○副
大臣(赤羽一嘉君) 柳澤議員には私の前職で大変な御苦労をされていただきました。また、
住民集会にも精力的に出ていただいて、大変な、私もこの前、田村市の
住民集会に出てまいりまして、もう本当に、何とも言うに言われぬ本当に大変厳しい会合を重ねていただいた。その結果として、今
お話がありましたように、避難指示区域、当該十一市町村の避難指示は完了したところでございます。
実は、八月から田村市の都路地区も本格解除の事前宿泊、事前準備宿泊として、八月から三か月間、十月三十一日まで
実施をしておりまして、約四十世帯の方が事実上本格的に帰っている、その準備をされている、宿泊を続けているということを受けて、国が決めたということではなく、正確に申し上げますと、田村市の冨塚市長が市の提案として、十月三十一日まで準備宿泊をやる以上、これは切れ目なく十一月一日から本格的な解除を宣言したいと、そうすると冬に入る前で様々なことがいいのではないかということで、その取りまとめというか、
住民の皆さんの
意見を聞くために集会を行っていただきました。
これは私も参加をいたしまして百数十名の方が来られましたが、結果としては、非常に残念ながら、今御
指摘があったとおり、一ミリ
シーベルト以下にならないと危なくて帰れないと。大変そういう厳しい
意見が、まあ全員だったわけではないと
思いますが、そういった
意見が出まして、私
たちも、何というか、国が解除を決めるからもう無理やり帰れみたいなことという、そういう意思は全くありませんので、帰りたいと思われている方
たちに対して本格解除を決めるということの中で、一番大事な
住民の皆さん
たちがどう思われているかということの
意見聴取も含めてということでやらさせていただきました。
私、その会合の席上でもはっきり申し上げました。多分、発災から二年もう八か月近く掛かりますが、なかなか、何というんですかね、誤解を恐れず言えば、こうなっているのが百ミリ以下だったら、まあ何というか、発がん発症率が上がるというようなことはないんだと、これはもう医学的にも証明されていますという、ある意味では医学界の常識をはっきりあの
現地で言うということがなかなか大変な、すごくそういったことが非常に何というんですかね、難しい
環境が続いてきたと。これは、私は一番今回の
福島の
悲劇というか不幸だと思っております。発災直後のあのパニック
状況の中で、大変危ないということで正論が通らなかったということは
理解できますが、もう二年八か月たっておりますので、やはり少し落ち着いた
状況。
加えて、私自身も
委員と同じ
意見なんですが、帰れるところはなるべく帰って、本格的な帰還を進めた方がいいと。そのために我々は、
除染も
環境省が
中心に頑張ってやっていただいていると
思いますし、
インフラとか、また
経済産業省としても雇用の確保、こういったことを進めていこうと、こう思っております。
しかし、一方では、どうしても小さいお子さんに対する
被害が大きいのではないかという、私はそういったことを喧伝した偽専門家は許し難いと個人的には思っておりますが、小さな子供を連れて県外に避難されている若いお母さんがいる、そして御主人は違った生業で大変御苦労されていると。こういったリスクの方がふるさとに戻って第二の人生を始めるリスクよりも相当大きいはずなんですね。しかし、それを、そういう選択をしにくい
状況になってしまっているということは何とか冷静に進めていかなければいけないのではないかと。
済みません、長くなって申し訳ありませんが、川内村の
お話出ましたが、あそこは長崎大学の原爆後障害医療研究所から有名なドクターも常駐されたりとか、女性の看護師さんが去年一か月間、川内村に常駐してもらって、御存じだと
思いますが、折田さんという方が一軒一軒戸別訪問をされて丁寧に
お話をし、また今年から約一年にわたって常駐していただいております。
やはり、上から押し付けるのではなくて、本当に
被害者の皆さんの立場に立った
リスクコミュニケーションをもう一度ちゃんと丁寧にやり直していくことがこれから本当に本格的な帰還に向けて一番大事なことだと。私自身もこの前の田村市の
住民集会に出させていただいて改めてその
認識を深めて、もう一度
政府挙げてそういったことを県とそれから当該市町村の
協力を得ながら、
住民の皆さんが安心して納得してふるさとに帰還ができるように頑張っていきたいと、こう決意をしたところでございます。
以上です。