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藤井参考人 京都大学大学院並びに京都大学レジリエンス
研究ユニット長の
藤井聡でございます。本日は、かような機会を頂戴いたしまして、まことにありがとうございます。
きょうは、
災害対策特別
委員会ということで、
災害対策に関しましての基本的な考え方につきまして、私の方から、恐れ入りますが、公述申し上げたいというふうに思います。お
手元の
資料、A3の一枚物で
お話しいたしたいと思います。
先ほど
佐々先生の方からも、我が
日本国家にはやるべきことが山のようにある、
災害対策のためにやるべきことが山のようにあるにもかかわらず、それが十分になされていない
現状があるという御指摘がございました。同じようなことを各先生方も御指摘になっているところでございますが、この状況をいかに改善していくかというのが
災害対策における基本的な考え方になろうかと思います。
この基本的な考え方を最もわかりやすく、まず思想的なといいましょうか、考え方のところをお示しするという
意味で、一のところに
日本の古典について引用させていただいております。
日本の国家においても、危機管理というのは当然ながら千年以上にわたって進めてきたわけでありますけれども、その千年の歴史の中で危機管理を担ってきた人々というのはやはり武家であったというふうに思います。その武家の危機管理の要諦、危機管理だけではなく、さまざまな要諦がまとめられた古典の
一つに「葉隠」というものがございますが、「葉隠」に次のような節がございます。
「覚の士、不覚の士といふ事軍学に沙汰有り。覚の士といふは、事に逢うて仕覚えるばかりにてはなし。」要するに、武家の人には、覚悟の人、それと不覚をとる人、この二種類がいるんだと。そして、覚悟のある覚の士というのは、事に逢うて仕覚えるばかりではない、すなわち、覚の士、覚悟の士という人は、何か大変なことが起こったときに、そこであたふたと事後
対策を繰り返すということは絶対になくて、「前方に、それぞれの仕様を吟味し置きて、その時に出合ひ、仕果するをいふ。」。すなわち、事前に何が起こるかということを徹底的に想像し、イメージし、それに対してどうするかということのイメージトレーニングをし、そして、それを毎朝毎夕繰り返し、そして何が起こっても軽く対応できる、そういう態勢で行う、これが、備えあれば憂いなしということでございます。
例えば、武士というのはどういうことを毎朝考えていたかというと、こういう一節がございます。
「必死の観念、一日しきりなるべし。毎朝身心をしづめ、弓、鉄砲、槍、太刀先にて、すたすたになり、」すなわち、弓やら鉄砲やらでずたずたに切り刻まれるということを毎朝イメージする。並びに「大浪に討ち取られ、大火の中に飛び入り、雷電にうちひしがれ、大
地震にてゆりこまれ、数千丈のほきに飛び込み、病死、頓死等の死期の心を観念し、毎朝懈怠無く死しておくべし。」。すなわち、毎朝、武士なるもの、どういうふうに我が身が滅ぼされるのかということを、さまざまな、ここに書いてありますが、大
津波とか大
地震とか、そういうことを毎朝毎朝、
確率はほとんど、〇・〇一%しかないかもしれないけれども、そういうことを徹底的に想像しておくべきであるという
お話でございます。
もしも、三十年
確率が七〇%とか八八%というような数字があるにもかかわらず、それを考えない、想像しないというのは、これは完全に不覚の士であるということは疑うべくもないことでございます。恐らくは、これこそが
災害対策の要諦であるというふうに私は感じるところでございます。
さて、これはあくまでも
日本の一ローカルなナレッジと言えるかもしれませんが、こういうような考え方というのは、非常にインターナショナルな、グローバルな考え方でありまして、
地震対策等に関しましては、一般に、
リスクマネジメントという洋風の言い方がございますが、この洋風の言い方の考え方と先ほど申し上げました「葉隠」の精神というものは全く同じことを言っているということを、まずここで申し上げたいと思います。
政府は、今申し上げましたようなさまざまな危機、
佐々先生が御指摘になったようなさまざまな危機に対して、本当に抜かりのない覚の士になるというような
方向でこの国というものをつくっていかないといけないわけでありますから、政府は、国家的なあらゆる
災害に対する
リスクマネジメントをすることが必要である、これを回していくことが必要であるというふうに考えます。
リスクマネジメントをやっていく責務がある、これは政府の責任であって、これをやらないのは責任の不作為の罪であるということを、まず強く申し上げたいと思います。
では、この
リスクマネジメントとは一体どういうものとして学術的に言われているかということをこちらの絵の方に書いてございます。
まずは、一番最初に重要なのは、どんな深刻なことが起こるのかを
評価する。すなわち、毎朝懈怠なく死しておくという先ほどの「葉隠」の精神がございますが、ありとあらゆる
可能性、
コンビナートがどうなるのか、食料安定供給がどうなるのか、例えば、この建物がどうなるのか、あるいは役所がどうなるのか、金融危機が訪れるのか、あるいは経済危機が本当に訪れてしまって株が全部外国で売り飛ばされるというようなことがあるのかないのか。そういうことを懈怠なく、毎朝毎夕考えておく義務が政府にはあるということであって、どんな深刻なことが起こるのかをきちんと
評価する、これが
リスクマネジメントの全ての出発点であります。
実際のところ、これがきちんとできるとするのならば、例えば
国土の強靱化、国家の強靱化ということをするならば、こういうイメージ、深刻な、どういうことが起こるのかということを
国民全体で考えることができるとするのならば、それは、もう
国土の強靱化という取り組みの六割、七割が終わっているというふうに考えることもできるのではないかというふうに思います。
それほどに、一番最初に何が起こるのかということを考えることは難しい。なぜならば、怖いからであります。怖いことは考えたくない。こんなことが起こってほしくないと思うがゆえに考えないのでありますが、考えなければ、それは不覚の士になって、とんでもない
被害が起きて、その
被害を百倍、一千倍にしてしまうということがあるということでございます。
ということで、どんな深刻な事態があるかということをしっかりと考えることが
リスクマネジメントの出発点でありまして、その後、それに対してどのような
対策を図るのかという
意味で、基本的な計画を立てる、これがステップツーでございます。
この基本的な計画を立ててどういうふうにやっていくかということを、しっかりとここで合理的な議論を、虚心坦懐、さまざまな議論を重ねて、その計画を立てる。そして、その計画を立てた後に、しっかりとした体制でそれを実行していく。場合によっては、さまざまな法体制の改善というものもあるでしょうし、あるいは、必要な事業があり、予算が必要であるならば、それに対する手当てを十二分に考え、財政の出動に関してのさまざまな
リスクの回避、当然ながら
リスク回避をしておくということも含めてそれを実行していく。
そうすると、その国というものは幾ばくか強靱になります。幾ばくか強靱になるんですが、百点満点の国家になるということは恐らく永遠にないでしょう。したがいまして、幾ばくか強靱になったそのステージにおきまして、もう一度、何が起こるかということを毎朝毎夕懈怠なく想像し、この国がどういうふうにして潰れるのかということを徹底的に理解し、考えて、想像する。そして、それに基づいて再び計画をつくり、それを実行し、そしてもう一度想像するということをぐるぐると回していく。これが
リスクマネジメントというものでございます。
これを通して初めてあらゆる
災害に対して国家が強靱化されるということでありまして、この国家とは何かというと、これはいわゆるネーションステートのことを
意味しており、
国土、
国民、主権であります。
したがいまして、国家を強靱にしていくことは、まず、全ての源であるところの
国土をしっかりと強靱化するということをベースにして、それから
国民が強靱になり、そして、主権、すなわち政策そのものが、それ自体が強靱化していくということを目指すべきである。さもなければこの国が潰れる
可能性が十二分以上にあるんだということを想像する能力をきちんと持たなければならないという責務が政府にあるということであります。これが二番目でございます。
したがって、その次に、どういう
リスクを考えるのかというのが三でございますが、国家危機管理、国家的
リスクマネジメントでは、あらゆる国家的な
災害を考えるべきである。
そのあらゆるという中には、
巨大地震あるいは富士山の噴火、そういうものもあります。さらには、
世界恐慌の危機もありますし、消費税が増税されるのに伴います経済ショックというものをきちんと考える必要がありますし、あるいはエネルギー危機、さらにはテロあるいはサイバーテロの危機、こういったもの、あらゆるものについて考える責務が
我が国にはあるということが三番目であります。
さて、そういうような危機を考えて、我々の国を強靱にしていかないといけないと私は学者として考えているわけでありますが、強靱化していくとはどういうことかということをイメージで書かせていただいているのが四でございます。
強靱化というのは二つの概念の融合概念である、複合概念であると思います。
まず
一つは、耐ショック性であります。
大きな
被害が起こったときにその
被害をできるだけ小さくする。
被害が、例えばGDPでいうならば、二百兆の損害があるところをどうにかして百兆に抑える、それを五十兆に抑える、そういう格好で、耐ショック性、これはいわゆる狭義の
防災とか減災力、そういうことを
意味すると思います。
そして、重要なのは、それだけではなくて、それ以後の回復力であります。
被害を受けた後、それをいかにして迅速に回復していくのかというこの回復力というものを絶対に忘れてはならない。最悪の状況は、仮に
防災、減災力があったとしても、それを契機にしてどんどん国力がそがれていくということになれば、その国はむちゃくちゃになってしまうということでありますから、
防災、減災力を高めると同時に、回復力をきちんと確保することが必要だ。
この回復力は別名、事後の成長力と呼ぶことができるかと思います。したがいまして、ある
意味、強靱化というものは回復力を含むものでありますから、成長戦略をその概念の一部として含んでいるんだということを我々は理解することが必要であるというふうに思います。
そういう
意味で、危機が起こったときに、
被害を受けて、それから成長していくという過程でありますが、この山をどうやって小さくしていくのかということが強靱化をするということであります。
この二つが重要であるということは、要するに、
災害の恐怖はXデーにおける激甚
被害だけではないということであります。Xデー以後に長期間悲惨な状況が続くことこそが恐怖の本質なのだということであります。
しばしば、
地震が起こったXデーに、たくさんの方が亡くなって、こんな火事があって大変だというイメージがある、これを最小化することが必要なんですが、その後に来る地獄をどういうふうにマネジメントしていくかということに徹底的な国力の注力をやっていくことを絶対に忘れてはならないという、このメッセージが強靱化という言葉の中に入っているのではないかというふうに思います。
したがいまして、強靱化というのは、何があっても成長できる力を身につけることであって、したがって、それは
リスクを見据えた成長戦略と同義なのだということをぜひぜひ国会の先生方には御理解いただきたいというふうに思います。
さて、五でございますが、強靱化のためには何をしていくべきかということでございますが、ここに記載いたしましたとおり、強靱化のためには、全省庁、組織の体質の改善が必要であります。
先ほど
佐々先生が御指摘になったように、
我が国は
災害に対して脆弱であるという体質を持っているのであります。これは、いわば成人病のような病気になっているのであって、この病気の状況をいかにして健全化するのか、こういう発想が極めて重要であるというふうに私は感じております。
つまり、別の言い方をいたしますと、全ての平常の業務が、平時を見据えるだけではなくて、有事の
リスク、
災害の
リスクを見据えたものとして展開されていくべきであるというふうに考えます。これは、別の言い方をしますと、平常業務に有事の
対策を溶かし込んでいくということが大事なのだというふうに考えられるわけであります。
例えばこれはどういうことを
意味するのか、幾つかの例を書いてございます。
例えば、各システムの一重化ではなくて二重化。一個が潰れても次がある。それは、輸送システムに関しても、サプライチェーンに関しても、二重化されていると非常に強靱であります。平時からそういう運用をしていく。
あるいは、各別々の組織というものが、有事のときに連携を図って、迅速な回復を果たさなければなりませんから、いろいろな組織間で連携を図っていく必要がある。それは、
地域の中で連携を図ることも必要ですし、業界の異業種間でも連携を図ることが必要ですし、例えば、自治体同士が有事を見据えて、
東京は誰が救うのか、神奈川は誰が救うのかというような、
地域間の連携も図っておくということ、平時からそれを考えておくことが大事であります。
さらに、各システムの自律分散化というのも当然大事になってまいります。
全てが集中しているときに、一極が全て破壊されれば、その国はジ・エンドになってしまいますから、そういうことにならないように、最低限の分散化を果たしておくというのは、当然ながら、体質改善における最も重要な論点であるというふうに考えます。
そして、有事の転用と書いてございますが、ふだんは大型小売店ではありますけれども、例えば有事のときにはそれが
防災倉庫になる、物流センターというのが、例えば
災害のときには
防災拠点になる、そういうふうな転用というものを見据えなければならないというふうに思います。
そのためにも、全てを市場に委ねることを避け、市場、政治、
社会の適切な調和を図ることこそが、この国における強靱化の最も重要なことなのだということを強く強く先生方に申し上げておきたいというふうに思います。
さて、
最後でございますが、なお、こういった有事対応のための強靱化、すなわち、連携、二重化、分散化等を図るということは、平時の経済成長力を伸ばすことになるんだということをぜひ御理解いただきたいと思います。並びに、平時の
社会の活力というものを強靱化することにもなるんだということも
最後に申し添えておきたいと思います。
経済成長力になるのは、連携によりシステムが効率化したり、あるいは遊休資産を使うということを通して、平時における強靱化をするということで、連携を図るということで経済成長力も出てくる、成長が大きくなると同時にさまざまな
防災対策を進めるということです。
例えば、私は京都に住んでいるんですけれども、京都に
防災団というのがあるんですが、そこが軸になってみんなが仲よくなりますから、
防災団を中心に祭りをやったりとかして、そういう
防災をきっかけとしてそこの
地域の活力が増進していくんだということはしょっちゅうあることでございますから、ぜひそういう効果があるのだということを御理解いただいた上で
防災対策を進めていただきたいと思います。
時間が長くなりましたので
最後でございますが、
最後に、ここに書かせていただいたことを朗読させていただいて、終わりたいと思います。
つまり、
災害に強い
社会とは、
災害のためだけの特別事業を別途行っているだけの
社会ではないということであります。そうした特別事業は、当然ながら、一定水準進めることが必要でありますが、それとともに、あらゆる事業が
災害を見据えたものに調整されていく
社会、平時だけではなくて有事のことも見据えながら、ついつい平時のことしか考えなくなるようなマーケットのメカニズムとか
社会のメカニズムとか行政の仕組み、そういったもの、常に有事のことを想像しながら少しずつ少しずつ体質を改善していく、そういう
方向に調整されていく
社会、つまり、
社会風土、文化の中に
災害対応が織り込まれている
社会、これこそが強靱化と呼ばれる取り組みの要諦なのだということを
最後に申し添えまして、私の公述を終えたいと思います。
どうもありがとうございました。(拍手)