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小西洋之君 ありがとうございました。
立法政策上の
観点からは当然望ましいことであるけれ
ども、
憲法上の問題はないという御答弁をいただきました。
今、皆様のお手元に、
国民投票権年齢と
選挙権年齢に差異を設ける制度が
憲法問題を有することについてという私の名前のメモを配らせていただいております。たくさんの文字で申し訳ございませんが、
一般に、この
二つの
年齢のずれについて、それが
憲法上問題であるかどうかを
議論するに際して、
一般に扱われている条文は
憲法十五条、四十四条でございますけれ
ども、あと九十六条でございますけれ
ども、実は
憲法前文において、
国民投票年齢とまた
選挙権年齢、すなわち
国民主権と代議制の
観点が唯一、九十六条も入っていると思いますけれ
ども、唯一、この
憲法前文の中で、同じ条文の中で
規定されているわけでございます。
詳細に御説明差し上げることは難しい、お許しいただきたく存ずるんですけれ
ども、例えば
憲法前文の有名な言葉でございます、「そもそも国政は、
国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は
国民に由来し、その権力は
国民の代表者がこれを行使し、その福利は
国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この
憲法は、かかる原理に基づくものである。」。この言葉ですけれ
ども、これ政府の
国会答弁もあるんですけれ
ども、
国民主権と代議制を共に人類普遍の原理として高らかにうたっているものというふうに位置付けられているところでございます。
であるならば、その二段目ですけれ
ども、我ら、
国民主権者ですけれ
ども、このかかる原理、
国民主権と代議制に反する一切の
憲法を排除する。つまり、ある憲
法改正があったときに、こうした
国民主権や代議制に反するような、そういった
憲法を排除するというふうに言っているわけでございますけれ
ども、これは単に、全ての憲
法改正の場合に言えるわけでございまして、つまり、九十六条において、
国民主権や代議制が当然観念上ある、絡んでくる、
規定にあるわけでございますけれ
ども、
憲法前文として
国民主権と代議制を一体の原理としてうたい上げているものを
考えてみると、これをあえて分けて、それを構成する主権者の
年齢を分けて
考えなければいけない合理的な理由というのは私は見出せないのかというふうに
考えております。
また、(2)でございますけれ
ども、同じく
憲法の前文でございますけれ
ども、「日本
国民は、正当に
選挙された
国会における代表者を通じて行動し、」、これは代議制でございます。次でございますけれ
ども、「わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の
行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が
国民に存することを宣言し、」、つまり
国民主権でございます。
つまり、この
日本国憲法の
国民主権というのはただの
国民主権ではございませんで、政府の
行為によって再び戦争の惨禍が起こることがないよう、つまり、
国民が二度と国家権力の
行為によって、戦争によって犠牲にすることがないように、だから
国民主権を採用するんだという特別の実は
国民主権、これも
国会答弁で政府解釈も示されております。
そうすると、このような大切な自由の恵沢、つまり基本的人権ですけれ
ども、あるいは恒久平和主義を守らなければいけない、それに関わるような
国民主権の発動である憲
法改正の
手続において、一行目の、正当に
選挙された
国会における代表者を通じて行動できない十八歳、十九歳がいるということはやはりおかしいわけでございます。
次のページの三番は、国政
選挙の争点に憲
法改正の発議がなる場合の、やはり十八歳、十九歳が国政
選挙に関わらないことがやはり主権者として排除されてしまうのかということを書かせていただいておりますけれ
ども。
このように、これ、実は、私が調べた限り、
憲法学者でこういう
憲法の前文のここについて正面から論じた人はいらっしゃらないというふうに理解しておりますけれ
ども、この
法律が仮に成立した場合は政府においてその四年後に向けたいろんな検討をしなければいけないわけでございますけれ
ども、実はこの
年齢のずれは
憲法論点であるという指摘がこの
参議院の
憲法審査会であったということを是非、私も政府にいろいろ
質疑などをさせていただきたいと思いますけれ
ども、
発議者の皆様もどうぞよろしくお願いを申し上げます。
では次に、
自民党草案の
憲法十三条について伺わせていただきます。冒頭の
立憲主義の
観点でございます。
船田発議者も尊敬する大先輩の
議員でございますけれ
ども、冒頭申し上げましたように、
憲法だけは間違ってはいけないという若輩ながらの信念、思いがございますので、伺わせていただきます。
自民党草案第十三条でございますけれ
ども、いろいろ
議論もあって御存じのとおりでございますけれ
ども、公共の福祉という言葉を公益及び公の秩序というふうに換えてございます、私のお配りした新旧対照表の資料でございますけれ
ども。
次のページをおめくりいただけますでしょうか。これは、芦部信喜
先生とおっしゃいまして、戦後の日本の
憲法学、
憲法の解釈学をつくった、日本の最も有名な、最も権威、功績のある、実績のある
憲法学者の書かれた、日本で最も今使われている
憲法の教科書でございます。この
憲法の教科書から抜き出させていただきました。
これは何を言っているかといいますと、
日本国憲法が制定された間もない当時、この公共の福祉の意味をめぐって学者でいろいろ
議論がございました。その中で、美濃部達吉
先生という方ですけれ
ども、この公共の福祉を公益及び公共の安寧秩序というふうに理解するべきだというふうな学説をおっしゃられておりました。ただ、これでは
国民の尊厳や自由や権利あるいは幸福追求権よりも公益及び公共の安寧の秩序の方が優先してしまうことになってしまうので、いとも簡単にその公益の名によって正当化された
法律によって
国民の自由を
制限することができるのではないのか、つまり、明治
憲法における
法律の留保と全く同じ、
憲法的には同じ
状況ではないかということをおっしゃっております。
船田発議者に伺わせていただきますけれ
ども、こうした
憲法学者の見解、
自民党草案十三条についての見解をいかにお受け止めになりますでしょうか。