○松田
委員 私は昔、大蔵省に入って間もないころに、当時の西ドイツに留学をしたことがあります。ですから、留学ですので、あちこち車を走らせて、アウトバーンを、基本的に無料でございますが、全部とは言いませんが、かなりの部分を走り回ったんですけれども、ドイツなんかを見ていますと、やはり、ヒトラーの
時代に強権的にアウトバーンが
整備されて、
全国ネットワークというのをいち早く
整備して、それがドイツの経済発展に物すごく大きな役に立っているというのが非常によくわかりました。
分散型というか、もともとドイツは分権国家ですが、
都市間で
機能分担がなされているわけですね。ドイツというのは、この
都市に行くと何でも全部用が足せるというところはどこもなくて、御案内のように、金融はフランクフルト、商業はデュッセルドルフ、貿易はハンブルク、あるいは文化とかそういうものはミュンヘンとか、それで、首都
機能が当時はボンにあり、ベルリンにある。私も時速二百キロぐらいで飛ばしましたけれども、それぐらい飛ばすと、結構利便性が高いといいますか、分担ができるようになる。そうすると、それぞれの広域経済圏がそれなりの独自の発展ができるようになっているというのは、非常に国土設計がきちっとできていたなというふうに思っています。
その中で、私がかなり驚いたのは、当時も、一九八〇年代ですが、どこの農村部に行っても、それなりの豊かさがあるといいますか、基本的なものが一応全部そろっているという
状況がございました。これは、ドイツの方に言わせれば、ドイツの農村というのはドイツ人の心のふるさと、魂のふるさとなんだ、農村をしっかり振興するのは一番基本的な政策なんだという話をよく聞かされたものですけれども、そういう意味で、ネットワークをさっさと完成させてしまうというのは国のつくり方の
一つのあり方じゃないかなというふうに私は思っておりました。
それで、ドイツというのは、私も当時いろいろドイツの経済の勉強もいたしましたが、
社会的市場経済という言葉がございまして、ドイツは統制経済というのを断固として排そうとしたわけですね。ヒトラーの
時代に、
アメリカ以上にドイツというのは国家権力というのに対して反発意識が強いといいますか、ですから、統制経済を絶対排除すると。統制経済を排除するために何をしたかというと、まずは市場経済を重視するんですが、ただ市場経済だけでは
機能しない。
そこで、いろいろな原則をつくりまして、市場の
機能はそれだけではうまくいかない、いろいろな
社会的な優先事項とのつり合いをきちっととっていく。それが、いわゆるドイツ語で言うと、ゾツィアレ・マルクトヴィルトシャフトといいまして、
社会的市場経済というんですが、そこで国家には役割というのがきちっと規定されていて、ドイツ人というのは何でもきちっと規定するのが大好きな
国民なんですけれども、国家は
社会経済生活に介入する権利はないというふうに一旦そう規定しておいて、それであるがゆえに、国家は逆に、二つの理由で介入する
義務があるんだと。権限じゃなくて
義務があると。
その
一つが、競争条件を平等化するということでありまして、この競争条件の平等化の
一つがブンデスカルテルアムトといって、いわゆる公正取引
委員会みたいなところで、いわゆる中小企業に対して大企業が余り圧力をかけないような、そういうことをやる、あるいは中小企業の競争条件を大企業と対等化するといったことと、もう
一つが、競争条件を対等化することを
全国に行き渡らせるための国土
整備政策をやるということで、これは
インフラ整備というのをそこの中に位置づけている。
もう
一つの国家の介入
義務というのが、景気の安定だとか、労働者の
社会参加とか、この点について国家が
義務を負っているというたてつけになっているのがドイツの国なんですが、そういう意味で、私は、ドイツの国を見て、
インフラ整備というのが
一つの国家のつくり方というか、
一つの理念のもとにきちっとした
計画がそのもとにあって
道路が
整備されているというのが非常によくわかりました。
そこで、ちょっと御
質問なんですが、小泉政権下で、
構造改革というのが行われて、当時
高速道路の
民営化というのが行われたわけなんですが、その当時、
日本はナショナルミニマムを既に達成していて、そして、これ以上の
道路建設は受益と負担との
関係、コストと効果との見合いでそれぞれの地方というものが選択していくんだという、かなりそういう
議論が行われていて、私は
民営化もかなりその影響を受けているような感じがしていたんですが、ただ、私は、個人的には、本来
インフラというのはそんなものだったんだろうかという気持ちをしながら、そういうものなのかなと思いながらこれを見ていたわけなんです。
当時の、いわゆる
道路民営化されたときの
高速道路整備計画というのは、まだナショナルミニマムを達成するというその過程にあった
段階でのものだったのか、あるいはもう既にその設計思想どおり、地方が自立的選択をする
時代に入ってなされている、今はそこにいるというふうにお
考えなのか、その点について、
大臣の御見解をお聞かせいただければと思います。