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参考人(舩橋
晴俊君) 法政大学の舩橋でございます。
私は、一九八九年以来、青森県の核燃料サイクル施設の調査を続けてまいりました。これまでに三冊、研究書を公刊しております。青森で大きな
事故が起こらないかということをずっと心配しておったんですが、それがほかならぬ
福島で起こってしまったということで非常な衝撃を覚え、その後、全力を挙げて
福島の現地の様子、そして、なぜこの
事故が起こってしまったのか、どうやったら二度とこういう
事故を起こさないで
日本社会を再建できるのかということに、若い人たちとともに研究に取り組んでまいりました。
今日、申し上げたい点が大きくは(1)から(4)でございますが、まず最初に申し上げたいのは、この問題を
考えるのに、
原発輸出問題について考慮するべき論点として、私たちは大局的、原則的視点が必要だと思います。どういう
意味で大局的、原則的視点が必要かというと、(1)のところに書いたんですけれども、諸外国へ
原発輸出問題を
考える際には、少なくとも次のA、B、Cの視点は持っている必要があろうかと思います。
まずAの視点ですが、海外諸国に
原発を輸出するのが是か非かという問題は、
日本国内で
原発を続けるのが是か非かどうか、またその判断はどういう根拠に基づくものなのかということと切り離せないと思います。
日本自身が
エネルギー政策、
原子力政策をこれからどうするのかということと
原発輸出問題は切り離せないということであります。
第二に、Bの視点ですが、
日本の
原子力政策は、その
基本方針を定めている
原子力基本法第二条において、平和、安全、民主、自主、公開の理念を提示しています。
原子力に関わる個々の
政策判断は、これらの規範的原則あるいは理念に立脚しなければなりません。それに矛盾していないかどうかということをその都度検証する必要があろうかと思います。
そして、Cとして、これからの
エネルギー政策は、
福島原発事故の反省を踏まえ、
原発の
事故の歴史的
意義を
考えた上で立案されるべきだと思います。
世界史の中で四大
原子力の惨害、非常な大きな悲惨な被害を惨害といえば、それを列挙するとすれば、誰でも広島の原爆、長崎の原爆、チェルノブイリ
原発事故、
福島原発事故を挙げると思います。四大惨害のうち
三つまでも
日本において発生している、これは偶然ではないというふうに
考えます。
このような悲惨な悲劇が
日本で繰り返し起こった根拠を分析しなければなりません。それが大局的視点を持つということです。
社会学的に分析するのであれば、
日本社会の
政策決定の在り方の欠陥、それは公論の軽視、閉鎖性、密室性ということ、そして個人の主体性の未熟、個人が自分の責任で
意見表明をせず集団に埋没、従属してしまっているということ、そういう傾向が根深く見られること、道理性や合理性に対する鈍感さといった要因の影響を
指摘したい。これは非常に乱暴な議論に聞こえるかもしれませんが、四大
原子力惨害のうち
三つが
日本で起こったということを根本的に反省しないと、私たちは正しい
政策選択ができないのではないかと思います。
第二に、現時点での
政府の
エネルギー政策を総合的に評価する必要があります。
政府の総合的な
エネルギー政策と
原発輸出問題は絡み合っているわけであります。
四月十一日に
エネルギー基本
計画、全七十八ページが閣議決定されたことにより、現在の
政府の姿勢は、
日本国内で
原発を継続し、海外諸国にも
原発を輸出する
方針であるということが明確にされました。
エネルギー基本
計画の中に
原発輸出が
位置付けられていますが、そうなりますと、
エネルギー基本
計画の
方針が妥当かどうかをまず検証する必要がございます。
翌日、四月十二日に、市民シンクタンクとしての
原子力市民
委員会が「
原発ゼロ
社会への道 市民がつくる脱
原子力政策大綱」、全二百三十八ページを発表いたしました。この
原子力市民
委員会は、様々な
分野の専門家や市民団体の代表者が入り、私が座長を担当しておりますが、この一年間、何十回という会合を開き、かつ全国十六か所で
意見交換会を開き、この総合的な
政策提案をまとめたわけであります。
この
政策大綱は、取り上げているテーマの包括性、アプローチの学問的総合性、すなわち理工系だけではなくて人文学、
社会科学系の専門知識を総動員しております。そして、作成方法における公論の反映、各地で何回も何回も
意見交換をしております。そういう点で前例のないものであると自負しております。この
政策大綱に立脚して問題点を
指摘したいと思います。
是非、議員の方々におかれましては、
政府の
エネルギー基本
計画と私たち市民が作った脱
原子力政策大綱、この
二つの
政策文書を比較し、どちらが説得力があるのか、どちらが包括的に問題を検討しているのか、どちらが総合的、学際的アプローチを取っているのかということを是非批判的に検討していただきたいと思います。
二枚目に参りますが、それでは、
原発を復帰させる、回帰し、
原発を継続する
政策、これが
エネルギー基本
計画に出ているわけですけれども、そしてその一環として
原発輸出
政策が主張されているわけですが、その
内容的な難点について述べたいと思います。
まず一番言いたいことは、
原発には
安全性が欠如しているということです。過酷
事故が発生した場合、破滅的な被害、国の存亡に関わる被害、被害の上限が確定できない、そういう巨大な被害を発生させてしまいます。既に
福島第一
原発事故の
経済的被害は今の時点で十三兆円を超えておりまして、これがどこまで伸びていくか分からない状態ですね。
それに対して、
技術的対策を追加すれば問題を防げるんじゃないかという御
意見があろうかと思うんですが、過酷
事故について、どんなに
技術的対策を追加してもリスクをゼロにすることはできない。現在、新規制基準という言葉が使われていて安全基準という言葉が使われていないのは、そういう
意味があるわけですね。規制基準を守っていれば安全が達成されると言い切れない、どんなに
技術的対策を追加しても、過酷
事故リスクをゼロにすることはできないということです。
私は、この二月の下旬に一週間ほどドイツに参りまして、ドイツの様々な立場の方、市民団体も研究者も、それから行政各省にも、いろんな方、自治体にも会ってお話を聞いてきました。一様におっしゃることは、まさか
日本でああいう
事故が起こるとは思わなかったと。それで、自分は
日本が
事故を起こす前は
原子力の
安全性は
技術によってコントロール可能、危険はコントロール可能だと思っていたと。しかし、
日本の
事故を見て完全に
考えを変えたと。どんなに
技術的対策をやってもコントロールできないリスクが残っている、それが
原子力技術だと。しかも、その確率は少ないとしても、一旦発生してしまえば国の存亡に関わる被害を起こしてしまうと。だから、ドイツはもう
原発をやめたんだと。こういう
意見を各地で聞いたわけであります。その点で、私たちは
安全性とか危険性についてもう一度深く
考え直す必要があります。
新規制基準は、それを守れば安全が
確保される基準ではありませんし、
世界最高水準には程遠いのです。
世界最高水準ではないということの
意味は、私たちの脱
原子力政策大綱の百六十ページに詳しく
説明してあります。過酷
事故対策については、欧州加圧水型原子炉、EPRにその構想がありますが、それに比べても、新規制基準は四つの点で劣っております。時間がないので
内容はここでは紹介いたしませんが、是非百六十三ページを御覧いただきたいと思います。
そして、
安全性について言えば、
原発輸出に関して述べますと、
日本側の安全確認体制が構築されていません。これは非常に無責任なことです。もしも
日本が輸出した
原発で過酷
事故が現地で発生したらどうするんでしょうか。例えば、
トルコは地震多発国であります。そのようなことが起こりましたら、輸出先の国民に対しても取り返しの付かない被害がありますし、私たちの後の世代にも大変な重荷を背負わせることになります。
そして二番目には、各種の放射性廃棄物問題を解決できていないということであります。私は、
日本学術会議の高レベル放射性廃棄物の処分に関する検討
委員会の
委員としまして、二〇一二年九月に
原子力委員会に学術会議が回答をするその文書の作成に参加いたしました。その間いろいろ学んだのですが、とりわけ高レベル放射性廃棄物については少なくとも十万年間の安全を
確保すべきであるが、その方法は見付かっていないと。
危険性の押し付け合いで、
地域間、世代間の不公平をもたらす。紛争の種になります。学術会議もできるだけ良い回答を
考えようと努力しましたが、総量管理、暫定保管、多段階の意思決定を提案しておりますが、これは最終解決ではないのですね。
ですから、
日本が輸出した
原発の放射性廃棄物をどうするのでしょうか。
日本が引き取るのでしょうか。
日本が引き取るのでなければ、諸外国に超長期の危険性と解決できない難問を押し付けることになります。この問題を取り上げないでこの輸出問題を議論することはできないと思います。
それから三番目に、
原発には
経済的合理性が欠如しています。平常時における
発電コストが、
設備投資コストも含めれば火力
発電などに対して劣っていると。
事故が起これば更にその採算は悪化します。このことは私ども市民
委員会の中で、大島先生とか吉岡先生が長年の研究に基づいて実証的な論証をしております。ということは、仮に
原発を輸出して他の外国で
発電ができるようにしたとしても、それは諸外国民に割高の電力を使うことを強いるということになるのです。
より詳細に検討すれば
原発の難点は非常に多数ございまして、「
原発をやめる100の
理由」という本がドイツでは出ておりまして、
日本にもそれが翻訳されておりますが、是非その点を虚心坦懐に御検討いただければと思います。
総じて、
原発の国内操業も海外への
原発輸出も、受益が過大に評価され、受苦が過小評価されている。市民の常識から見れば、非常に偏った見解になっている。なぜそのような偏りが生じるのか。これは、
原子力ムラという言葉がありますが、
原子力複合体というふうに学術的には言えると思うんですが、その
原子力複合体の内部からの判断が余りにも重く、偏重されている。
私どもの本で、二百十六ページの図の六の一がございますので、もしよろしければその二百十六ページの図を是非御覧いただきたいと思います。この図は、一つの事業システムを内側から見た場合と外側から見た場合とで、いかに物事の見え方が違うかということを図示する試みでもあります。
事業システムとして、例えば
原子力発電システムを
考えた場合、それを内部主体から見れば、メリットがすごく大きくて、デメリット、受苦は非常に少ないと、しかもそれは受忍限度より小さい受苦で大した受苦ではない、メリットはすごく大きいと、こういうふうに見えるわけですね。ところが、その事業システムの外側から見る、あるいは底辺にいる立場から見れば、メリットは大したことはないのに受苦は非常に大きいと、それは受忍限度をはるかに超えていると。
ここに
原子力論争をめぐって大きく世論の対立が生ずる根源的な構造があると思います。現在の
原発輸出論というのは余りにも内部の視点に偏っていて、放射性廃棄物問題を始め、
事故の危険性を始め、そういう深刻な受苦の
可能性に対して目をつぶっているのではないかと、そういう疑問を持つわけであります。
それから四番目に、
原発回帰と
原発輸出の手続面の難点を申し上げたいと思います。
原発回帰を主張する
エネルギー基本
計画は、民主的な手続を無視していると言わざるを得ません。
国民世論は脱
原発を望んでいます。
福島原発震災以後、各種世論調査では、
原発をやめるべきが一貫した多数
意見で、大体七割を超えておりまして、それは、二〇一一年から一四年にかけて年々じわじわとそのやめるべきという
意見は増えているんですね。
それから二番目に、政権与党の公約違反ではないかという疑問を
指摘いたします。二〇一二年十二月の
衆議院選挙で、自民党は
原発依存度の低下、公明党は脱
原発を掲げていられたと思います。それと、今再び
エネルギー基本
計画で
原発を復帰させるということは、矛盾しているのではないでしょうか。
それから第三に、パブリックコメントも無視されています。今回の
原子力基本
計画については、約一万九千通のパブリックコメントの
意見分布があるはずなんですが、それが示されていない。数量的に、約一万九千通のパブリックコメントのうちどれだけが
原発の回復を望んでおり、どれだけが反対しているのか、その数量的な公表がされていないわけですね。これはパブコメの多数
意見が
原発回帰に反対だから、だから出したくないとしか
考えられません。
原子力基本法の公開と民主はどこに行ったのでしょうか。公聴会もされていないし、被災者や立地自治体や専門家からの聞き取りもしていません。こういう民主的でない手続で強引に
エネルギー基本
計画を決定しても、それは全く国民に対して説得力を持っておりません。
加えて、
原発輸出の
方針も民主的な手続を無視しています。
原発輸出は
日本国内の民意に反すると思います。例えば、時事通信の二〇一三年六月の世論調査では、
安倍政権が海外への
原発輸出を
推進していることについて、支持しないが五八・三%、支持するは二四・〇%で、二倍以上で反対が多い。こういう世論調査があるわけであります。
さらに、
原発輸出は輸出先民意も無視しています。例えば、
トルコでは、先ほどの御紹介にもありましたように、
原発建設が世論の多数を占めていなくて、反対が世論の多数ということです。IPSOS社の
福島原発事故に対する
世界市民の反応調査によれば、八〇%の
トルコ国民は
原子力反対を表明していると。民主ということは、
日本の中だけが民主ということではなくて、お付き合いのある諸外国の民主主義も尊重しなきゃいけない、そういうふうに
考えられます。
それから、
原発輸出に関係する調査活動について非常に不透明です。これは公開の原則を否定しています。今御紹介ありましたけれども、
トルコ、ベトナムの
原発事業化調査を
日本原電が総額三十九億円余りで受注しているが、公開された報告書は黒塗りだらけで、適正な調査なのか、必要な調査なのかちっとも分からない。大変疑問があるわけです。
ということで、元々の私たちの出発点である民主とか公開とか、そういう原則に立ち返ってみると、余りにもそれと矛盾する事態をもって今強引に
原発輸出が進められていると言わざるを得ません。
まとめを言いますと、一、
福島原発事故にもかかわらず、
原発回帰と
原発輸出を
推進しようとする経産省主導の
政府の
政策は民意と懸け離れていると言わざるを得ません。
第二に、
原発輸出
政策は、過酷
事故の
可能性、高レベル放射性廃棄物という点だけから見ても、諸外国の国民に危険負担を押し付けるものであり、
日本と当該諸国民の真の友好関係と利益を損ない、将来、それらの負担をめぐる紛争のおそれを伴います。
第三に、
原発輸出は、
社会的利益を犠牲にしながら
特定の業界利益の追求に
政府が便宜を図っているという性格が強いのではないでしょうか。
第四に、
日本及び諸外国の
経済的発展や
エネルギー問題の解決のためには、省
エネルギー投資や
再生可能エネルギーの投資を優先するべきであって、この面での
政策と
技術の
開発で
日本は
世界をリードしていくべきであろうと。
そういう
意味で、今回の
原発輸出問題については原点に立ち戻って取りやめるべきではないかというふうに思っております。
以上でございます。