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参考人(
高安健将君)
成蹊大学の
高安でございます。よろしく
お願いいたします。
本日は、大変に名誉ある
参考人の
役割をお申し付けくださりありがとうございました。大変に光栄なことと思っております。
本日頂戴しましたお題は、
議院内閣制下での
参議院の果たすべき
役割ということでございました。お
手元に四ページから成ります
レジュメをお配りしております。こちらを御覧になりながらお聞きいただければというふうに思います。
まず初めに考えなければならないことは、
日本は
議院内閣制なのかどうかということでございます。
議院内閣制というのは、そもそもは
執政権力、つまり
内閣がその
存在を
議会の信任に依存する
システムでございます。この
意味というのは、
一つの
政治勢力が
議会権力と
執政権力の両方を掌握することで成立すると、それゆえに
議会が
内閣を信任するということが成立するということであります。この場合の
一つの
政治勢力というのは、
日本の場合には単独ないし
複数の
政党ということだろうかと思います。
議院内閣制が示す
一つの特徴といたしましては、
パターン分けができるわけですけれども、非常に重要な
政権党、あるいはその
政権党の
連合内の
権力構造が分権的あるいは遠心的であれば、受動的、調整型の
指導者がつくり出される、集権的であれば、強力な
指導者、
権力核をつくり出す傾向があるということでございます。
日本について見てまいりますと、
執政権力、つまり
首相と
内閣と、
議会権力の中でも
衆議院、これは確かに融合をしていると。
首相と
内閣は
衆議院の意思によって
選任され、罷免されると。バランスを取るという
意味で、
内閣の持つ
解散権も
衆議院に対して持たれているということで、この
両者の間では
議院内閣制が成立をしている。民主的な
正当性という
観点からすれば、
衆議院、
首相・
内閣というのは
一つの
グループというふうにみなすことができるということであります。
それでは、
参議院と
首相・
内閣はどういう
関係にあるのかということですが、
首相・
内閣は確かに
衆参両院と解すべき
国会に対しては連帯して責任を負うということになっているわけですが、
参議院は
首相あるいは
内閣の
選任と罷免ということには実質的には関与しておりませんで、これは
衆議院によって担われるということでございます。
参議院と
首相・
内閣、
衆議院と、これは、この
両者というのは別個の
民意によって成立した
独立の
存在ということでございます。権限ということではありませんで、
民意を代表する
機関という
観点からいたしますと、この二つの
グループは全く対等ということであります。ただし、
半数改選という
決まり事がありますので、
参議院が
直近の
民意を主張するということはできないと。これは、選挙で選ばれたその
グループの
人たちについては言えるけれども、院全体としては
直近の
民意というような
表現の仕方はできないということでございます。
続きまして、
レジュメ二ページ目でございますが、このように
衆参で
首相・
内閣との
関係が異なるというわけですけれども、にもかかわらず、
日本は
議院内閣制というふうに呼び得るのかということなのですが、この問題を考えるにはどうやら場合
分けが必要なのだろうということであります。
一つは、
衆参両院の多数派を同じ
政党、
政権党ということになりますが、
複数であっても構いません、その
政党が掌握をする場合。この場合には、権力的に最も重要になるのはこの
政権党あるいは
政権党の
連合ということになります。
首相・
内閣の
在り方を規定するのは
政権党の
ガバナンスの問題ということです。院と院の
関係というよりは、
政党こそが最重要ということになります。
自民党の
長期政権下では、
二院制の問題というのは
自民党内の
ガバナンスの問題、九〇年代以降でいえば、
自民党プラス連立パートナーの
ガバナンスの問題として処理をされてきたということでございます。二〇〇九年からは民主党が
政権党ということになりますが、期間的には
自民党が長いので、このような
表現となっております。
つまり、
日本の
政治運営システムというのは、
衆参の多数派を同じ
政党が掌握している場合には
議院内閣制と同様に機能した。つまり、
首相・
内閣と
政権党の
関係が
政治運営の
中心であったということであります。
他方で、
衆議院の多数派が
参議院の過半数を確保できない
状態、つまり
ねじれ国会の場合には、
首相・
内閣、
衆議院という
一つの
グループと別に
参議院が並立をするということが注目をされたわけであります。この
状況というのは、政治学的には
権力分立制と解すべき
状況なのだろうというふうに思われるわけです。
こうして見ますと、
日本の
政治運営システムの性格は、
衆参の多数派の構成次第で変異すると、変わるということなんだろうと考えられます。つまり、
議院内閣制と
権力分立制の間を行き来するということであります。
それでは、そもそも
議院内閣制と
権力分立制というのは
システムとしてどういう含意があるのかということについてお話をさせていただきます。
まず、
議院内閣制でございます。これは先ほどから申しておりますように、
議会権力と
執政権力が融合すると、そして、その権力の担い手というのが
政党、
政権党であるということであります。
政党、
政権党あるいは
政権党の
連合である。このことが
意味しているのは、総選挙と総選挙の間の一定期間、権力というのはこの
政権党と、それが選出をしている政治
指導者に委ねられる
システムなのだということであります。
政権党に対する拘束というのは、総選挙と党
自身ということになります。党首の下に集権化をしている
政権党の場合であれば、極めて強力な
執政権力を総選挙と総選挙の間の期間つくり出すことができるということになります。これが一般的な
議院内閣制のイメージで、イギリス型の
議院内閣制のイメージと言われますけれども、効率的な
政治運営を可能にしている
仕組みでございます。
この場合、野党、官僚制、マスメディアというのは、非公式の拘束力のない制約をこの大きな権力に対して課すのみであります。そこで、問われるのは、議論の
正当性であったり、あるいは
政権党内の勢力と連動することによって拘束力を発揮するということはありますが、野党、官僚制、マスメディアが、あるいは、
裁判所はちょっと違うかもしれませんが、決定的なコントロールを行う主体にはなり得ないということであります。こうした特徴が何を
意味するのかと申しますと、
政権党あるいは政治
指導者が総選挙と総選挙の間、独走、暴走するという意図があれば、党内からの拘束がない限り可能なのだということでありまして、
システムが維持されていくためには、こうした
政権党あるいは政治
指導者の自己抑制が必要になってくる。これによって初めて
システムが成立するということになります。
それでは、どうしてこういう大きな権力を、コントロールの
仕組みが必ずしも明確でないにもかかわらず、
政権党と政治
指導者に委ねているのかといいますと、そこには
一つの前提条件があるのだろうと思われます。
議院内閣制というのは、政治
指導者への信頼と、大きくおかしなことはしないだろうという前提があって初めて成立するということであります。この信頼の根拠というのは、少し
時代を遡れば、エリートへの敬意であったり
民意の把握、集約を
政党が上手にできている、あるいは、政治
システム内のイデオロギー的な幅が比較的小さいので、どちらの
政党が、イギリスの場合でいえばどちらの
政党が、
日本でいえばいずれの
政党が政権を担当したとしてもおかしなことにはならないだろうと、そういう信頼の根拠があったわけであります。が、しかし、今日の社会というのは、政治不信が非常に強いわけでございます。といたしますと、とりわけ集権的な
議院内閣制の
正当性はどこにあるのかという問題が生じることになります。
続きまして、
レジュメの三ページ目でございます。
権力分立制ということについて次にお話をしたいと思います。この
権力分立制というのは余りなじみのない言葉かもしれませんが、マクロの
政治運営システム、いわゆる統治構造というところでいうと、大きくは
議院内閣制と
権力分立制に分かれると、そしてその間にバリエーションがあるという格好になっていますので、
一つの典型的なマクロの
政治運営の
システムということになりますが、これはどういう
システムかと。
アメリカの政治というのを想像していただければ分かりやすいかと思いますが、
議会というものを二つの院にばらばらにすると。
議会とエグゼクティブ、執政というのもばらばらにすると。司法も
独立性を強める。中央集権というのは避けて、連邦と中央、それぞれ
独立の
存在としてみなすと。あるいは州や地方というものの
独立性を高めると。こういう形で、権力の核をつくらずにばらばらに分解しようとする、それが
権力分立制という
システムであります。こうすることによって政治への多様なアクセスポイントができるというのがその
システムの特徴であります。この多様なアクセスポイントが相互に均衡と抑制をし合うことによって、
一つの
政治勢力が、あるいは
機関が暴走しないようにするということで、相互拒否権をお互いに持つという
仕組みでございます。
なぜこのような
システムが求められるのかと。長く
日本の政治改革運動では
権力核をつくることが重視をされてまいりましたが、これは全く違う
システムなわけです。なぜこういうことになっているのかと。その背景には、権力の担い手に対する徹底的な不信感というものがあるということであります。
一つの
政治勢力が何かをやりたいと思ったからといって、それがすっとストレートに実現できる
仕組みではないと。他の勢力から反対をされれば、妥協、調整、譲歩をしなければならないと。まさに、それこそが特徴である
システムということになります。必然的に
権力分立制はスローポリティクスを含意しています。言い方を変えれば、国内政策では
変化よりも現状維持、ステータスクオ指向であるということが指摘できようかと思います。
昨年来のアメリカの
状況を見ましても分かるとおり、制度として
機関間の調整をどこかがやるという
仕組みになっていませんので、デッドロックの危険というのもあります。でありますから、妥協、調整、譲歩をできる成熟をした自由民主主義国でなければ危険な
システムとも言えます。大統領が強くなり過ぎると独裁や権威主義体制化をすると、
議会が強くなり過ぎれば
システムが破綻をするということで、旧ソ連地域などで見られるような現象というのはこういうことと関連をしていようかと思います。
このように、
議院内閣制と
権力分立制というのは相互に異なる特徴を持っているわけであります。
日本の場合、
参議院の多数派の性格によってその政治
システムが全く違う特徴を示すようになる。
衆議院の多数派と同じ
政治勢力が
参議院でも、
衆参の多数派が同じ、そろっている場合には
議院内閣制の特徴を示し、異なる場合には
権力分立制の
システムの特徴を示すようになると、そういう
状況にあるわけでありますが、こうした中で
参議院の
意義というのはどういうところにあるのかと。
四点にまとめてあります。
まず第一でありますが、
議院内閣制であれ、
権力分立制であれ、今日、
政党が
民意把握能力を低下させております中で、政治へのアクセスポイントが多いということはそれ自体として望ましいことであります。
衆議院の選挙制度の効果もありまして、近年は一党に偏った
議員構成となる場合も多いわけでありまして、
民意の表出には
衆議院のみでは限界があるということであります。
第二に、今日明らかに政治不信の
時代という
状況の中にありまして、政治
指導者が選挙で全権を委ねられたと考えることはできないのであります。
例えば、政権交代があって、十年のスパンで様々な有権者の支持する
政党がそれぞれ政権を担当するということになれば、これは有権者にとってはフェアな
状況と言えますけれども、そういう
状況にはなかなかないと。政権を担当する
政党が五〇%の支持を得ていたとしても、残りの五〇%はそこに参加をしていないということになるわけでありますから、政権としては本来的にはやはり自制をしなければならないと。しかし、集権的な
システムである場合にはなかなかそのようにはうまくいかないわけであります。そうした中で、
参議院が担う
権力分立制的なコントロールというのは大変に重要なのであろうというふうに考えられます。
第三に、
政権党が党首の下に集権化している場合、
執政権力に対する党内のコントロールあるいは利益の表出と集約というのはどうしても不十分になります。
衆参の多数派が同じ
政党の場合でも、
参議院議員の先生方というのは
参議院という
独立の院に基づいて党内でも独自の力を発揮することができると期待をされます。
こう見てまいりますと、
参議院というものの
存在はスローポリティクスの担い手なのだというふうにも考えることができます。
衆議院と同じように振る舞うという必要は全くないということです。集権的な
議院内閣制の効率的な
政治運営、これはこれで良い側面を持っているわけですけれども、問題を持っているということもあると、その問題解決に
参議院がなれるということであります。もちろん、
衆議院の多数派が効率的な
政治運営を目指してそのような
政治運営に賛同する
議員を
参議院で満たせば、両院でそのような政治を実現することもできます。つまり、効率的な
政治運営を行うことも、それはそれで可能ということになります。実は柔軟な
仕組みというふうに言うことができようかと思います。
そして第四に、任期の安定性というものを生かした政治
指導者の育成ということも大変に重要であろうと考えられます。
最後に、四枚目、
レジュメ四枚目に参りたいと思います。
ただし、
参議院の
在り方に問題がないわけではありません。ここでは二点に絞ってお話をさせていただきます。
第一に、
執政権力を不安定化させる問責決議
プラス審議拒否の問題でございます。
参議院とこれに対峙する
首相・
内閣、
衆議院と、これは別個の
独立の
存在ということを申し上げましたが、
両者の間には妥協、調整、譲歩がどうしても必要になります。しかし、今日の
状況を見てみますと、今日といいますか少し前の
状況を見てみますと、
執政権力がその調整が行われる前に崩壊してしまうと。なぜなのかと。必ずしもこの問責決議だけのせいではありませんが、これも重要な理由の
一つとなっています。実質的に
選任をする権限を持たないにもかかわらず、
参議院が実質的に罷免する権限を持つようになってしまっていると。これは、
システムとしてはやはり不安定化を招く極めて危険な制度の運用というふうに言わざるを得ないと思います。
参議院は政策を止めたり修正したり廃案にする
役割は制度的に期待をされていますが、
独立別個の
民意を体現する
首相・
内閣、
衆議院の
存在を否定してよいのかということは検討されなければならないと思います。
第二に、選挙制度の問題でございます。
参議院が全体としてどのような
民意を代表しているのかが現在の
状況ではやはり制度的に曖昧と言わざるを得ない。独自に持っているはずの民主的
正当性がいかなる
正当性なのかがクリアにならない限り、
参議院のアイデンティティーや
役割というのも対内的、対外的に十分に示すことができないのではないかということが危惧をされます。
参議院の選挙制度というのは、最近特に強調されるところですが、
衆議院の選挙制度とセットで考えられなければならないと。非常にざっくりと申し上げますと、
衆議院がもう多数代表的になっている場面で、
参議院も同じように多数代表とするのか、それとも比例代表とするのか。いろいろな選挙制度は細かくはあると思いますが、大きく言えばこういうパターンになるわけであります。多数代表バーサス多数代表という場合には二つのパターンが政権の
在り方として考えられようと思います。
衆参を
一つの
政治勢力が掌握する場合、この場合には巨大与党が出現すると。第二のパターンは、
衆議院の多数派が
参議院の過半数を掌握できない、この場合には連立政権で
参議院を何とか協力するように持っていくか、若しくは
ねじれ国会となると。多数代表と比例代表という組合せの場合で申しますと、これは恒常的な連立政権ということになろうかと思います。
選挙制度の
在り方によって権力がどうつくられるのかというものが決定的に変わり得るということになります。ちなみに、このお話というのは、時間の
関係で省きますが、同日選挙ということを想定しております。
以上のように、
日本の
政治運営における権力の創出とコントロールのメカニズムの中で
参議院が果たす
役割は決定的に重要であります。
少し時間を超過いたしましたが、私の方からは以上でございます。