○真山
勇一君
現実的にはやっぱりまだ
スタートしたばかりということで、場合によってはこのぐらいの数字でもやむを得ないかな、これからどういうふうにできるかなというふうにむしろ期待を掛けた方がいいというふうに私も今理解をいたしました。どうもありがとうございます。
ただ、やはり法律というのは、私もそうなんですが、専門外、素人にとっては大変苦手意識というのが強いと思うんですね。やはりこれから
学校の現場で、先生そして
生徒にこの法
教育、つまり法というものの
意味を
考えるということは大変難しくて、実際に始めても、
法務省と
学校の現場、
法務省の法の専門の方はいいんでしょうけれども、やはり
学校になると、そう法律に詳しいわけじゃない先生と、そしてそれを
生徒が教わるということなんで、今おっしゃったように教材ですとか、それから先生の研修会とかやっぱり大変で、その辺りを今後やはりどう埋めていくかということがこの法
教育の成否に私は懸かってくるのではないかというような気がしております。
法務省の研究会も、法的な物の
考え方を身に付けることが法
教育だというふうに言っておるわけですけれども、
学校でこういうことをやるというのは私も大賛成で、司法の仕組みですとか働き、こうしたものを学ぶということは大変大事な、今の社会にとって大事だと思うんですけれども、
一つは、申し上げたように、法律というのはやはり素人にとっては難しい、なかなかなじみがない、苦手だという、そういうところがあると思いますので、例えば、
学校の中で子供
たちに易しく法
教育というのをやっていく上で、やはり工夫とかやり方が必要になってくるんじゃないかというふうに思っているんですね。
例えば、
法務省がそういうふうに
考えられているかどうか分かりませんが、やはり法というと、例えば、憲法とは一体どんなものだろうかというようなことがよく現場では
教育の中で出てきてしまうんですけれども、そういうものがいきなり出てきて、学ぶ前に、まず子供
たちにとっては、法律とまではいかなくても守らなくちゃいけないことがお互いにある、それが
学校での共同
生活の中でのルールだったり決まりだったりというわけですね。そういうものをみんなで、
自分たちで作って、そして
自分たちで守るというような、そういう法
教育のやり方というのも
一つあるんではないか。教材を作るのもいいけれども、実際に法律を身近に子供
たちに感じてもらうために、
自分たちで法律って何だろう、ルールって何だろうということを
考えさせて、そして、それを
自分たちの手で守るべきルールを作って、そして守ろうじゃないか、守れなかったらどうするんだというような、そういう
教育、法
教育というのもいいんではないかなというふうに私自身思っております。
今の
法務省が作られた教材なども見させていただいたのですが、現在での
学校での法
教育のやり方というのが、やはりどちらかというと、そういう教室で教わる、教えるみたいなことが強くて、やっぱり子供
たち自身が
自分で
考えて、そして作った法律、言わばルールを、
学校内の例えばルールを
自分たちで使ってみるという、そんなシステムを
学校で是非つくっていっていただけるといいんではないか。
今、道徳
教育というのをまた今言われておりますけれども、道徳
教育というとちょっとやっぱりいかめしいし、いろいろ抵抗もある部分もあるんではないかというふうに私思うんですが。やはり私
たちの社会をスムーズに行かせるために法律が必要なんだよ、
学校で友達と一緒にいる君
たちにとってはルールが必要なんだよということで、そういうルールを教えていくシステムを構築する、そういうことが必要じゃないかということなんで、私は、これは逆に言うと、今問題になっているいじめですとか体罰にも非常に有効ではないかというふうに思っているんですね。
今、いじめ、体罰という問題が出てくると、
学校の問題ですとか、それから家庭の問題ですとか、
教育委員会の問題ですとか、それから
法務省の
人権擁護局というようなことが出てきますが、いじめている本人、いじめられている本人、そういうものの視点のところがやっぱりどうしても抜け落ちているような気がする。それをこの法
教育で、
自分がいじめられたらどうなるの、だから、いじめないようにするためのルールというのはどういうふうに作ったらいいんだろうかというようなことを、
学校の現場で是非、法
教育ということで
法務省がやっていただけると、応用できるんじゃないかと思うんですが。
ちょっと長くなってしまったんですが、つまりそういうことで、少し法
教育を子供
たちに実際に使ってもらうシステム構築ということで、例えばこういう今御提案したようなことは、いかが
谷垣大臣はお
考えでしょうか。