○
西田委員 先ほどおっしゃった、表現の自由や言論の自由とも非常に密接にかかわってくる非常に難しい問題ではありますが、情報国防では、やはりここはまだ不備がある分野でございます、ぜひとも
検討していくべきであろうというふうに思います。よろしくお願いを申し上げます。
残りの時間を使いまして、きょうは、刑法の堕胎罪についてお伺いをしてまいりたいというふうに思っております。
アメリカ合衆国とかと違って、我が国は、中絶の是非ということについては、幸運にも社会的対立となっておりません。我々政治家も、選挙のたびに中絶の是非について、アメリカのように、大統領選のように、政治生命をかけて何か
意見表明をしなきゃいけないということもないわけでございますけれども、一方で、昨今の医療の進歩、そして
議論になり始めました出生前診断の話、こういったものが出てきますと、やはりどうしても、この問題は正面からきちんと向き合って
議論、考察を深めていかなければいけない問題だろうというふうに思います。
国際社会でも、一九九四年でございましたか、カイロで国際
会議が行われて、そして各国の堕胎罪について、これはけしからぬというような声明を出そうかというような話にまでなったと伺っていますが、しかし一方で、いろいろな諸外国の文化的事情、宗教的事情があって猛烈な反対もあって、やはりこの問題というのは、国際社会の中にあっても、それぞれの背景、文化的、宗教的、そういった背景を考えれば、なかなか難しい問題だということになっているわけでございます。
さて、刑法二百十二条で定めがあるわけでございますけれども、昨日刑事局の方にお伺いをしましたら、これは、明治十三年、一八八〇年の刑法制定当初から入っている堕胎罪でございますけれども、当時どういう趣旨で入ったんでしょうかとお尋ねしたら、やはりさすがに明治十三年でございますから、きちんとお答えする根拠となる文書等を探せるかどうかわからないということでしたので、それは結構ですというふうに
お話ししたんです。
恐らく、想定するに、当時、明治でございますから、いわゆる富国強兵、産めよふやせよ、国策でございましたし、一方で、明治維新という中での、西洋に追いつけ追い越せ、欧米に対しての見せ方として、こういったものをきちんと入れたんだぞと道徳的なアピールをしたかったのかもしれません。いずれにせよ、そういう背景で、刑法、明治十三年当初からこの堕胎罪が入ってくるわけでございます。
そして戦後。戦後は、これはもう引き揚げ兵の方々ががっと戻ってきて一気に人口爆発するわけでございますけれども、一方で、食料不足、物不足といったことで、人口政策的な
意味から何とかしなきゃいかぬということで、一九四八年でございますけれども、優生保護法ができるわけでございます。
しかし、この優生保護法ができるときもなお、刑法の堕胎罪はそのまま維持をしたままで優生保護法ということでございました。結果として、堕胎の罪は罪としてそのまま保ちながら、一定の条件を満たした者についてのみ認めるという阻却事由として優生保護法があったわけでございますね。
そして一九九六年が母体保護法でございますから、これはもう完全にようやく優生思想というものを取っ払うことになるわけでございますけれども、引き続き、いわゆる身体的事由そして経済的事由での中絶を認める、堕胎を認める、これを人工妊娠中絶として認めることで、刑法堕胎罪で定める、これは胎児の保護を
目的としたのが堕胎罪でございましょうから、それの阻却事由としたわけでございます。
こう経緯を考えてみますと、明治の刑法制定から戦後の優生保護法、そして九六年、その間には、七〇年代にはそもそも経済条項等について外そうじゃないかという
議論が盛んになったとも伺いました。そういった経緯を見てみても、本元である刑法の堕胎罪はずっと維持しながらも、一定の条件のもとでの堕胎を認める、人工妊娠中絶として。
堕胎罪というのは、やはり胎児の保護というものであって、中絶の
議論の是非で必ず問われる女性の自己決定権であったりとか、そういったものを定めたものでは決してないわけでございます。つまり、堕胎罪では、女性の権利の定めにはなっていないわけでございますから、今中絶の是非をめぐる
議論のときに必ず出てくる女性の自己決定権、こういった話とは堕胎罪はなかなか直接リンクしてこないわけでございます。
この問題、本当にまだまだこれだという結論を実は正直、私自身が持っているわけではございません。ただし、中絶の是非といったものを考えるときに、胎児というものの道徳的位置づけはどうなんだ、そして、女性の権利、自己決定権といったときに、それが果たして胎児の生命権といったものを優先させることができるのかといった
議論。
そして、女性の自己決定権、これは、憲法十三条の後段でもきちんと身体の自由等を根拠として言えるわけでございますけれども、しかし一方で、自己決定権というからには、これは自己所有権が前提になっている、つまり、私有財産といいますか物として扱うことが前提になっていますので、果たして胎児をそうやって物として扱うことが前提となった女性の自己決定権というものがどこまで説得力を持つのだろうか。
こういったことを考えていきますと、やはりこの問題は非常に難しいというふうに思うわけでございます。
現状どうなっているか。今、我が国の出生数、年間百万人でございますが、届け出をされている中絶数は二十万件でございます。届け出をされていないものも含めればもっと数は多いと言われておりますし、近年の数字を厚生労働省から取り寄せて見てみますと、大体二十万件から二十五万件ぐらいで推移している中絶数のうち、当然、暴行、脅迫の際にも認められるわけでございますが、暴行、脅迫での人工妊娠中絶というのは大体百件なんですね。ですから、ほとんどが身体的もしくは経済的理由での中絶ということになっているというこの現状。
こういったことを考えてみたときに、もう一度堕胎罪とは何ぞやといったことと向き合わなきゃいけない、そして、人工妊娠中絶の是非についてもう一度やはりきちんと向き合わなきゃいけないというふうに思うわけでございます。
大臣に、残った時間で、お答えできる範囲で構いません。今現状、刑法の堕胎罪というものは事実上もう形骸化しているような
状況でございます。その現状についての御認識、もし可能であれば、あわせて人工妊娠中絶に対する是非についての御
意見等がございましたら、お聞かせいただきたいというふうに思います。