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小嶋参考人 両備グループの
小嶋でございます。おはようございます。
こうやって
交通政策基本法の陳述をさせていただくことを大変にうれしく思っております。私が十四年間にわたってきたことを十五分でお話をさせていただきたいというふうに思いますので、よろしくお願いいたします。
私
どもは、一九一〇年、
岡山の
西大寺というところに、
西大寺鉄道として産声を上げさせていただきました。
運輸交通の
部門、そして
情報産業の
部門、
生活関連の
部門、五十六社、約八千五百人の
企業グループでございますけれ
ども、
公共交通については、
鉄道、
軌道、フェリー、
路線バス、ほとんど扱わせていただいているというところが
特徴でございます。もう
一つは、
私鉄グループさんと違うのは、約一千人以上の
情報系の社員がいるというところでございます。
実は、
平成十一年、一九九九年、私が
両備グループの
代表になったときに、私
どもの
グループの懸案というのは、毎年二、三%ずついわゆる
顧客の逸走が続いているこの
公共交通、これを一体どうするのかということでございました。私
どもは、実は
補助金をいただかないという
企業のポリシーでもってやってきましたけれ
ども、二〇〇二年の
規制緩和を控えて、これはもう我々の
グループでさえも十年後に
赤字になるな、お荷物の
産業になってしまう、一体どうしたらいいんだろうというところからが
出発点でございました。
そして、いろいろ
研究をしていくと、こちらに書いてございますが、三番目に、
先進国で
公共交通を
民間に任せ切った国というのは、もうまさしく
日本一国しかなかったということでございます。今
先生がちょっとおっしゃられましたけれ
ども、
公共交通ではガラパゴスと言われても仕方がないような
状況に陥っております。
では、なぜ
ヨーロッパ社会は
公設民営という
やり方をして
公共交通を残そうとしたかということですけれ
ども、ちょうどそこに
マイカー時代の
モデルを書いてございます。
マイカー時代と
マイカー時代より前ですね。
簡単に言いますと、
マイカーのある前は、百人が百人、
公共交通に乗っていただきました。
経費が九〇としますと、一〇〇
マイナス九〇、つまり一〇が
経常利益の
産業だったというふうにいたしますと、
マイカー時代になりますと、もう一〇〇の
お客様の中で五〇すぽっと抜けてしまいました。
売り上げが五〇になりました。しかし、
経費の方は、百人乗っていた
電車が五十人になったから、では
電車を半分にするか、五十人乗っていた
バスを、二十五人になったから、ではちぎって半分にするかというわけにいきませんので、
売り上げ五〇
マイナス経費九〇
イコールマイナス四〇といういわゆる
ビジネスモデルになってしまった。もう成り立たない
ビジネスモデルになっているものを
補助金政策で何とかつないでいただいて、そして過去の蓄積を食い潰しながら、そしてまた、賃金が大幅に下がりながら維持してきたというのがこの
産業の
実態でございます。
したがって、この
ビジネスモデルというものをいかに
現状に合わせていくかということが
政策上一番大事な
視点ではないかというふうに思っています。
そして、四番目に書いてございますが、
規制緩和と
三位一体改革でもって
地方財源は欠乏し、
地方公共交通は存続の
危機に至ってしまいました。
公共交通衰退の理由は、そこに簡単に書いてありますが、一番はやはり
マイカー時代になって、五、六〇%の
顧客を失ったこと、これが一番でございます。二番目は、
都市の
スプロール化によって
交通渋滞を引き起こして、
マイカーと一緒に
渋滞に巻き込まれる
バスを
中心とした
公共交通が
機能しなくなったということでございます。
そしてもう
一つ、実は忘れ去られているのは、
補助金制度というのはなくてはならなかったものなんですが、副作用が二つあった。
一つは、
経営の
モラルハザードを起こすということでございます。
後ほど説明いたしますが、私
どもが
再建をいたしました
中国バス、私
どもよりも
高速バスを一千万高く買っております。そして、燃料は十円も
リッター当たり高く買っている。そして、
部品代は三倍でございました。当時の
経営者に何でこんなことをするんだと聞きましたら、
赤字を減らすと基本的には
補助金が減る、そういう感覚にどうも陥るようであります。
もう
一つは、
労使の不仲を助長したということでございます。
お客様が見えなくなってしまう。基本的には、行政から
補助金をいただいていくことが目的になってしまって、
労使ともが
お客様に対する
努力を失って、
ストライキに次ぐ
ストライキをしたのが
中国バスでございます。
そして、その次に来たものが、そういう
状況の、
補助金で支えていた
事業が大半であった
地域公共交通の
需要の中に
規制緩和が行われたということでございます。
規制緩和そのものは悪いことではございませんが、実は、経済学的に言っても、やっていい
産業とやってはいけない
産業があるということの分別がどうも今の世論の中で忘れられているような気がいたします。それが、
規制緩和の幻想という形で私が書いております。
規制緩和は、
供給が
需要よりも少ない
環境、いわゆる
需要がどんどんふえて
供給が足りないところには
規制緩和をすべきですが、逆に、
需要がどんどん減り、
供給過多の
産業になりますと、結果的にはその
産業の滅亡につながるということでございます。致命傷になってしまう。現実に、
タクシー産業、
観光バス産業、滅びるところの寸前まで
供給過剰で苦しんでいます。
また、
岡山市においては、去年の七月、突如として異業種から
循環バスという形で進出がありました。百四十円、百七十円の運賃のところに百円で走らせる。実は、
地方では、
中央部の
お客様の多いところの収益でもって
郊外に
路線を延ばしているものがあって、
郊外路線の維持に支障を来すということになってしまっています。
そしてまた、
公共への誤った
費用対
効果の議論、
事業仕分けでよく聞かされたことでございますけれ
ども、入れていいところと入れてはいけないところ、実は、
公共財には、
費用対
効果の問題は、節約という面ではいいんですが、
国民経済的には誤りだと思います。
それで、こういう
状況の中でどうしたらいいだろうというふうに思って、
公共交通の
パネルディスカッションというのを地元でいたしました。わかったことは、
中央ぐらいのところに書いてございますが、一人の女性が、私はもう
公共交通なんか使うことはありません、
マイカーがあれば十分です、
通勤通学のたった一〇%ぐらいしか携われないのは、基本的には
公共交通とは言えない、したがってそんなものは要らないというふうに言われたときに、大変にびっくりいたしました。
実は、
交通弱者という存在が
マイカーを運転している
通常社会人の方には極めて希薄になってしまって、なくてもいいんじゃないかというふうに思われているところに大変な
危機感を抱いたわけでございます。
その他、
県民会議をやったり、
オムニバスタウンの導入をしたり、
バスシェルターを入れたり、「
時刻表見えルン♪」というのをつくったり、クリームスキミングを直しましたけれ
ども、
地域公共交通を
活性化するという
やり方では
お客様の取り戻しができないということがわかりました。
基本的には町が元気になることが大事であって、町が
活性化すれば我々
公共交通業者も
活性化するということがわかって、二十一世紀の
まちづくりとして、
公共交通利用で歩いて楽しい
まちづくり運動というものをやった。未来型の
LRT「MOMO」、これは今、
富山ライトレールさんに私
どものデザインを使っていただいてやる。また、
岡山市の
中心部の
活性化ということで、百八メーターのグレースタワーをして
コンパクトシティーの原形をつくってまいりました。
そのうち、
市民団体が私
どものやっていることを
全国にお話しになっていって、実は私
どもの方に
経営の
再建の依頼が殺到してまいりました。
そういう中で、実は話があったのは
公共交通ではなくて、九番目に書いてあります
津エアポートラインでございました。三重県が、
空港のない県として、
中部国際空港への
海上アクセスをつくった。しかし、
地域はどこも、
運輸業者は協力してくれないということで、私のところに御相談があって、分析をしてみました。
簡単に言うと、コンサルティングがつくったよりも
需要がなくて、五
航路どころか一
航路もできない。せめて津市ぐらいに、
公設民営ならできる。また、三セクでやってしまうと、結果的には
経営がずさんになってしまって、意思決定がおくれて潰れることになるということで、ボランティアでもって
海上アクセス案をつくってさしあげました。
結果として、海上
部門の経験のあるところがなくて、私
どもがお引き受けしてこの
事業をしましたけれ
ども、たまたま開業人気と万博でその
航路が物すごくにぎわったために、ほかの
都市でもできるんじゃないかというので、四日市、松阪、伊勢でやられて、全部潰れて、結果的には三市長とも失職をされました。今、松阪の
航路は私
どもでもって
再建をさせていただいております。
そして、そのことが結構聞こえるようになってきて、南海電鉄貴志川線が廃線になるということで、私
どもの方に、
地域から存続運動というものが言われるようになりました。
私
どもの方で分析をさせていただいて、
公設民営にすること、運営会社は三セクとしないで一〇〇%単独出資にすること、利便向上は和歌山電鉄内の運営
委員会をつくるということで、年間五億円もの
赤字の
路線を、八千二百万円以内の案までだったらできると。しかし、これは現行法ではなかなか難しいということでしたけれ
ども、監督官庁、
鉄道局の方も一生懸命頑張られて、
地方の
鉄道を残すのはこの方法しかないんじゃないかということで、超法規的に実施することができるようになって、おかげさまで、六ページになりますけれ
ども、市民運動が上滑りでなかったということと、行政の協力体制がしっかりしているということと、
人口がやや増加地帯に変わっていったということで、実は、この
路線が非常にうまく
再建できました。
年間八十件ものイベント、いちご
電車、おもちゃ
電車、たま
電車、三毛猫のたま駅長というような形で、実は、この存在を見ていただくようになり、客招きの駅長さんの
効果というのは、年間十一億円の経済
効果を発揮いたしました。
次に、並行して、隣県の広島県の
中国バスが破綻をする三カ月前に、社長が私のところに面談に参りました。広島県で救ってくれる業者がないので隣県の
岡山県に来たと言われましたけれ
ども、これは燃える
高速バスということで二〇〇〇年の初めにNHKでたたかれた会社であって、年間十二回以上の
労使紛争をした会社でございました。
再建不可能と言われておりましたけれ
ども、社長のお顔を見たら、これは引き受けなかったらとんでもないことが起こるなと思って、引き受けさせていただきました。
この中で、結果的には、先ほど言いましたように、
補助金制度の副作用や不仲な
労使関係が客離れを起こすということを分析させていただきました。おかげさまで、二〇〇八年度には一億円以上
補助金を減らし、事故は八分の一になり、苦情は四割減少をいたしております。
十二番目に、
地域公共交通の現行の維持の仕方は延命治療の
効果しかないと書いてございます。
補助金制度というのは、本来、一部のものを補うのであって、ほとんどが
赤字になったところにカンフル注射では、体力がもたないということでございます。
先ほど
先生からもお話がありましたけれ
ども、京
都市、
名古屋市、それを韓国が取り入れてソウルのすばらしい
公共交通網をつくられたということは炯眼に値することでございます。
交通権の考え方について、十四番目に申し上げます。
基本的には、この制度は、なくてはならない人道主義的な考え方であるということを申し述べさせていただきたいと思います。
そして、もう
一つ大事なことは、延命治療的な
地域公共交通政策を、次代の夢のある
公共交通に変えていかなくてはならない。私は、エコ
公共交通大国と申し上げましたけれ
ども、基本的には
LRTと電気
バス等を使って、
効果をしっかりした仕組みでもって、やはり次世代に夢の持てる
産業にどうするかということが大事であるというふうに思っております。
エコ
公共交通大国構想、年間二千億で十年間の二兆円の
国民プロジェクトということで、策定を以前にさせていただきました。これは基本的には、ただ単純に
日本のいわゆる
公共交通を救うだけではなくて、
世界に
環境を輸出する
産業になるというふうに思っております。しかし、なかなかそういうことをお話ししても、ぴんとこないというんですか、
政策がなかなか前に進みませんでした。
そこに、去年の十月、突如として、十八番目になりますが、井笠
鉄道の
経営破綻というのがあって、
経営の破綻を発表してから十九日でもって営業を停止してしまうというすさまじいことが起こりました。
今までは、基本的には、内整理をしたり、債権者にホワイトナイトがあらわれたりして何とかなったんですが、今度は待ったなしで来て、私
どもの方に、国、県、市の方から緊急支援の要請が参りました。そして、十一月一日、緊急代替運行というものを決めた。
ここでわかったことは、現行法では、この会社を救うことはなかなか難しいということでございます。もちろん、財源的にも非常に難しい。あらゆる面でもって対応しなきゃいけませんが、十九番目に、いわゆる
地方公共交通の
再建のスキームというのを私の方で書いてございます。
一番昔のスタイルは公設公営。そして、
日本の今のスタイルが民設民営。その横に、
公設民営、
公設民託というものが左右に書いてございます。これからは、官の
役割として、いわゆる調節をし、そして運行の責任として
民間が行う、もしくは、
民間が委託を受けるということによって
再建をする以外には、
地方の
公共交通の
再建の仕方はない。
したがって、それはどういうことかというと、今の
補助金では、後払い方式ですから、資金繰りが実はもたない。基本的には
赤字の補填でありますから、収益の生まない会社になってしまう。そういう形で、
再建というものは基本的には無理であると思います。
そして、先ほど私は十四年間というふうに申し上げましたけれ
ども、実は、この
交通政策基本法に流れる道すがらというのは、私が
中国バスの
再建をしたときに、隣県の宮沢代議士が私のところに御挨拶に来られました。ありがとうと言っていただいて、大変うれしかった。
そのときに、私が、今のままでいったら、
地方公共交通の
路線は、半分以上、七割近くはだめになりますよ、これは政治のミスリードかもしれないという話をしたら、すぐに、自民党に、
国土交通部会で
地域公共交通小
委員会を立ち上げていただきました。そこで、二〇〇七年三月十四日に、
補助金へのインセンティブと
公共交通の
活性化の陳述をさせていただきました。
そして、二〇〇七年の十月、この法律が成立をいたしました。そして、この法律を使って、和歌山電鉄の
事例から
鉄道では公有民営の法制化、
中国バスの
事例から
補助金にインセンティブを入れるという法制化が行われました。
そして、次に、実は私の方で提起をさせていただいたのは、
交通権として
地域公共交通再生の財源確保をお願いいたしました。自民党のマニフェストにも載りましたけれ
ども、結果的には、政権が交代をいたしました。
政権を交代したときに、実は民主党のマニフェストには
公共交通の記載が非常に少なくて、これは一体どうしたものだということでもって悩みましたけれ
ども、地元の民主党の
議員の
先生方に実情を話そうということで、二〇〇九年の九月、
高速道路を二兆五千億円ただにしても、
地域の
公共交通全部、陸も海もただにしても一兆円ですよ、どっちが
国民的なんですかという話をしたら、今いらっしゃいますけれ
ども、三日月政務官の時代に
国土交通省に言っていただいて、そこで、
国土交通省で
交通基本法検討会ということが行われることになりました。
そこでも陳述をさせていただいて、これは小手先では直らぬ、抜本的な改革でなければだめですよというお話をして、二〇一〇年十一月に、今度は
交通基本法のワーキングチームという形になって、ここでも陳述をさせていただき、二〇一一年に三党合意ができましたけれ
ども、また政権がかわるということに相なりました。
基本的には、二〇一二年の十月、井笠
鉄道が倒れることによって、地元の加藤
先生や逢沢
先生も大変心配をして、いろいろ応援をしてくださいました。
政権がここでかわりながらもここまで
法案が来たというのは、
地方の実情をよく知っていらっしゃる
国会議員の
先生方が、
地域をよくしよう、そのためには
地域公共交通を何とかしなくてはならないと与野党を問わず思ってくださったおかげであって、心から感謝を申し上げたいというふうに思っております。
簡単に言うと、
国会議員の皆さん方は、我々の地元に帰られたら、みんな地元党でございます、基本的には。どうも霞が関だけがちょっと地磁気が狂っているのではないかというふうに思いますけれ
ども、本当に、与野党ともに、やはり
地域の問題を皆さん方真剣に解決していただいていることに感謝を申し上げたいと思います。
最後に、結論として、
公共交通は、
交通弱者の移動を保障するだけではなくて、これからの老人社会に、健康に、また歩行困難に、老人性痴呆症に対して非常に有効な手段だということでございます。
そして、延命的なものからもっと夢のある
産業に変えることが、この国の活力を保つことというふうに思っております。
したがって、
大都市を
中心とした民設民営に対して、
地域公共交通は、抜本的に、
公設民営や
公設民託を御検討いただきたいと思います。
そして、財源は、暫定税率が一般税化するときしかもうタイミングはないと思います。
できれば、このエコ
公共交通大国が実現することを心から願い、また、新しい
産業となることを願っているわけでございます。
これが最後のチャンスだというふうに思いますので、ぜひ
先生方の御熱心な討議でもって、
交通政策基本法が成立することを心から熱望するものでございます。
どうもありがとうございました。(
拍手)