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参考人(
宇都宮浄人君)
宇都宮でございます。よろしくお願いします。
では、私も座ってお話をさせていただきたいと思います。
私でございますが、私は交通経済学あるいは経済統計学というのを
専門にしておりますが、
都市と交通の問題にはそういう
意味で大変関心を持っており、これまでもそういった研究者あるいは一市民の立場から
都市交通あるいは
地域の問題について物を書き、あるいは発言をしてまいりました。今回も、そういう
意味で、海外の調査や経験等も踏まえながら私なりの御
意見を申し上げていきたいなというふうに思います。
今回のまず
法律の
改正でございますが、あらかじめ申し上げれば非常にいい方向性であるなと思っておりまして、是非これを推進していきたい。言い換えれば、ただし、それを是非実効性のあるものにしていただきたいなというふうに思っております。逆に言えば、それが実効性がなければ結構
日本の状況は厳しいのではないかと、そういう問題意識も持っているということで、海外の
事例も含めながらお話をしたいと思います。
資料でございますが、三
ページにまず海外の件をちょっとだけ載せております。
現状
認識として、
日本の現状がかなり厳しい状況であるということは先生方御存じかと思いますが、少し海外を見るとちょっと違った絵が見えてくると。つまり、ここではドイツの例を挙げてございます。実を言うと、ドイツというのも
日本と同じように、
人口は
日本より先に
減少していて、さらに高齢化が進み、六十五歳
人口が既にもう大分前に二〇%を上回ると。更に言えば、やはり車社会というのはこれはもう避けて通れないわけで、ドイツでもいまだに
自動車保有台数は増えている。にもかかわらず、
地域公共交通、ここでは
都市圏の近距離交通も含めるわけですが、そういったものの利用は増加しているということです。
実際ドイツに行きますと、先ほど
人口二十万とかいうお話ありましたけれども、そういった
カールスルーエのような町が大変なにぎわいを見せている。
日本であればシャッター街であると。この彼我の差は何かあるだろうなと、これはやはり何か
政策的な問題があるのではないかという気がするわけでありまして、先ほど
谷口先生の紙にもありましたとおり、LRT、
公共交通が人を運び、
町中が人でにぎわっていると、こういう姿があるわけです。
それで、一枚めくっていただきますと、今度フランスの
事例もちょっとだけ書いてございますが、フランスは実はドイツと違って路面電車、このLRTと呼ばれるものを一度全部廃止しました。そういう
意味で
自動車社会にやはりなったわけですが、実はドイツはかつてあるものをそのまま生かしている、フランスはそれを復活させているわけですね。しかも、これ見ていただくとお分かりのように、ほとんど二〇〇〇年以降に、
人口十万前後、フランスの場合は
都市の規模が小さいので
日本でいうと六掛け、八掛けかもしれませんが、いずれにしても、
日本でいうところの
人口二十万前後の町がこういった新しいLRT、
都市交通を導入することによってやはり同じようににぎわいを取り戻しているということです。
かつては
自動車であふれ空気が汚れていた町が復活している、こういう事実があるということを考えると、言い換えれば、
日本においても何かそういうことを考えていく必要があるのではないかということを感じるわけであります。
次の
ページは、実際に海外の
地域公共交通の動向のうちLRTがどれぐらい増えているかというのをグラフで表しております。これは、ドイツのように、あるいは
日本の広島のように、かつてからある路面電車は含まれておりません。全く新規、あるいは一回廃止してしまったものを新たに造り直したLRTと呼ばれる次世代型路面電車、これだけをカウントして、今やこの三十年余りに百四十を超えるに至っていると。ちなみに、
日本は富山のライトレール一か所だけであります、廃止のケースはありましたけれども。こういう現状があるということで、やはり何か
日本と
世界というのは、
政策的な違いがこういうことをもたらしていないかということが考えられるわけです。
それで、次に、私の
意見としては、
日本の常識は
世界の非常識という観点から幾つか、何点か申し上げたいと思います。
まず、
日本の場合、
公共交通は黒字経営が基本であると。これはこれで一つの考え方でありますし、実際
民間事業者が頑張って収支を得ている、これは重要なポイントでありますが、経済学を勉強した人間からすれば、市場メカニズムというのは市場の失敗がある、交通というのはその典型であるということが書かれているわけです。
実は、諸外国では、例えば建設コストも含めた資本コスト、これはもう公的資金で賄うのが基本であります。イギリスの場合は一部それを民間資金を入れるPFIとか議論が始まっていますけれども、これはあくまで社会資本であるというのがもう当然のように常識なわけであって、
日本はたまたま、戦後あるいは高度成長期からバブル期まで地価が上がり、右肩上がりで
人口が増えと、こういう時代で建設コストが回収できたわけですけれども、そういうことというのはある
意味で特別な時代の話であって通常はあり得ないよと、こういう発想であります。これが一つ。
更に言えば、
日本の場合は、当然運行費用も運賃収入で賄う、これが
当たり前なんですね。よく、これができていても金利払いがあるので赤字だよといっていろいろたたかれるわけですが、実は海外ではそもそも運行費用も運賃収入でカバーすることを求めていないわけであります。別に、
都市の一装置である、社会資本である移動装置を、その単体の事業の収支で合わせる必要があるんですかと。それはあたかも、百貨店がエレベーターという装置を設置して、移動手段としての装置を設置していて、エレベーターに百円とか二百円取って、エレベーターのメンテナンス代、電気代、そういった費用を賄って、エレベーターだけで単体の収支取らないのと同じですね。こういう発想なわけです。
実際、それぐらい収支が合うぐらいであればむしろ安くしようみたいな発想すらあるわけで、次の
ページ見ていただくとかなりの補助率が出ているし、これちょっと
データ古いんですが、最近新しい
データで見ても、やっぱり五十
都市辺りぐらい調べても、大体中央値は、運賃で賄えるのはまあ半分前後かなと、こういう状況が一つあります。これがまず一つ目の
日本の非常識。
それから次は、
都市内の
公共交通事業者、当然民間ベースですので市場競争というのが原則になっています。私自身は、非常に、民間
活力を生かし、効率的な経営を行い、
サービス向上を目指す、これは重要だと思っているし、運行を民間でやること自体は全く異存はありませんが、実は、効率的な資源配分と経済学者は言うわけですが、それはやっぱり調整も必要なんですね。
例えば、ダイヤ調整。今回の
法律出ていますけれども、もし競争して、ゼロ分、二十分、四十分のバスに対して次の競争相手はどうするかというと、一分前の五十九分、十九分、三十九分と、こういうバスのダイヤを設定するわけです。そうすると、確かに競争はしているけれども、利用者であるバスの利用者は結局、ゼロ分を逃した後、十九分まで待たされるわけです。これがもしダイヤ調整してゼロ分、十分、二十分になれば十分で済む。この待ち時間九分というのは、経済学的には極めて資源配分が無駄だという言い方をします。なぜなのか。待たなければならないわけですから、その間待つということはすごい資源の浪費なわけです。こういう非効率なことが起こる。
あるいは、
日本の場合は運賃も統合されていません。海外では大体、交通
計画主体が運賃統合までして共通運賃制、ゾーン運賃制やります。
日本はそれぞれ異なる。どういうことが起こるか。例えば、本来であればJRと地下鉄とを組み合わせて行けば最も早い距離であっても、いや、そうすると高くなるから、ぐるりと回って地下鉄に乗ろうとか、あるいは電車は使えないからバスだけ乗ろう。これは結果的に、我々の労働も含めた資源を非効率にゆがめているわけです。だから、そういう
意味では、経済学者からすると、こういう仕組みというのはやっぱりよろしくないわけですね。なので、こういう
意味で、今の
日本の市場原則というものを
公共交通市場に単純に生かすわけにはいかないであろうということであります。
それから三点目として、
道路の件ですけれども、
自動車の円滑な通行、これが交通の発達、これ重要です。私は
自動車を全く否定しませんが、やっぱり空間利用ということを考えたときに、自家用車に占拠されるのがいいのか、
公共交通に
誘導する方が結果的に
自動車も含めて便利になりますよというのが、この左の下の、これはストラスブールの図なんです。
それから、もう一枚めくっていただきますと、実は
道路というのは、今実際各地でいろいろやろうとするとすぐ渋滞という問題が起こるわけですけれども、本当は、
自動車の円滑な通行も重要だけれども、
歩行者だって自転車だって、あるいは沿線住民も利用するわけです。
それで、先ほど
谷口先生の写真にもありましたとおり、トランジットモール、
歩行者と
公共交通の専用空間、これでき上がっているわけですね。これはもう
世界中あるわけです。
日本ではほとんどありません。厳密に言うとバスで一部ありますが、そもそも路面電車入れないんですね、これ
道路交通法で。何でも、
歩行者専用
道路に車両が入る場合は一応許されているんですが、車両等となっていないので路面電車は入れないと。したがって、
日本では路面電車は、トランジットモールは、現行
制度では駄目らしいということが現行の法解釈であると、こういう非常にナンセンスなことが起こっているわけです。こういったことはやっぱり改めていく必要があるんじゃないかなと思うわけです。
ちょっと次、
ページ飛ばしまして、三。じゃ、どういう形で総合的な
政策を目指していくかということで、私なりに一つ、私というか、
世界の交通経済学の人がシェアしている一つの考え方があります。STOと言われています。要は、より良い交通
政策、社会を築く上でSとTとO、すなわち、戦略であるストラテジーと戦術であるタクティクス、そしてオペレーションがあると。戦略というのは、交通
政策どうすべきかとか、市場シェアどうすべきかとか、どういう
地域にどういうターゲットでやるかという長い
意味での戦略。戦術は、例えば共通運賃にするのか、どんなイメージの車両を走らせるのか、あるいはどんなダイヤにするのか、こういった戦術がある。そして、実際の運行がある。こういう整理が大体
世界の交通経済学者ではシェアされています。私もこのSTOをベースに少し整理をしてみました。
次の
ページですけれども、私は、今回、
交通政策基本法ができ、あるいは今回の
法改正の理念的な
意味でのストラテジー、戦略というのは大分明確になってきたと思うんですが、じゃ、それを実現するための戦術はどうかと。幸い、ヨーロッパなんかでは実はこのオペレーションの部分も非常に問題になるんですが、
日本の場合は、いろいろ問題があるとは言われますが、現場は結構堅実だなと思っていますので、私はやっぱりこのタクティクスをもう少し確立すべきであろうなというふうに感じております。
そこで、私なりに最後に
意見を幾つか述べて締めたいと思いますが、まず一つ、真に総合的なということなんですが、これまでも総合という言葉は常に使われてきました。しかし、ともすると総花的になりかねません。海外では、かつては総合
政策と
日本で訳していたコーディネーションポリシー、言わば個別単位の調整をやっていたわけですが、今はインテグレーテッドポリシー、つまり
一つ一つの要素を組み合わせて一体化した
政策にすると。さっきの運賃にしてもダイヤにしても、A社とB社が争ったのでそこを調整しましょうじゃない、
都市計画全体の中で統合して交通を考えていく、こういうポリシーにしていく必要があると。これ、海外の状況であります。
したがって、単に単純なダイヤ調整ではなく、路線、ダイヤ、更に言えば、それは鉄道間だけではなく鉄道とバス、あるいはバスと場合によっては自転車、あるいは車の駐車料金
政策も含めた、こういったものがなければいけない。言い換えると、
日本の場合はパーク・アンド・ライドをしても、駐車料金を払ってその後もう一回電車賃を払う、こんなことするぐらいだったらそのまま車で行っちゃおうみたいな話になってしまうわけですね。ということがないようにする必要がある。
あるいは、
公共交通に移動するのであれば、車も重要だけれども、
都心まで車で来られる方、社長さん、忙しい方、そういう支払意思の高い方は来てもらってもいいよ、ただし
都心の駐車場は高くするよと、こういった傾斜的な駐車料金の
制度とか、こういったものを含めて全体、統合的な
政策が必要なんではないかということが一つ。先ほど来申し上げている初乗り運賃が会社
ごとに取られるなんていうのも、そういう
意味で変えていく必要があるのではないかというのが一つ。
それから二つ目ですけれども、ここに書いてあるのは、自家用車との適正な役割分担ということも、これは
法改正等でも出していますが、具体的に強力に推進してもらう必要があるということで、やはり中心市街地の
道路というものは
公共交通優先にする、もちろん
郊外は車も使っていただく、こういったものをもう少し明確にメッセージ出してほしい。逆に、中心市街地であれば、多分
日本で見たことないのでいろいろ問題あるんでしょうけれども、バスと例えば路面電車の通路共用、こういうのが
当たり前のように海外では行われているわけですね。例えば、こういう形で
公共交通というものを一体化してやっていくような
制度も可能じゃないかなというふうに思うわけです。
それから最後、そういったもろもろの統合的な
政策をするに当たって、やっぱり広域調整
機能というのは担保していただかないといけない。交通というものは一つの行政、
自治体で収まるものではありません。場合によってはそれぞれの
自治体同士の利害が対立することもある。そこの主体を明確化することによって真に総合的な
政策を目指していただくと。
とにかく、今回の
法改正によってやはり強いメッセージを送っていただきたい。確かに県が調整に入ると。でも、私聞きますと、やっぱり県もできるんでしょうぐらいで、現場の
自治体の方って何か腰がまだ引けているわけですね。そうではないんだと、今後はこういう方向でやっていくんだということをメッセージとして出し、先ほど
日本の常識、
世界の非常識と申し上げましたが、やっぱりこれまでの時代的な背景の中でとらわれている我々の社会通念、これは一般市民も含めてですけれども、そういった社会通念を今回の
法改正によって大きく変化させていく、変革していく、そういうメッセージを発していただけたらなというふうに思います。
取りあえず、私の陳述は以上でございます。