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アントニオ猪木君 元気ですか。皆さん、本当にお疲れです、今日一日、
大臣も
委員の皆さんも。でも、この
委員会から元気を発信しなければならないと思いますので。
私の詩集に「馬鹿になれ」という詩集があるんですが、若い人に受けています。馬鹿になれ とことん馬鹿になれ 恥をかけ とことん恥をかけ かいてかいて恥かけば 本当の
自分が見えてくる 本当の
自分も笑ってるという、今、若い人の中で大変評判なんですが。やはり世の中は、常識という言葉の裏側にあるうそを我々は見抜いて、そしてその本音を語っているので、若い人のファンが私には多いんだと自負しています。
そこで、私も八九年に前の一期務めさせてもらったときに、
自分の目で足でということで、本当に今総理がいろんなところへ行かれていますが、まだまだ紛争の一番危ないソマリア、カンボジア、それからモザンビークも行きました。ケニア、そして中南米も回りました。あの当時、キューバがまだ、国交はありましたけど誰も議員が行かないというので、私が最初にキューバに訪問して、カストロ大統領にも、大統領というか議長にも何回か面会させてもらって、今日お話ししたいのは、
外務大臣に
質問をしたいと思います。
去年ブラジルに行かれまして、そして私も、この前ODAの
委員会でも言ったとおり、十四歳のときにブラジルに移民をしました。ちょうど多感な時期だったので、その頃の思い出がいまだに鮮明に頭の中にあります。
一つには、四十五日掛けてブラジルに渡ったんですが、ちょうどパナマ運河を越えて、あそこの水槽で四段階に上がって船が渡り、そして三段階でまた船が降りていくという、初めてそれを見ました。まだ子供の頃でしたからそれほど、ただびっくりするだけで。そして、運河を通っていくときにびっくりしたことは、ワニが岸辺で甲羅干しをして、大蛇がぶら下がっているんですね。あのときの
工事に、白と黒になっているんですが、事故で死んだ人の墓標が立っていました。
そして、向こうのクリストバルという港に着いて、当時、バナナがまだ本当に一本百円とか高かったんですが、何と、このでかい何百本、百何本か分かりませんけど、付いているバナナが房が一ドルで買えまして、それを兄貴と抱えて船に持ってきて、一番私が大好きだったおじいさんも一緒だったんですが、そのおじいさんがその青いバナナを食べたのが原因でその三日後に亡くなりまして、戦後初めての水葬ということで報道されたそうです。そして、ブラジルに着いてコーヒー園に入植したんですが、大変な重労働で、昨日の
委員会でもお話ししたとおり、後は力道山にスカウトされて日本に来て、でも、非常にブラジルに大変興味、家族がいるものですから。
そういう中で、ブラジルとの
関係ということで、非常にフィゲレードという大統領にかわいがってもらって、昔行くと、もうすぐ大統領官邸に呼んでいただいて。乗馬の好きな大統領だったんです。そうすると、その後にシュラスコということでごちそうになって、そんな感じのブラジルの政界とのつながりもありました。
コロールという大統領も、私の姉さんの旦那の空手の弟子だったので、そんな折、大統領に当選してすぐ日本に着たときに、どうしても空手道場に行きたいということで私が案内した。当然招待がありましたので、まあ行きましたら、カストロ議長も世界の人気者ですからみんなが寄って、私たちは寄れなかったんですが、行ったら私のことも覚えていて、その後、キューバに来てくれという、大使館を通じて話がありましたが。
それよりも、その後、リオに行ったときに、もう既に
ヘリコプターが用意してあって、どういうことかというと、かつてはずっと海岸線に生息したライオンタマリンというお猿なんです、ちょうどライオンのたてがみみたいな。それを今、ポソ・ダス・アンタスという本当に一握りの山しか残っていなくて、生息地が。それを何とか、四百頭を切ると種は絶滅するというので、視察をして、私が、そこの地帯が泥炭
地域なので、九年間も燃え続けていて、何で火を消さないんだと、いや、お金がないんだというので、すぐにお金を集めて、
小松製作所にお願いして、それで、川があるものですから、そこから水を引き込んで火を消そうという計画を立ててブラジルに行ったら、たまたまそのとき火が消えていまして、お金はどこへ行ったか知りませんけれ
ども。
そんなことで、環境問題という、ひとつブラジルとの、私も農業に携わった
関係上、これからの食料危機とか、当然、日本は今豊かですが、今は中国の食料の問題も、食事の問題も信用できない。そういう中で、ブラジルとの
関係が、かつてアマゾン道路の計画も出したことがあります。そして二年後に発表になったんですが、その辺はもう止まっちゃっているんだと思いますが、もし情報があったら後で教えていただきたいんですが。うわさでは、その道路建設に当たって余りにも金があちこちから出るものですから、世界中の金の相場が狂ってしまうという、そんなことで道路が止まったという話もありました。
でも、本当に、今申し上げたいのは、
外交に勝利なしという言葉のとおり、日本の物差しで測って、この物差しに入らないから駄目だというんじゃなくて、相手の国へ行って、そのときの、食事もしなきゃいけないし、飲んで食べて、かつてのロシアの
外交のときも、私はウオツカを向こうの連中と勝負して、相手が倒れたこともあります。
佐藤優君という
外務省の、昔、主任分析官が書いています。
そんな猪木の歴史をちょっと知っていただいて、今後の、さっきのパナマ運河のこともお聞きしたいんですが、ニカラグア運河という構想もあったんですね、昔。竹下総理の時代だったんですが、やっぱり大型船がこれから通らないと。今、開削しているという話も聞いています。
ここでお聞きしたいのは、とにかく今後のブラジル、百五十万という日系がいますからね。日系の本当に農業指導とか、そういうブラジル人にとって日系の立場というのが非常に高く評価されています。それで、かつては日本が景気がいいときには出稼ぎという形で日本にどんどん来ていましたけれ
ども、一時景気が悪くなって、みんな帰られました。まあ介護の問題もあります、ビザの件、いろんな問題がありますけれ
ども、ひとつブラジルとの
関係をどうお
考えか、お聞かせください。