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寺脇参考人 私は、特に何かの
団体を代表しているという
立場ではございません。きょう恐らくこの
委員会にお招きいただきましたのは、私は、
昭和五十年に当時の
文部省に入省いたしまして、三十年
余り文教行政に携わってまいりました。その経験からこのことについてどう
考えるのかという
意見を述べるために呼んでいただいたと思っております。
私が
文部省に入りましてすぐ配属されましたのは、当時の
初等中等教育局の
教科書管理課という課でございました。現在は
教科書検定課と統合されて
教科書課になっておりますが、当時は、
教科書無償制度を担当する部署でございました。
御存じのように、
昭和三十八年以来、
義務教育学校における
教科書無償配付制度というものが現在に至るまで続けられているわけでございますけれども、このことについても、ちょうど私が入ってすぐ直面いたしましたのは、
所得の多い
家庭にまで
無償配付をするのはおかしいではないかという御
意見が
財政当局や各所から出てきた。
教科書無償制度についても、
所得制限というか、
段階を設けるべきではないかという話がございました。
私はまだ
大学を出たばっかりの新米の
役人でございましたので、なるほど、それは
一つの理屈だよなというふうに思ったわけでございますけれども、いろいろ
議論していく中で、素朴に、当時の富豪の代表といえば
松下幸之助さんだったわけですが、
松下幸之助さんの孫にも
無償で渡すのかみたいな
議論がありました。
勉強してみますと、もともとこれは、
憲法二十六条に、全ての
国民が能力に応じてひとしく
教育を受ける権利を持っている、また、
義務教育はこれを
無償とするという
考え方のもとに立って行われている。
素人考えというか学生の
考えだとどうしてそういうことをするのかなと思うけれども、なるほど、これは、全ての
国民にまず
義務教育というものを保障していくんだ、
義務教育はもちろん
無償ですが、
教科書についてもそれを
無償にしていこうという当時の
国会のお
考えでそういうことになったのか、それではこの
制度をやはり守っていかなければならないというふうに
考えるところが、私の
役人人生のスタートだったわけでございます。
この
義務教育の
範囲というのは、当然のごとく
小中学校というふうには
考えられておりますけれども、実は、
憲法は
義務教育の
範囲というのは
法律にそれを委ねているわけでございますので、現在では
学校教育法で
小中学校が
義務教育ということになっておりますけれども、可能ならばそれをさらに拡大していく。
戦後間もないころは、小中九年の
教育を保障するということがまずとにかく火急の仕事だったわけでございましょうけれども、だんだんに
高校進学率が拡大をしていきまして、今申し上げました、私が
文部省に入った
昭和五十年には既に現在とほぼ同じ九六%に達しているということの中で、その
範囲をでき得ることならば
高校まで広げることができればいいのではないかというのが私
たちが願うところであったわけでございますけれども、なかなかそれは、もちろん財政問題とかかわってくることでございますから、非常に難しいことと当時は
考えておりました。
その後、
昭和五十九年に、当時の
中曽根内閣で、
国会で
臨時教育審議会設置法という
法律ができまして、
臨時教育審議会が
議論を始めました。
昭和五十九年から六十二年まで三年間、これからの
日本の
教育がどうあるべきかという
議論をいたしました。
これは、当時、
文部省には任せられないと言われて、
総理直属の
機関を
法律によって
設置をして、そこで
議論をする、そこで決まったものを、
文部省と言わず
政府全体で
実施をしろという
趣旨で設けられたものだと
理解をしておりますけれども、その
結論として出ました
臨時教育審議会答申というのが、
昭和六十二年の八月に出たわけですが、そこの中で定められましたのは、これからの
日本の
教育体制というものを、生涯
学習社会を構築するためにやっていけ、生涯
学習社会をつくっていくためにいろいろなことを進めていけということでございました。
国民の
皆さんにわかりやすく伝える言葉で言うならば、いつでも、どこでも、誰でも学べる
社会をつくるようにということでございましたし、その
答申を受けて同年十月に
閣議決定がなされまして、
政府全体でこれからの
教育改革というのは、この、いつでも、どこでも、誰でも学べるという
方向で進めていかなければならないということになったわけでございます。
そこで、当時の
文部省としても、
中央教育審議会などの
議論をさらに経て、この
方向で進めていこうではないかということで諸
制度を改革していったわけでございまして、例えば、
学校種別によっていろいろな違いがあるべきではないというようなことで、例えば
進学をするときに、
高等学校と
高等専修学校、
種別は一条
学校とそうでない
学校というふうに違うわけでございますけれども、どういう
ルートからでも
大学に行ける
ルートをつくっていこうとか、さまざまな
意味で
ルートをつくっていき、また、
社会人が
高校や
大学に入るというようなこともスムーズにできるようにとかいうような、
制度上の整理をどんどん進めていったわけでございます。
しかしながら、財政的な、いつでも、どこでも、誰でも学べる
仕組みづくりというのはなかなかやはりこれは難しい問題だということで、前に進まない
部分もございました。
一九九九年に
中央教育審議会で、
初等中等教育と
高等教育の接続についてという
答申をその年の十二月に出したわけでございますけれども、それは、もともと課題でございます、
高校から
大学に行くときの
仕組みをどうするのかというような
議論もあったわけでございますが、同時に、各
学校段階の役割というようなことも
一つの大きな
議論になりました。
そのときに、
大学に誰でも入れるようにするべきなのかどうかという
議論がある中で、では、
高校はどうなのかという話が大きな
議論になりました。
その中で、確かに
大学は、入るための適格があるかどうかということについて、やはり
入学試験のようなものの中で選別していかなければならないという
結論になったわけでございますけれども、
高等学校については、可能な限り受け入れていく、可能ならば全ての
子供を
高等学校に受け入れていくという
考え方、もちろんこれは
高等専修学校も含めてでございますけれども、受け入れていく。
その際に、では、なぜそうなのかと。
小中学校が全ての
子供を受け入れるというのは、当然、
義務教育と規定しているのだから当たり前ということですけれども、
高等学校についてまでどうしてそうするのかというときに、それは、本来だったら
義務教育の
範囲というのを
高校まで広げたいのだけれども、財政上その他の理由があって、残念ながら中学までがそうなっているという整理を中教審の
議論の中でもしたわけでございます。
そういった長年の懸案が、
高等学校無償化制度というものが、あるいは
私立に対する補助
制度というものができる中で、まだ
義務教育に位置づけるというところまではいきませんけれども、一歩、大きく前進をしたということでございます。
これに
所得制限を設けるということにつきましては、
学校現場でもいろいろな話を私も今聞いておるわけでございますが、
生徒の間の心理的な問題とか、公立
学校における
徴収業務の煩雑化みたいな話が出ておりますけれども、それ以前に、全ての
子供に
高等学校教育を受ける権利を保障する、
憲法の
教育を受ける権利というのは、イコール学習する権利だと思います。
前の安倍内閣で改正されました
教育基本法第三条には、「生涯学習の理念」ということが定められて、「
国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習すること」ができるような「
社会の実現が図られなければならない。」と書かれております。
確かに、
所得にいろいろな違いはあると思います。しかし、現実を見ると、親の
所得が高くても、おまえは
高校に行く必要がないというので、
子供を
高校に行かせない親もいないわけではありません。
また、
無償化制度ができたことによって、
高校生の中には、自分は親に行かせてもらっているんじゃなくて、自分が
高校に行けているのは
社会全体の
皆さんのおかげだから、自分は大人になったら
社会全体にこれを還元しなければいけないという
考え方も出ております。
ただ、残念なことに、この
制度が始まりましたときに、当時の民主党政権下の
文部科学省がその
制度を発進させたときに、
高等学校現場、教師や
子供たちに対して、この
制度はそういう
趣旨なんだということの徹底が十分できていなかったことが、これはばらまきでやったんじゃないかというような
国民の
皆さんの中からも疑念を湧かせることになり、今回のような、では、やはり
所得制限をかけるべきではないかという世論につながっていったと思うわけでございまして、私は従来の
制度を守るということが必要だとは思いますが、ただ、やはり不十分だったのは、そのことについての
趣旨、なぜそうするのかということ、
高校がただになったよというふうな話で終わってしまうことなく、なぜそういう
制度をつくっていったのかということを
考えていかなければならない。
実は、
所得が多い人で
子供が
無償になるんだったら、セットで寄附税制の税制改正がなされて寄附がしやすいような
制度になっている、それならそういうところは寄附に持っていくというようなアピールというのもなされていない、単に
高校が
無償になりましたよということで終わってしまっていたことについては、仮に、この
議論の結果、改正せずにこれまでの
制度でやっていこうというようなことになる際には、そのことを十分に
考えませんと、この
制度の
趣旨というものが
子供たちに伝わっていかない、あるいは
学校現場に伝わっていかないということになるのではないかと思っております。
以上が私の
意見でございます。(
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