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赤枝委員 おはようございます。
自由民主党東京比例の
赤枝恒雄と申します。よろしくお願いいたします。
きょうは、これを見ると、赤で始まって青で終わるという、非常に、
最初は過激だけれ
ども最後は静かだよみたいな、そういうにおいがしないではありませんが、私の
質問は何かと危ないというのが評判になりまして、
総理と
お昼御飯を食べたときに、お聞きしました。
そうしたら、
総理が、それは
赤枝先生の
常識で聞いているんだから、どんどん
質問してくださいということでした。しかし、僕には
質問しないでよというふうに言われたので、きょうは
大臣には御
質問をしないというふうに考えておりますので、どうか御安心をいただければと思います。
まず、冒頭、
自分の
自己紹介並びに
青少年に対するやってきた
取り組みについて、ちょっと御
紹介をさせていただきたいと思います。
私は、現役の
産婦人科医で、六本木で、もう三十七年、
産婦人科を開業しております。それで、お産がなくなったのが契機だったんですが、十五年前から、夜の
街角のカフェで
子どもの
相談室というのを始めまして、これは十五年間ずっとやっていました。
そこで知った
子どもたちの
実態は、非常に危険なものでした。特に、不特定多数と
コンドームをつけない方がいけているという
感覚で、その当時、ヤマンバとか、
あとコギャルとか
ガングロとかいうのが非常に発生したころ、そういう人種が発生したころに、そういう風潮で、これは世の中どうなっているんだろうと思って、
自分の
お金で
子どもたちの性の
実態調査、
感染症の
実態調査をやってみました。
そうしたら、百二十五人の平均十七歳の
女の子が受けてくれて、何と八一・六%の
女の子が
性感染症に感染していたという
実態がわかって、これは大変なことだ、どうにかしなきゃいけないということで、私の
ガールズガード運動、
女の子を守ろうよ、男の子も
女の子を守ろうよという
運動をそこから始める
きっかけになったわけです。
私が一番
最初に
街角相談室を始めたころ、ちょうどこれが一九九九年でありまして、何かと、非常に性のいろいろな問題が悪化してくる
きっかけになった年ではあるんですね。
長年
日本が反対をしていた
ピルが解禁されたという事実が、この年ですね。
ピル推進派の人は、その当時、
ピルを解禁すると、性について、また
性感染症についていろいろ考えるチャンスになるんだ、だから、
ピルを解禁すると
性感染症は減るんだよという
議論が強かったんです。
でも、実はこれは、十五年たって考えると、うそでした。
そのころから、ちょうどエイズが急に上昇してきて、それからクラミジアもふえてきました。同時に、
コンドームをつけなくてもいいというような
感覚でしょうか、七億個売れていた
コンドームが、現在では二億三千万個、三分の一しか売れなくなっている。あのオカモトも経営的なピンチに陥っています。それぐらいに、
コンドーム離れを起こしたのは、この
ピルのせいでもあったわけです。
それから、
バイアグラが、
日本の治験もないのに、このとき解禁されたんですね。
バイアグラは、御承知のとおり、
家庭の中で正しく使えば問題はないんですが、どうも表で遊びで使うということになると、これは非常に問題が大きいわけです。
それから、ちょうど一九九九年は、
子どもたちの携帯がインターネットにつながった時期なんですね。ということは、今までテレクラで
相手を探していた
コギャルたちが、直接
自分で書き込みをして、十四歳、何か御飯ごちそうしてくれる人いませんかみたいな呼び込みで簡単に
相手が見つかるという、この一九九九年から第二次
援交ブームが始まるわけです。
この第二次
援交ブームというのは本当にすごい時期で、
日本経済が破綻をして底のときに、
コギャルがおやじからもらった
お金で高級なバッグとかを買いあさって
日本の
経済を支えたとまで言われるくらいに、この辺に
コギャルは
経済には活躍をしたわけなんです。
そういう
時代を経て、そのころの
子どもたちが今
子育てをしているわけですが、今の
子育ての
現状を見ても、
学校の
先生に聞くと、驚くべき
常識のなさ、非
常識を超えた無
常識という状態になっております。
高等学校で、高校の
先生が、校庭で拾った通帳に五万円ずつ入っているというのを発見して、生徒を呼んで、これは援交しているんじゃないのと言ったら、やはり援交していた。親を呼んだら、親が
職員室へ入ってきて、
子どもに抱きついて謝るわけですね、何とかちゃん、
お母さんが
お金をあげないからこんなことをしたのね、ばかな
お母さんねと。これはおかしいですね。
それから、
キャバクラに行っているのを注意したら、親が、
キャバクラというのは
社会見学でいいじゃないですかと言う。
そのころギャルと言われた
子どもたちが大きくなって
子育てをしているわけですが、そういう
時代に入ってきて、どうにかしなければいけない。
私は、この問題を解決するには
性教育をしっかりやらなきゃいけないというふうに当初は考えておりました。
しかし、
日本産婦人科医会が、二十年前に、
全国の
養護の
先生を集めて、
性教育指導者セミナーというのを始めたんです。
性教育を専門にする
養護の
先生を育てようと二十年前に始めて今があるわけですが、二十年前の
テーマが、何と、今の
中学生の性がおかしい。二十年前に、今の
中学生の性がおかしいと言っていたわけです。
それが、今は、私の
診療所も、信じられないかもしれませんが、小学生の
援交少女がいつも病気をうつされて来ます。これは、タレントさんの追っかけをしたりプレゼントをあげたりするのにどうしても
お金が要るんだということで、
幾ら説教をしても、じゃ、回数を減らしますみたいなことで、やめるとは言わないんです。
そういうふうに、性の低
年齢化は着実に起こっている。
性教育をこれだけやってきても、
社会でやってきても、
養護の
先生もやってきても、だめなんですね。
そこで、私は、ある統計に
性教育にかわるような
ヒントを得たわけですが、それは、数年前に
男女共同参画会議が
全国的な大規模な
調査をしたら、
親子の
会話があるほど性の
体験がおくれますよというのがあったんですね。つまり、
親子の
会話がないほど性の
体験が早くなるということですね。
そういうことで、そこに
ヒントがあると思って、
親子の
会話をふやせばいいと。つまり、親が
子どもと
一緒に遊んでやる
家庭ほど
子どもは健全に育つんだなということがわかりました。
そういう
性教育と並んで、もう一つ、法の
整備ができないのかなと。
私は、昔、
石原都知事がいるときに、呼ばれたときに、
一緒に、
中学生の
セックス禁止令、それから
漫画本の
禁止というのをやっていたわけですが、そのころから、
法整備ができないものかと思って、ここに、資料二ページ目、性の
自己決定権、この性の
自己決定権は、別の表現をすると、
性的同意年齢とも言われるわけです。
これは、見ていただければ、
日本は十三歳になっているわけです。つまり、十三歳までは
セックスしちゃいけないよ、
同意の上でもいけないよ、それは
レイプだよということです、これは
刑法ですから。
しかし、十四歳になれば、これは何にも、地方の条例によっていろいろありますけれ
ども、
罰金刑ぐらいになったりするわけですが。
世界の
常識がどうなのかというと、八十九カ国は、十六歳までは
セックスしちゃいけないよと。つまり、
中学生は
セックスしちゃいけないんだよ、それは
レイプだよということに
基準がなっているわけです。
これは、十六歳は何でかと考えてみると、四ページ目を見ていただければ、
世界の
結婚年齢が、
女性は、
最低十六歳になっているんです。多くの国は、
最低十六歳で
結婚ができるとなっているわけですね、十八歳というところもありますが。十六歳で
結婚ができるのであれば、
セックスは十六歳でいいだろうということになったんじゃないかと思います。
そこで、
大臣にはきょうはお聞きしないんですが、一応、きょうは
法務省の方から来ていただいているので、性の
自己決定権を十三歳から十六歳に
引き上げるということについてはどうお考えでしょうかという、その辺のまず御感想からお聞かせ願いたいと思います。