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松本(剛)
委員 我々もそうですし、恐らく携わった
皆さんもそうですし、
政府の
皆さんも、勝てると思ってやっていて、結果、負けた。
今、
政府の公式な
説明としては、いや、やるべきことはやったし、一生懸命やったんだ、こうなってしまうんですね、今までも。そうでなければ、誰かが責任をとるとかとらないとかという話に、確かにこれまでの議論ではついついなりがちで、それを避けるためにということもあるのかもしれませんが、
我が国にとって、これはやはり、なぜこうだったのか。
少しストレートな言い方をしたら、捕鯨ということは、価値観もかかわってくる部分がないわけではありません。もちろん、これは国際法の
判決ですから、
判決の中に価値観であるとかそういったことで書かれているのではなくて、法の論理構成で書かれていますから、反論もそうせざるを得ないというふうに思いますが、そもそも捕鯨というものを
我が国のように文化として認めているのか。全く認められないものとして考えている国で育った判事さんもいらっしゃるわけであります。
ですから、そういう中で、今回の
判決というのは、捕鯨という、大変文化の違いがあるものであるからこそこういうことになったのか、それとも、我々の
国際司法裁判所への
理解の求め方というものを今後根本的に変えていかなければいけないのか。
私たちは、国際社会を、これから国際法に基づく形でしっかりやっていくべきだということを言い続けています。これは釈迦に説法ですけれども、法治ということについては、司法は
最終的なものとしてやはり決して欠くことのできない大きなポイントになってくるわけでありますから、この司法において、私たちから見て、きちっとした理屈できちっとして申し上げたことがしっかり通る、そういうことでなければいけないわけでありますから、この捕鯨の問題でなぜこういう形になったのか、特殊要因なのか、それとも根本的な問題があるのか、こういったことについては、出し方も難しいと思います、誰がいいとか悪いとかという話に往々にしてつながりやすいんですが、求めているのはそういうことではないんです。この国にとって、きちんとやはり今後どうしていくのか。
今、私は
政府の
立場ではありませんから、おっしゃったように、
裁判所では、するべき主張を、その時点でのベストの
努力をしっかりされたんだろうと私も期待をしておりますし、そう思います。しかし、他方で、司法というのは、
日本でもそうですけれども、ロビー活動をするような場ではありませんから、どういうふうにアプローチをしていいのかというのを考えていかなければいけないと思います。先ほどお話しさせていただいたように文化的な背景の違いもあるような中で、多様な国々の判事さんに対してどういう形で
我が国の主張なりを
理解してもらうのかという方法、あり方、それは、個別の
案件が始まってからというのもあるかもしれませんし、個別の
案件がある以前に、
国際司法裁判所の判事の
方々にどういうふうに、
我が国の文化なり
我が国の考え方なり、
我が国が考える国際法のあり方というのは、
我が国は真面目ですから一番正当な考え方をしていると私は確信をしているんですけれども、そういったものがしっかり通用するような
理解を広められるのか。
判事さんの構成を拝見すると、外交官の経験者の方も結構いらっしゃいます。政治家とも言えるポジションを経験された方も結構いらっしゃいます。法律家と言える方ももちろんいらっしゃるし、学者と言える方もいらっしゃる。もちろん、中身は法律、国際法に基づいて処断をされているわけでありますけれども、やはりバックグラウンドとかを含めて、今後何らかの、
国際司法裁判所へのアプローチの仕方、結果が出ている以上は、やはり
改善なり新たな方法なり、追加を考える必要があるというふうに思いますけれども、今、そういったことについて何かお考えがありますでしょうか。