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椎名委員 ありがとうございます。
いろいろな
現状を教えていただきましたけれども、一番最初にまず申し上げたいのは、正規、非正規という言葉は使わない方がいいと思うんですね。正しいという言葉が入っている時点で既にこれは価値判断を含んでいます。正社員か非正規社員かということによって、まるで正社員が正しい働き方で非正規社員がそうではない働き方であるかのように聞こえるわけですね。
これを事務方の方々と
お話をしたところ、
総務省の統計で使っていた呼称だというふうにおっしゃっておりましたけれども、しかし、統計上の呼称を政策判断に使うというのは絶対に正しくないと僕は思っていて、正規と非正規というのをワーディングとして使うのを絶対にやめた方がいいと思うんですね。
何が正しくて何が正しくないかは全て働く人が決めることなんですね。それをあたかも、正社員と言うことによって、これは完全にギルド化しています。労働組合という人たちは正社員の集合体ですけれども、こういった人たちが自分たちの利益を
確保するために完全にギルド化して正社員という言葉を使っている、私
自身はそう思っています。なので、それは結局、裏を返すと何かというと、非正規社員に対する無形の差別が行われているというふうに私
自身は思っています。
こういった、正規、非正規の二極化ではなくて、本当に多様な働き方を
確保するのであれば、まずは、雇用契約のあるべき姿というのを見据えていくべきなんだろうというふうに思っています。
私が一番冒頭に、
日本型雇用契約の特徴として、期間の定めのない雇用契約と
職務の定めのない雇用契約という言い方をしたのは、あえて、その正規、非正規というワーディングを避けたかったからなんですけれども、恐らく、期間の定めがある雇用契約であり
職務の定めのある雇用契約がパートであり、バイトであり、かつ派遣労働契約なんだというふうに思うんですね。そういった方々に対する施策を打っていくということがこれからは望ましいのかなというふうに私
自身は考えています。
今おっしゃっていただいた二点目、多様性の
確保というところについては、それは本当にそのとおりだと思っていまして、いわゆる正社員と呼ばれている、期間の定めがなく、かつ、
職務の定めのない雇用契約によって、いわゆるメンバーシップ型と申し上げた、会社に入社をした人たち、こういった方々は、長期雇用契約を前提として、さまざまな会社の就業規則に基づく指示に対して従っていかなければならない、そういうことがあるわけですね。
ジョブ型という働き方については、入社前というか、会社に入る前に、ジョブディスクリプションと英語では言いますけれども、大体、特定の仕事を明示されて、その仕事をやるというふうに決められているわけですから、そういった働き方も徐々に広めていくということ、これをしていくことによって、将来的にどういった効果が見込めるのかというと、やはり人材個人のキャリア設計というものを見越した労働政策を打っていくことができるんじゃないかというふうに私
自身は思っています。すなわち、何かというと、特定の
専門性を高めていくことによって、流動性の高い人材をつくり上げていくことが可能になるのではないかというふうに私
自身は思っています。
長期雇用契約であり、
日本型雇用慣行の
問題点として、私
自身は、もう
一つ大きな問題が実はあると思っています。それは何かというと、簡単に雇用調整ができないということだというふうに思っています。
新卒一括採用をし、長期雇用契約が前提となっているので、なかなか首にできないわけですね。そうすると、雇用調整をできないので、企業としてはどういった雇用調整の仕方をするのかというと、不景気のときには大体新卒一括採用を絞るかやめるかということをするわけですね。これはかえって若年層の就職難を招くだけであって、
現状既にメンバーになっている、先ほど私はギルドと申し上げましたが、ギルドの
権利をかえって保全することになり、新しく労働の
社会の中に入っていく人たちの
権利を制約している、そういう
状況になるんだというふうに思います。こういった問題があるというふうに私
自身は思っています。
次に、少し
法務っぽいことを
大臣に
一つ伺いたいと思いますけれども、こういった
日本型雇用慣行というのは、必ずしも民法の雇用契約に関する部分だったり労働三法だったりというところから直接的に導かれてつくられてきたものではないというふうに正直思っています。むしろ、判例の果たしてきた
役割というのが非常に大きいというふうに思っています。
先ほど来
指摘をしている就業規則というものも、本来であれば就業規則の上位概念として労働協約というものがあるはずでございますけれども、しかし、判例の中で、それから企業の実務の中で、労働協約というものの
役割が非常に制約されてきて、就業規則の
役割が強くなってきて、それを判例で
現状追認するとか、労働時間の上限
規制についても、例えば
法律上は一日八時間、週四十時間という決めがあったとしても、結局三六協定を結ぶことによって、これは結局残業代という割り増し賃金を払うための時間基準でしかなくなっているという
現状。
そして、これを判例が追認してきたとか、解雇についても、長期雇用契約が前提となっているということ、こういう事実を前提とすると、なるべく解雇、整理解雇は認めないようにということで、判例で解雇に厳しい要件をつけてきたという形で、
日本型の雇用慣行はどこがスタート地点で、どこが鶏でどこが卵かというのはもちろんあると思うんですけれども、これが形成されてくる過程の中で、判例が果たしてきた
役割というのは非常に大きいというふうに思っています。
一番
最後に申し上げた解雇の話なんですけれども、解雇権濫用の法理というのがあります。民法一条三項ですけれども、
権利濫用法理に基づいて整理解雇というのが非常に限定的に解釈されて、行うことができない。そして、労働契約法十六条という
法律で、これを立法によって追認がされているわけですけれども、こういったものがあることによって、企業は当然解雇をすることをちゅうちょするわけですね。なぜなら、条件が余り明らかではないからですね。
法律上定められている期間の定めのない雇用契約というのは、労働者側からは二週間、それから使用者側からは一カ月前に通知をして解約をすることができるというのが原則なはずなんですけれども、判例によって大分変わっているというふうに思います。これは正直、
裁判所による事実上の法創造だというふうに思います。
裁判所が労働政策の形成に過分に大きな介入をしてきているのではないかというふうにも思えるわけです。こういったことによって、人材の流動性というものを高めていく中で非常に大きな問題があるのではないかというふうに私
自身は問題意識として持っています。
こういった、少し
一般論みたいな話にはなってしまいますけれども、司法機関による事実上の法創造によって政策的に誘導されていくということ、これについて問題があるんじゃないかというふうに思うんですけれども、
大臣の御所見をいただければというふうに思います。