まず第一期は一九六〇年から一九七〇年代の高度成長期、第二期は一九八〇年から一九九〇年代前半のバブル
経済期、そして第三期が二〇〇〇年代に入って以降です。ただ、この二〇〇〇年代以降は、円高による製造業への打撃、公共投資の削減、
人口の急激な
減少などによって
地方の
経済や雇用
状況が悪化したことが要因となって若年層を中心に
地方から
東京へ
人口が流入しました。
これまで申し上げました、第一期、第二期、第三期とありますけれ
ども、こうした
人口動態を踏まえて、お手元に資料を配付させていただいておりますけれ
ども、
政府は、
昭和三十七年には
全国総合開発計画、
昭和四十四年には新全総、
昭和五十二年には三全総、
昭和六十二年には四全総、
平成十年にはいわゆる五全総、二十一世紀の国土のグランドデザインなどの
全国総合開発計画を策定されてきました。
それぞれの計画での基本目標としては、基本目標のところに書かせていただいておりますが、全総が
地域間の均衡ある発展、新全総が豊かな環境の創造、三全総が人間居住の
総合的環境の整備、四全総が多極分散型国土の構築、いわゆる五全総は多軸型国土構造形成の基礎づくりというものが掲げられてまいりました。これらの基本的
考え方は、
地方の中枢
都市の余力を基に
過疎地、
地方圏を支援しようとするものであり、いわゆる国土の均衡ある発展論に基づくものです。
一九七〇年代に表面化した
過疎問題は、
日本社会全体の高度
経済成長と
人口増加を背景として、三
大都市圏における
経済成長と
人口増加という
地域的不均衡によって生じたものです。ただ、この当時は、
プラスサム社会の中で所得分配や
人口分布における空間的不均衡を
全国規模の集約とネットワーク化によって是正しようとするものでした。
今回の答申を拝見しますと、
地方中枢拠点
都市などに拠点機能あるいは中心地機能を集約し、そのような中心地、拠点を抱える広域
自治体に補完機能を集約し、
自治体間のネットワークを形成することによって後背地や周辺地の
住民に
サービス提供をするというイメージになっていると思います。これでは、今までの
全国総合開発計画と基本的枠組みはそれほど異なっていないとも言えると思います。
しかしながら、これまでの計画と違うのは、今、
現状においてゼロサムあるいは
マイナスサム社会であり、財政は言わずもがな危機的な
状況にあります。三
大都市圏に余力があった
時代ですら成し遂げることができなかった集約とネットワーク化を、三
大都市圏にさえ余力がない中で実現することはできるのかどうかという、こういう疑問が湧いてまいります。そのため、答申でも、定住自立圏のイメージを拡大した共同処理、
広域連携などの水平補完や
都道府県による直接的な補完を示すだけで、将来の予測に対する明確なビジョンというものを示し切れなかったのではないかと思います。
この全総によるような策定、このイメージの策定は国土交通省で、
総務省は
地方制度だけでよいのでしょうか、
局長に伺います。