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鴻池祥肇君 ただいまは、
院議をもちまして
在職二十五年の
表彰を賜りましたこと、身に余る光栄と心から御礼を申し上げる次第であります。
また、敬愛する
輿石先生より、御丁重な御祝辞をいただき、誠にありがとうございました。
輿石先生とは、お互いに
国会対策委員長時代が長く、その間、
党派を超えて
信頼関係を築いていただいたものと今も確信するところでございます。今もお話がございましたように、ある豪雨の深夜、路地の屋台で冷や酒を飲みながら、問題山積する明日からの
国会運営について、知恵を出し合い御
指導をいただいたこと、忘れ得ぬ思い出の一つでございます。
さて、私は、
昭和五十八年暮れの総
選挙に自らの不明を顧みず出馬をいたしました。そのときは中
選挙区
兵庫二区であり、
原健三郎先生を始め、
永田亮一、
土井たか子、
岡本富夫、
堀昌雄先生と、そうそうたる
政治家であり極めて強豪。もちろん初戦は敗退を余儀なくされました。後に
原健三郎先生は
在職五十年の
表彰を受けておられます。私はまだ半分であります。
そして、次なる
選挙は、
昭和六十一年七月六日、衆参同日
選挙となり、十一万一千十三票をいただき、初
当選を果たさせていただいたのであります。四十五歳のときでありました。
私は、笑わぬ殿下と異名のある
河本敏夫先生に御
指導をいただいてまいりました。
河本先生の
政治哲学、その流れは、遡ること
昭和十五年の二月、
衆議院本
会議における
粛軍演説によって
議員を罷免されました同じく
郷土兵庫県の大
先輩、
斎藤隆夫先生の
反骨精神を受け継いでおられ、
政治家は一本のろうそくたれ、周囲を照らしてその身の消え行くことをいとうなとの御
指導を常々いただきました。今もなお、私の座右の銘でございます。
さて、この二十五年間、
防災大臣や
特区担当大臣、院におきましては
予算委員長、
決算委員長、
国旗・
国歌に関する
特別委員長等多くの重任をいただきました。そのいただいたお役目を正しく全うすることが日々これ生涯と思い、粉骨砕身の努力を重ねてまいりました。
しかし、その間に私のささやかな
暴言等でいろいろと世間をお騒がせをすることも少なからずございましたが、その折にも、
先輩、同僚の
皆様方の温かい御寛容と御高配をいただきました。この際、心から感謝をし、
お礼を申し上げる次第であります。
これよりは、天命に謙虚に接しながら、自ら選んでまいりましたこの人生、迷うことなく、ぶれずおもねず、これからも進んでまいる覚悟でございます。
これまで長い年月御支援をいただいてまいりました
兵庫県民の
皆様始め諸
先輩方に厚く
お礼を申し上げ、この上ともの御
指導と御交誼のほど、心よりお願いを申し上げる次第でございます。
ありがとうございました。(
拍手)
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