○
丸山和也君 いわゆる、午前中、歴史
認識に関しまして質問させていただきまして、よくこれに関しまして、諸外国から、あるいは韓国を中心とした等の国から歴史に向き合わない
国民あるいは国に将来はないというようなことがよく言われているんですけれども、これはよく考えてみると、歴史に向き合うとはどういうことかと。歴史の中には、良かったこと、悪かったこと、間違ったこと、正しかったこと、いろいろあるわけですね。そういう分析をしないで、とにかく謝れと、あるいはとにかく謝罪しろ、とにかく賠償しろということに対して、とにかくみそもくそも一緒にしたような形で謝罪をするというようなことは、これこそまさに歴史に向き合っていないわけですよ。
だから、歴史に向き合わない
国民に将来はないと、それは立派な言葉です。我々も賛成ですよ。歴史に向き合うんなら、歴史の起こった事象を分析し、どこが間違いか、どこが正しかったかということをやるべきだと思うんですね。それが本当の歴史
認識であって、
政治的プロパガンダによる批判には屈しないできちっとした歴史
認識を堂々とやるということが歴史に向き合うことだと思いますので、どうかそのつもりで今後の
安倍談話にも反映させていただきたいと、このように思っております。
それから次に、もう
一つ具体的な問題で
安倍政権の姿勢が問われるものに、やっぱり尖閣諸島の問題があると思うんですね。
前回の
質疑におきまして非常にはっきりしたことを答弁なさって、これは非常に良かったと思う。
一つは、仮に尖閣諸島に中国船が迫って、上陸をされた場合はどうするかと。これは実力をもって排除するのは当然ですと、こうおっしゃった。これは明確な答えであって、この一言によってどれだけ
日本国民が奮い立ったか、あるいは、当たり前だと、当たり前のことを堂々と言ってくれたということで自信を持ったか、計り知れない力があるわけですよ。そこは
是非、我々共々、今後ともそういう姿勢を貫いていただきたい。
ただ、もう一点、上陸はしないけれども、多数の船が取り囲んでしまって出ていかなくなった場合。これは、現
政権としてできるだけそういうことがないように努力されているのはよく分かります。しかし、実際問題として、数百隻が取り巻いてしまって出ていかない事態が起こったときにどうするかと。
これは厄介な問題になると思うんですよ。そうして、一か月後に実効支配が確立したという宣言をしたような場合は、これは当然そういう事態に至らせては困るんでありますけれども、そういう事態に至らせないためにも、長期間滞留する、領海内に、出ていかないと、こういうことに対してはやはりきちっとした対抗措置をとるべきだと思うんですね。
一つは、国際法では、
総理も御存じかと思いますけれども、無害通航権というのがありますから、領海を通航することはできます。しかし、通航目的ではなくて、滞在してしまう、あるいはある目的を持って動かないと、こういう場合は、これは領海侵犯です、はっきり言って。その場合は、国際法上も攻撃する
権利があると思います。認められておると思います。ただ、国内法的には、領海侵犯罪というのが刑法なりその他特別法ではっきりと決められていない国内法上の問題はありますけれども、やはり長期間滞留するような場合に対しては強制接岸排除、それでも無理な場合は
一つの攻撃をするということは当然の
選択肢だと思うんですけれども、私はそう思うんですけれども。
これを考えたときに、一九八二年でしたか、フォークランド紛争というのがございました、アルゼンチンとイギリスの間でですね。アルゼンチン軍は、領土の帰属をもって争いがあったフォークランドに軍を派遣して占拠したと。これに対して、新しく
政権に就いたサッチャー氏が、宣戦布告をした上で、飛行機それから船、たしか原子力空母まで出したと思うんですけれども、そうやって毅然としたイギリスの領土だということを示してそれを奪還したと、こういう
事例がございます。
一つのエピソードでございますけれども、やはり、遠く離れたたった
一つの小さな島であっても、領土を守り抜くんだという気概を最高責任者が示すということでイギリス
国民は奮い立ち、国家の尊厳が保たれたわけであります。これは、争いはできるだけ穏便にしようということでほっておけば、あるいは竹島のようになっていたかも分かりません。
こういう意味で、国の最高責任者がたった一粒の領土であっても命を懸けても守り抜くという決意を明確に示すということは、どれだけ我々を勇気付けるか、あるいは
日本国民の気概を奮い立たせるか、ここに
是非留意していただいて尖閣問題についても引き続き対応していただきたいと思うんです。
ここで
総理に、じゃ中国戦艦を攻撃するのかと、沈没させるのかという質問をしたとしても、はい、そうしますとはなかなか立場上おっしゃらないと思いますけれども、私の言いたいところはそこでございますから、極めて、そういう信念を持って
行動していただきたいと。そうじゃないと、やっぱりたった
一つの小さな島でも守れないと。それは単なる不動産の問題じゃなくて、やっぱり国土、領土、
国民の生命、安全、領土を守るという一番大事な最高責任者の責務にかかわることであります。
思い出しますけれども、ニクソンとケネディが大統領選を争ったときに、これはニクソンでありましたけれども、やっぱり領土に関しては、たった一粒のアメリカの領土であっても、これは単に広さの問題じゃないんだと、アメリカ全体の
国民の問題なんだということを高らかに議論をやっていましたけれども、それを思い出しましたけれども。
是非、尖閣諸島に関しては、
日本人のあるいは
日本国家の命運と言ったらあれですけれども、気概が全て懸かっているという決意で断固として処置していただきたい。まさに中国は、東シナ海、南シナ海全てに対して今そういう一種の拡張
政策を取っております。そしてまた、その中で
日本の気概を試そうとしているんだと私は思います。ですから、その試されているんだということを自覚する以上は、毅然とした態度を取るということ以外にそれを防ぎようがない、それがあればやっぱり侵略はできないと、私はそう確信しておりますので、どうかそういう決意で臨んでいただきたいと思います。
それから、
日本は決して戦争を好む国家でもなくて、気概を持った平和国家だと思うんですね。その点について
一つお話ししたいと思うんですけれども、例えば六百七年、聖徳太子が隋の皇帝に遣隋使を派遣しました。そのときに国書に、日出るところの天子、書を日没するところの天子に致す、つつがなしや否やと、こう書いてあるんですね。これは、これを見て隋の煬帝は怒ったと。これは、日が昇る沈むに怒ったんじゃなくて、
日本の天子、
日本が勝手に天子を名のっていると、俺が認めていないのに勝手に天子と言っていると、この点について怒ったんですよ。しかし、これはまさに聖徳太子が
日本の、当時
日本と言ったかどうかは別にしましてですよ、
日本の、
日本人の気概を示しているんですね。東方のちっちゃな国が隋皇帝に対して、日出るところの天子であると、この気概なんですよ。
しかし、聖徳太子は同時に十七条の憲法、まさに憲法でございますけれども、発布しております。これは、第一条に分かりますように、和をもって貴しとなすと。まさにそれが第一条なんですよ。第一条、決して好戦的なものではない。しかも、第十七条、一条と十七条が非常に大事です、十七条は、十七にいわく、それ事は独り定むべからず、必ず衆とともにあげつらうべし。要するに、独断専行はいかぬよと、必ず民衆、大衆、あるいは下の者と協議して事を決しなきゃいかぬと。まさにこれは独裁者の発想と全く違うんです。こういう思想は中国には全くないんですよ。これは、上と下が相和らぎ
一つになるという発想なんですね。これはまさに今でいう民主主義ですよ。そして平和主義なんですね、第一条、十七条、民主的に平和主義と、これはもう聖徳太子のころからこうなんですよ。そしてこれは、奇しくも明治維新のころの発布された五箇条の御誓文、国是とされた五箇条の御誓文にも、第一が万機公論に決すべしと、こういうふうに述べられている。
見ますと、
日本というのは非常に民主的な国であって、そもそも平和主義なんですよ、
日本人の、きちっとしておる。これがまさに
日本人の気概なんですよ。こういう気概を持って世界に堂々とアピールするということが大事であって、決して他国が騒いだからといって、みそもくそも混ぜこぜに、ごめんなさい、悪うございましたとか
反省するというのは、これこそいいかげんな態度なんですよ。そこがまさに戦後六十年、あるいは六十五年、
日本がおろそかにしてきたことじゃないかと私は思うんですね。
だから、今後、外交
政策をするに当たってこういう気概というものが非常に大事だと思うんですけれども、
外務大臣、どのようにお考えでしょうか。