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坪井参考人 私は
弁護士でございます。ただ、皆様のお手元にお配りをしました資料の一番最後に、「社会福祉法人カリヨン子どもセンター」というパンフレットをつけております。十年前に、仲間の
弁護士たちが中心になりまして、十五歳から十九歳まで、虐待や非行のために帰る場所がない、今晩泊まるところのない子供たちのためのシェルターを開設いたしました。きょうまで十年間、約二百五十名の十代後半の子供たちの居場所づくり、その子供たちの自立支援をしております。
そうした、付添人として
少年事件にかかわり、あるいは、シェルターの運営者として非行を起こした子供たち、虐待から苦しんだ子供たちに携わっている現場から、今回の
少年法案について
意見を述べさせていただきたいというふうに思っております。
大部の資料をお手元にお届けいたしました。これは、今回の法案に対してどのような市民たち、
弁護士たちの
意見があるかを皆さんに知っていただきたいと思ってお配りしたものです。
一ページにあります、
少年法改正に反対する
弁護士有志、そして研究者有志の会、これは、私、そしてこれからお話をする
村井さんも入っておりますが、今回の
少年法案に対して反対をする
弁護士、研究者の
意見書でございます。私が申し上げたい
趣旨はここにあります。
飛びまして十三ページを見ていただきますと、ただいま
被害者の方の切々たる訴えがございましたが、
少年犯罪被害者の中でもいろいろな御
意見をお持ちの方がいらっしゃいます。十三ページにありますのは、佐賀バスジャック
事件という
少年犯罪の
被害者であられました山口由美子さんの講演録です。山口さんは、
被害者でありつつも、
少年法の
厳罰化あるいは検察官関与に反対をするという
意見を常に述べておられます。
さらに、十七ページ。
被害者と司法を考える会、これは、子供さんを亡くされた片山徒有さんというお父さんがつくられている会でございますが、こちらでも
少年法改正反対の
意見を出されております。
さらに、二十一ページをごらんください。二十一ページは、一昨日の新聞記事であって、先生方もごらんになっていらっしゃるかもしれませんが、神戸連続児童殺傷
事件の
被害者であられる、子供さんを亡くされました
山下京子さんというお母さんの手記が載っておりました。
その手記の一番最後の段落を見ていただきますと、加害男性から十通目の書状が来た、そういう
内容なんですが、「加害男性は、生涯をかけて償いながら生きることを選びました。 彼が、自分の罪を真正面から見つめようとすればするほど、計り知れない苦痛が伴うでしょう。でも、いばらのような道を歩みゆく過程で感じる命の痛みこそが、償いの第一歩ではないかと思っています。」というふうにお書きになっていらっしゃいます。
少年法のもとで裁かれた
少年からの手紙、遺族との交流が書かれております。
さらに、二十二ページ以下は、さまざまな市民や団体の
意見書を載せておきました。子どもと法・21、市民団体の中で特に子供たちに寄り添う市民たちがつくっている団体ですが、こちらで、
少年法改正法案に対して、特に国連の子どもの権利条約の視点から、いかにこの法案がおかしいかということを中心に述べてある
意見書です。
それから、二十六ページ。これは、
裁判所の書記官、現場の調査官の方たちが出しました、全司法労働組合として出されました
少年法骨子、これは骨子の
段階で出していますが、見解として、刑の
長期化、そして検察官関与に反対をするという
意見です。
それから、二十七ページ以下。これは、最近になりまして各
弁護士会で会長声明を出しております。仙台
弁護士会、埼玉
弁護士会、そして静岡
弁護士会というところで、この
改正法案に対する反対
意見を会長声明で出しております。
こうしたところをぜひごらんいただきたいと思って、資料をお配りいたしました。
私自身、付添人を長くしてきて、きょうは、どういう子供たちが非行
少年なのかということをもう一度先生方に御理解いただきたいと思って、まずお話をさせていただこうと思っております。
被害者の権利保障、これは本当に重要なことだと思っております。私は、
少年事件の
被害者の代理人もしております。
少年法の中でどのように
被害者が守られなければいけないかということについても痛感をするものですが、国
会議員の先生方には、ぜひ、加害者たる
少年たちが
被害者であった歴史の
部分にも着目をいただきたいと思います。
私自身が虐待
事件ということを知ったのは、実は付添人になってからでした。付添人をして非行
少年と向き合いまして、その子がどうしてこのような
犯罪を起こしたかということを話を聞いていく過程で、その子供の生育歴に虐待の影が見えなかったことがなかったからです。その虐待、身体的虐待も、あるいは罵倒、無視という心理的虐待も、そして最近ふえているネグレクト、世話をしてもらえないという養育放棄、そうした中で、子供たちが心も体も傷つけられ、ひとりぼっちでさまよい、そして荒れ狂って非行に陥った、その過程をつぶさに見せられました。
その子供たちは、自分の痛みを救われたことがない、誰にも相談できたことがない、その中で人間不信に陥っています。大人なんか信じられないと言います。そして、自分の苦悩を言葉で表現できない、聞いてもらったことがない、人の話も聞けない、自分の痛みを誰にも救ってもらったことがない、人の痛みがわからない、そういう子供たちでした。
被害者御自身が、
厳罰化、厳しくと言うことを私は否定するものではありません。しかし、周りの人間たちが、この子供たちのそうした不適切養育や虐待を放置したまま、
犯罪者になるまで放置した家族や学校や地域や、そして国の責任はどこへ行ってしまうんでしょうか。その人たちまでが一緒になってこの子供一人に責任を負わせる、そんなことでこの国の未来があるでしょうか。
子供が刑務所で
長期処遇をされた場合にどのようなことが起きるか。
刑務所というところは強制労働をさせられます。そして、一日じゅう全て管理、監視された中で生活が行われていきます。そこでは、いわば何も考えなくても三度の御飯が食べられて、恐らく心を摩滅させていって、非人間的な生活をしようと思えばできてしまうところであります。そのような中に子供たちが入っていく、若いうちに入っていく。
そもそも、人間性というものが育てられずに、人間らしさを失って
犯罪に落ちた子供たちが、そのような中で人間性を回復していくことができるんでしょうか。罪の意識や贖罪の意識がその中で高まっていくでしょうか。社会に対する適応力もコミュニケーション能力もないまま、
長期間の収容の後、社会へ戻ってきたときに何が待っているんでしょうか。
私たちは、
長期処遇を受けた子供たちが帰ってきたときの現場に立ち会ってきました。社会の動きについていけない、就労する方法もない、家族にも見捨てられている、そういう子供たちが生きていくのがどんなに大変か。そして、その中で、多くの子供たちが、就労のめどなく、生活を自分で再建することもできず、自立の力もなく、ホームレス化し、生活
保護を受給していくような人間になっていってしまったり、あるいは、行き場なく再び
犯罪に陥ったりしていく、そういうところを見続けてきました。
このようなことが起きている中で、どうして子供たちの
被害者への贖罪の意識も高まっていくということがあり得ましょうか。
二〇〇〇年以降の
少年法改正の
厳罰化の中で、今の家裁の
審判廷はぐんぐん変容しております。私たちは、付添人をしていながら、かつてだったらこれは
保護観察だったという処遇が
少年院送致になっているということを感じたり、逆送
事件が確かに激増しているということを感じたり、あるいは、仮釈放までの期間がどんどん長くなってしまってなかなか子供が帰ってこないということを実感しております。
今回の法案の中でさらなる
長期化ということになった場合に、たとえその
法律が
適用される子供は一人二人にすぎなかったとしても、
少年法全体が子供の
長期処遇化の方向へ向かって変わっていくということは、もう火を見るより明らかだと思っております。
子どもの権利条約三十七条(b)項に、子供の自由の束縛ということは最後の選択でなければならず、しかも、最も適当な
短期のみにしなければならないとなっております。国連子どもの権利条約は日本政府が批准をしている条約です。この条約に違反をするような法
改正をすることは許されない。
しかも、日本政府は、二〇一〇年には国連の子どもの権利
委員会から勧告を受けています。このような
長期処遇に関して、それは避けなければいけないという勧告を受けている中で、このような
改正を図ることが、一体、国際社会の中で許されていくのかという面にもどうか目を向けていただきたいと思います。
本当の厳しさとは何か。カリヨン子どもセンターで、帰る場所がなくて
少年院からやってきた男の子の事案をお話ししておきたいと思います。
彼は、養育放棄を受け、ちゃんと育てられず、居場所なく、不良グループの中で年長の子供たちと一緒に取り返しのつかない
事件を起こした子でした。
彼が、地元へ帰れず、
少年院から私たちのところへ戻ってまいりました。彼は、
少年院の中で非常に厳しい教育を受けました。一年間の間は何をされているかわからなかったと言っていました。しかし、一年後、ようやく先生の言うことがわかってきた、そして、自分の起こした罪というものに向き合わされることのつらさ、本当に死にたいほどつらかったと言っていました。
そして、付添人がずっと彼を支え続け、
被害者への謝罪ということを彼に促し続けました。彼は、戻ってきて、スタッフと一緒に暮らしながら、就労先を見つけ、
被害者と交流をし、きちっと、一生かかって被害弁償することを誓い、今も、月々一万円ずつですけれども、
被害者に対する弁償を続けながらおわびを続けております。
こうした子供たちの更生、これは、隔離からではなくて、本当の意味でそれを助けるたくさんの人たちがいて、
被害者の権利保障も、そして子供たちの成長も助ける人たちがいて初めて実現することであります。先ほどの
山下さんの手記も同じことをおっしゃっていらっしゃるんだというふうに思います。
必要なのは、虐待あるいは不適切養育に着目した専門的な
短期集中処遇、そして、できるだけ早期に社会の中での日常的な人間関係に戻して、息の長い司法、福祉、更生
保護、多機関連携による子供の自立支援の継続だと思います。再犯を防止し、社会人として自立させ、
被害者への本当の意味での償いをして、この社会が安全になる、それこそが
少年法の理念だろうというふうに思っています。
二〇〇〇年
改正後の
審判の変容は先ほど申し上げましたが、
審判は、私たちが参加していて、かつての、
裁判官が自分の人格をかけて子供と対話をし、子供の言葉を引き出し、そこに反省を求めていくという、厳しくも、しかもしみじみとした
審判廷というのは見られなくなってきました。恐らく、内省を促すという言葉が二十二条に追加されたり、検察官関与があったり、逆送
事件がふえていく中で、
審判は刑事
裁判のような趣をしています。
裁判官は、追及し、説教をし、子供の口答えを許さない。私ども付添人がいても、付添人は黙っていてくださいと言われて、私たちが黙らざるを得ないような
審判廷が出現しております。
人間らしさを失った子供たちに何よりも必要なのは、まず、自分たちの言葉で子供が気持ちを表現できるようになること、それから人の言葉を受け入れるようになることです。
少年法では、調査官面接、鑑別所技官の面接、そして
審判廷で、あるいは付添人の面会で、子供と言葉で一対一で聞き合うという、子供の人間らしさを回復するための第一歩がそこで始まっていくのです。
検察官の役割は、訴追であり、そして尋問をして国家権力による処罰をすることが役割です。一人一人の個人の検察官の問題ではなく、
制度として、それが検察官の役割、お仕事です。今、
審判の変容は、私たちとしては本当に回復不能なところまで来ていると思っていますが、ここに検察官関与が大幅な
範囲で加わることができるとなってしまったら、瀕死の
少年法が壊滅するのではないかというほどの危機感を感じています。
裁判官が本当に事実認定に困っておられるのか。
裁判所はそんなことはないとおっしゃっているはずです。全ての捜査資料がお手元にあります。
裁判官は全ての捜査資料をお読みになる。そして、もし子供の話がわからなければ、どうしても第三者的にならなければ、そのためにこそ調査官がおられる。調査官がきちんと事実を整理して
質問をする、それを
裁判官がお聞きになればいいことではないですか。なぜ検察官が来なければならないのか。
子供がうそをつくとおっしゃる。どうして子供がうそをつかなければならないのかをお考えいただきたいと思います。子供たちは大人不信です。信じられない大人にはうそをつきます。しかし、本気で、さまざまな試し行為にさらされながら、本当に大人の方も必死で子供に向き合っていくとき、子供たちは真実を語り出します。追及したり、尋問したり、その中では真実は発見されてこないのです。冤罪の危険もそこから高まっていくだろうというふうに思います。
少年法が本来の使命を取り戻すために、今回の法案に対して私としては反対せざるを得ないということで
意見を締めくくります。
ありがとうございました。(拍手)