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公述人(中村慶久君)
岩手県立
大学の
学長の中村でございます。よろしくどうぞお願いいたします。
まず冒頭に、本学に対しまして、
大学等における
地域復興のためのセンター的機能
整備事業、これで御
支援をいただきまして、いろいろな活動をさせていただきました。改めて御礼を申し上げたいと思います。
お
手元に本学の
大学案内がございますが、本学は四学部、それから
盛岡と
宮古の二短大部から成ります
学生数二千五百名の
大学でございます。お
手元の、多分、もしかしたら袋の中にございますかもしれませんが、そういう比較的小ぢんまりとしたといいますか、
学生がよく見える
大学でございますので、本日は、特に
学生の
復興支援活動、大変目覚ましいものがございましたし、それを通じて大変
学生の成長というのが非常によく見えたということがございましたので、その点について御
報告をさせていただきたいというふうに思っております。
お
手元のこの資料に沿って御説明をさせていただきます。
一枚めくっていただきまして、PDF、PDFというかパワーポイントの図面がここに張り付けてございますけれども、一枚目の隅っこの方にページ数が入っておりますけれども、その一ページ目のところの下に書いておりますが、私も、
復興後できるだけ早くということでございましたが、四月の五、七、八ですか、七日にはま
たちょっと大きな余震があった日でございましたけれども、
被災地十一市町村回らせていただきまして、首長さんにお見舞いを申し上げたり、今後本学が何ができるかということでいろいろとお話をさせていただきました。その際、大変すごい
被害にショックを受けまして、これは県立
大学として、どこをもって
復興と言っていいか分からないけれども、長期にわたってしっかりと
支援をしていく必要があると、あらゆる
努力を傾けていく必要があるなということを実感をいたしました。
その後、少し書いてございますが、初めに本学としてどういうことをやったかということを簡単にお話をさせていただいた後、
学生たちの
取組について御説明をさせていただきますが、七ページを御覧いただきますと、
被災された
学生への
支援について書いております。授業料、入学金の
支援をいたしまして、初年度では入学金が四十六名ですか、それから授業料が二百七十名ですか、次年度、
平成二十四年度も同じぐらいの
支援をしております。今年度もそれを続けていく予定でございます。
それから、その下にございますように、震災特別入試、
経済的に非常に困って進学を諦めようとする高校生がいるということを校長先生のお話からも伺いまして、本学としては推薦入試、特別入試をやろうということで、これも実行させていただいております。二年度にわたって合わせて四十数名、来年度入学の
学生についても行う予定でございます。
それから、本学としては十ページにございますような全学的な
復興支援体制を震災直後に取りました。
一つは、各学部が自発的に
復興支援、教員を中心に当たるということもございましたし、それから、
大学としては
災害復興支援センターを発足させまして、組織的にいろいろなところに
復興支援に出かけていくということを行いましたし、それからもう
一つは、
地域政策研究センターというのをたまたま、元々この年につくる、二十三年度につくる予定でございましたが、震災がございましたのでこれを急ぎまして、ここで
復興研究を専らやろうと、長期にわたっていろんな調査をしたり提言ができるような研究をやっていこうということで、こういうものを設置いたしました。それから、それとは別に
学生たちがもう震災直後から動き始めたという事実がございます。
次のページの十一ページの頭の方に、これはいろいろな活動をずっと書いております。これは後で少し詳しくお話をさせていただきたいと思っておりますが、その下の十二ページ、十三ページ、十四ページは、各学部の教員が自発的に
被災地に赴いて
学生と一緒に、あるいは教員個人でいろいろな活動をしたものを列記したものでございます。
特に、十二ページの下の方に、ソフトウェア情報学部でございますが、ここは、まだ通信が途絶えて、非常に本校としても
宮古にある短大部と連絡が取れなくて大変心配した時期が一週間近くございましたけれども、本学の教員が
被災地に出かけまして、衛星通信を使ったりして何とか少しでも連絡が取れるように回線をつくろうということで
努力をいたしまして、これは今でも時々、
被災地に行きますと
感謝されているところでございます。
それから、十五ページに
災害復興支援センターの
取組について書いておりますが、その代表的なところは、
一つはボランティアバスを運行いたしまして、全学的な教員、あるいは
学生の中でボランティアを一生懸命ボランティアセンターを中心にやっている
学生とそれ以外の一般的な
学生、それから教職員をこのボランティアセンターで
被災地に運びましてボランティア活動をしたということ。
それからもう
一つは、オハイオ
大学、これは
日本に留
学生等が来ているそうでございますが、
岩手県ともある程度交流のあった
大学でございますが、特に本学の短期
大学部の先生方との交流がございまして、そこを中心にここに
学生を派遣していただく、それから向こうから副
学長先生とか学部長先生とかそういう
方々も来られて、今年もやる予定でございますが、より連携を強くしていこうと。これは
被災復興支援ということから始めた交流でございますけれども、今後は
大学間のもっと教育面あるいは研究面での交流にでも発展していければいいなという議論もしているようなところまで発展しているような活動でございました。
それから、その隣の十七、十八ページには
地域政策研究センターでの活動について書かせていただいています。その次のページの十九、二十にはそこで取り扱っております研究テーマについて書いています。この中身は詳しくはお話を申し上げませんけれども、本学は、総合政策学部、それから社会福祉学部、それから看護学部、それからソフトウェア情報学部、それに短大が二つあるということで、いろんなそういう立場からの先生方がテーマを出しまして、
地域の
方々と連携しながらこういうことを今進めているところでございまして、ある程度成果が出次第、いろんな発表会をやらせていただいたり、あるいはいろんな提言をさせていただこうということで今進めているところでございます。
今までが大体の全学的な
復興支援活動でございますが、二十一ページからは
学生の活動について特にここではお話をさせていただきたいと思っておりました。
本学は、
学生ボランティアセンターというのが二〇〇八年にもう既にできておりました。それは、中越地震ですか、中越沖地震ですかね、あの辺のところから本学の教員の指導でボランティア活動が始まりまして、それがたまたま二〇〇八年に、本学としてはボランティアセンターとして場所を提供して、そこで
学生たちが自主的に活動できるような場を与えていたわけですが、そういうそこでいろいろな活動をやっていた
学生が、今度、発災した直後、当時はメーンの、主に動いていた
学生たちがフィリピンへ井戸掘りに行っていまして、現地で、物すごい地震で
津波の
被害を受けたということがあって、帰れなくて大分何かしなきゃいけないという思いで焦っていたという話も後に聞きましたけれども、ただ、残っている
学生たちがやっぱり何かしたいという思いでありました。ただ、やはり教員からしますと、発災後すぐ出かけるとやっぱりいろいろと問題が出てくる可能性があるし、誰も責任が取れないというような御発言もございまして、責任者が現地から帰ってくるまで待ちました。責任者と連携を取りながら、それでも三月の二十一日ごろからはもう現地に行きまして、陸前高田でいろいろなボランティア活動に来られる方とのマッチングを取ったり、いろいろなコーディネーター活動から始まったわけでございます。
その後、その下に書いておりますようにいろんな活動をしておりましたけれども、やっぱり公立
大学のいろんな
学長先生から私どもの方にも、
学生たちが
復興支援でボランティア活動をしたがっているんだけれども、とても
学長としては安心して出せないと、誰か面倒を見てくれるのがいないかと、おたくではボランティアセンターがあるそうだけど何とか援助してもらえないかというお話もございましたり、それから、ボランティアセンターの
学生たちあるいは指導している教員との間のいろいろなそれまでのお付き合いの中から
是非岩手で
復興支援をしたいという
学生たちのネットワークができてまいりまして、そういうのがだんだん大きくなっていって、そこの二十一ページの真ん中辺の四月二十七日から五月八日と書いてありますが、いわてGINGA―NETプロジェクトというのがこのときに動き出し始めました。
これが我々のボランティアセンターの中心的な活動、いわてGINGA―NETプロジェクトということで全国的にも有名になっておりますが、そこを中心に二十三年度は、その下の二十二ページにございますように、夏休み、冬休み、春休みにいろんな
大学から、公立だけではございません、私立も国立も含めて、特に二十三年度の夏は百四十七
大学から一千名以上の
学生が週替わりで参りまして、住田町を中心に陸前高田あるいは釜石、あるいは大槌、そういったところの
復興活動、
支援活動に入ったわけでございます。そういうこともありまして、このときに
政府からいろいろな補助をいただいて、より良く、より活動しやすい環境をつくっていただいたということで大変
感謝申し上げている次第でございます。そのとき中心的に活動した本学の
学生が中心となって、卒業後、
NPOのGINGA―NETというのをつくりまして、これが
学生たちの活動を側面から支えてくれているという
状況になっております。
それから、二十三ページは同じく二十四年度のその活動が現在も継続しているということで書かせていただいておりますが、これは公立
大学協会としても
学生の自主的な活動として大変高く評価していただいておりまして、公大協としての後援、御後援といいますか連携をいただきまして、昨年の秋、静岡
大学で
学長会議がありましたときに、そこで
学生たちに、活動している
学生たち、全国から集まってもらいまして、
学長会議とその
学生たちの
報告会とを並行してやって、非常に私どもは、
学生ってこんなにやるんだと、あるいはこんなにも、行動するだけじゃなくて、それをいかに自分
たちがきちっと整理して発表する力もあるんだということをまざまざと、それまでは余り感じなかったところをその場で見せられまして、
学長先生
たちもみんな大変感動いたしまして、これは我々協会として全
学長が支えていこうということになりまして、実は今年の夏もこの
岩手県立
大学で公立
大学の全国
学生大会、これは
支援活動と防災をテーマにやろう。先生方も御承知だと思いますけれども、公立
大学の中には愛知あるいは四国の高知とかいろんなところにやっぱり、これからもしかしたらという
地域の
大学がたくさん入っておるものですから、
岩手での経験を生かしていこうということで、いろんな形で大変積極的にやっていただきまして、この十月には併せて
学長会議もやるということで、また
学生たちとともにそういう側面からの
復興支援活動と、それから今後の防災に向けての活動をやっていこうというふうなことになってございます。
それから、下の二十四ページにございますが、そこは同じ
学生活動でも、もうちょっとこれからの問題として
学習支援をもっとやる必要があるのではないかということで、これも同じボランティアの別なグループとして
復興支援、こういう形でやってもらっております。これは主にボランティアセンターとして、集まっている
学生たちの活動でございますが、それ以外にも、ちょっとその次の二十五ページにございますように、
宮古短期
大学部の
学生たちの
支援活動、これはまさに
被災地そのものでございますので、当初から大変熱心にいろいろ
地元の社会福祉
協議会と連携を取りながらやっていただきました。
それから、その下にあります、
復興ガールズというのがございますが、これは実は本学で就業力育成
支援事業という、これは仕分でなくなってしまいましたけれども、
最初それを受けましたときに始めたEプロジェクトという、
学生が自発的にテーマを出して、それを基に何か活動を
支援していこうということを事業としてやっていたんですが、その中に、
学生たちが震災直後
復興ガールズというのを、総合政策学部の
学生、女子
学生ですが九名で結成いたしまして、これは沿岸部の
被災した企業を
支援しようと。その製品を売るとか、あるいは自分
たちでいろいろ提案をして製品作りをお手伝いしよう、それを売ろうということで始まったものでございます。そういった活動がございます。それから看護学部の活動とか、こういったことがいろいろやってまいりまして、
学生たちの活動というのが非常に大きな
岩手の
復興の支えになっていると。これは多分、
岩手だけではなくて全学的にもそういうことになるのではないかということを大変感じました。
岩手は広うございますので、私ども、
宮古に行くのも片道二時間、下手すると往復五時間ぐらい掛かりますから、その
復興支援活動をどうやって円滑に効率よくやるかというのが
一つの大きな頭の痛いところでございますけれども、今後ともこの輪を全学的に広げていきたい。やっぱり一部の
学生だけではどうしても教育的にもあれですので、もっといろんな
学生にやらせたいですし、それから全国からのいろんな連携も取りながらやっていきたいというふうに思っておりますので、そういうことを目指しておりますので、今後ともいろいろ御
支援をいただければ有り難いなということを申し上げまして、私からの御
報告とさせていただきます。
どうもありがとうございました。