○大西(英)
委員 私は、きょう、国土
交通委員会の場で、
タクシー業界の
改善、
運転手の皆さんの地位の
向上といいましょうか
労働条件の
向上のための
質問ができるというのは、本当に感慨無量でございます。
実は私、四十数年前、学生時代でしたけれども、
タクシー運転者として働いておりました。それこそ、そのころは行け行けどんどんの高度成長期の時代でございまして、ちょうど初乗りメーターは百円の時代でした。今から七分の一ですね。それでも、メーター料金で、働きに働いて五万円以上稼ぎまして、そして半分ぐらいは手取りになりますから、二万五千円ぐらいの
収入があって、しかも、ごらんのように、品行方正、誠実一路でございますから、お客様が、頑張っているな、気持ちだよなんて言って、そのころはみんな、町は派手に飲み歩いている人たちも多かったですから、チップがそのころで二万五千円ぐらい入ってまいりまして、私は朝七時から夜明けまで無我夢中で働いて、ある
タクシー会社の
営業収入ナンバーワンになりました。
しかし、社会はいつも厳しいものでございまして、子供だけではありません、いじめがあるのは。私も大変いじめられまして、
タクシーのタイヤの空気が抜かれていたり、クラッチですから、自動じゃありません、オートマチックじゃありませんから、クラッチのかたい車で、夜中になるとこの短い足が動かなくなっちゃう、そんなこともあった時代でございました。
世は、多くの方々が真面目に頑張っていました。頑張っていましたけれども、雲助
タクシーという言葉が流行語になっていた時代でございまして、我々の先輩たちの中には、一発屋といいまして、昼間はパチンコか寝ている、酒は飲んでいなかったと思いますけれども。夜は繁華街に行って、そしてお客を選ぶ。それこそ、ワンメーターのところは、今どき何言っているんだといって厳しく拒絶する。そして、一発一万円ぐらい取れそうな長距離の客だけを乗せていくというので、乗車拒否なんていうのが大きな社会問題であったわけでございますけれども、その後、業界の自主努力、そして適切な運輸当局の指導によって、
タクシーはだんだんだんだん
サービスが
向上されてきました。
そうした中で、一番顕著になってきた問題は、
平成十三年、
道路運送法の
改正が
規制緩和という美名のもと、何でも
規制緩和というと、新しいんだ、正しいんだ、そして経済の
活性化につながるんだという世論の中で、この
タクシー業界にも
規制緩和の波が押し寄せたわけでございまして、これで何が起こってきたかというと、
新規参入の業者もいる、あるいは、大手は資本に任せてどんどんどんどん
タクシーを
増車する。要するに、
需要に対して
供給過剰がずっと続いてきたのが、
平成二十一年の
特措法の施行まで続いたわけでございます。
皆様にお手元に資料を配付させていただいておりますけれども、資料の1をごらんいただくと、
平成七年から
規制緩和が行われるまで、経済
状況によって
タクシーは減っておりますけれども、
規制が解除されるとリーマン・ショックまでどんどん
タクシーの
台数がふえてくる、
供給過剰、ふえている。そして、それに伴って何が起こったかというと、やはり
運転者一人
当たりの
賃金というのがどんどん
減少してきているのが、この表でおわかりのとおりです。
私が昭和四十三年代で稼いでいたお金が、一回出ると二万五千円ぐらい、そして、チップは別にしても、五万円近く稼いでいたわけですね。今、
タクシーに乗って
運転手さんに、チップもらえるかと聞くと、十円までもらって帰る人たちが大半だそうでございまして、今はチップの
収入なんか、ほとんど
タクシーの現場ではないと思いますね。
ですから、私のような、学生でありながら十五日ぐらいは乗っておりましたから、七十五万円の現金
収入がそのころあったんですよね。それが、どうでしょうか。一番落ち込んだのが
平成二十一年、二万六千五円という数字が出ているわけでございますけれども、これは一日の
収入でございますから、これは
営業収入ですから、手取りは歩合等で引かれます。したがって、仮に十五日乗ったとしても二十万円まで月に稼げない、こういうような状態が今出てきているわけでございます。
こうした実情に即して、やはりもう
一つ顕著な例は、こういった
運転者の
収入というのが
減少してきている、そうすると若い世代はなかなか入ってこないんですね。佐川急便へ行って、
営業をやりながら、四十万、五十万取れるような時代ですから、
タクシーを選ぼうという若い世代はいなくなってくる。あるいは、家族を持っている人たちも、
タクシー業界では食べていけない。
そういう中で、資料2をごらんいただくとおわかりになると思うんです。これは、
タクシー運転手と全労働者の平均年齢の推移が記載をされています。下段でございますが、
平成七年に
タクシーの平均年齢は五十・五歳でした。現在はどうかというと五十七・六歳、全産業の平均年齢というのは、
平成七年が四十歳で、現在もほとんど変わっていません。四十二・五歳です。そうすると、今、
タクシーの
運転者になられる方というのは年金生活者、六十歳、六十五歳で年金を持っている、そして、年金だけでは暮らせないから、
タクシーに乗って少しは日銭を稼ごうよという人たちがふえてきているのが実態でございます。
皆様も
タクシーに乗られると、ええっ、おじさん、こんなに遅くまで働いていていいのなんて聞く方もいらっしゃいます。そして、あんた幾つと言うと、六十五だよと。えっ、俺六十七だよなんて言って。まあ大分老けていますね、苦労が多いですから。そういう方々の実情があります。
そんな中で、私は、きのう、たまたま朝日新聞の夕刊を見ました。やはり、こういった
タクシー業界の実情が如実にあらわれているんですね。
資料4をお手元にとっていただきたいと思います。きのうの夕刊、高齢
運転者が八歳の児童を事故で死なせてしまった、こういう記事が載っています。この人は現在七十七歳、四十年間
タクシーをやっているそうです。そして、住宅ローンがまだまだ続いているので、これは恐らく、
タクシー業界がいいころに自宅をローンで買ったのでしょう。しかし、長期ローンですから、まだそれが払い終わっていない。ですから、七十七歳になってもハンドルを握らざるを得ない。それで、お子さんを死なせてしまった。御遺族の悲しみは、本人の無念はさぞかしだと思いますけれども、これも、今、
タクシー業界が置かれている悲惨な
状況というのを如実にあらわしているんじゃないかと思うんです。
はねた男性は、昨日、判決がおりました。東京地裁で、禁錮一年六カ月、執行猶予三年という判決、これは執行猶予がついただけでも温情だと思います。この資料4の裏面に、きょうの朝刊の判決の記事が記載をされているわけでございます。
私どもは、こうした実情の中から、
運転手、
運転者の方々の
労働条件を
向上させ、
賃金を
向上させ、そして多くの人たちが生きがいを持って働けるような職場を再びよみがえらせていかなければいけない。そのためには
供給過剰の現状を改革していかなければいけない。そうした流れの中で、提案者の方々が、さまざまな試行錯誤を繰り返しながら御努力をいただいて、今回の
法案になったと思います。
金子先生を初め関係者の皆さんの今日までの御努力に、心から敬意を表したいと思う次第でございます。
そこで、私は、この
法案について御
質問を、提案者の方々を中心にしてさせていただきたいと思っております。先ほどの
伊藤委員の
質問と重複する
部分もありますけれども、御理解をいただければと思います。
この
法案に対して、今、一部マスコミや世間では、
規制緩和に逆行するじゃないか、どうして
タクシー業界だけがこうした
規制緩和をとどめるような、あるいは
規制緩和に反するような
法律をつくるんだというような声があることも事実でございまして、私どもとしては、こういった一般的な疑問に、ぜひ提案者の方々からわかりやすく御説明をいただければと思います。