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石川博崇君 ありがとうございます。
特に、
浜田副
大臣を始め、今
現地常駐化
体制をしいていただいていることは
復興の
加速化に大きく寄与しているものと
認識をしております。もちろん、まだまだあの発災当時から全く光景が変わっていないような
状況、あるいは非常にメンタル面での、心が折れつつあるような
被災者の
方々、そういった非常に大きな
課題、山積でございますが、今後とも
復興の
加速化に向けて全力を挙げていただきたいというふうに切に
お願いを申し上げる次第でございます。
私ども公明党は、あの発災当初から、
被災地、非常に広域でございますけれども、その広域の
被災地の市町村、それぞれ担当の議員を付けさせていただいておりまして、当然、
被災地ごとに置かれている
状況、異なります。
被害の
状況も異なれば復旧
復興のスピードも異なる。さらには、将来の町づくりについての考え方、都市部であるか、あるいは農村部であるか、沿岸部であるか、沿岸部であっても沿岸漁業
中心の町であるか、あるいは遠洋漁業
中心の町であるか、それぞれ
状況、
課題、あるいは不安の声も異なる中で、そうしたきめ細やかに各市町村に
対応できるようにと担当を付けさせていただいて、私自身は宮城県の石巻市、そして東松島市、女川町を担当させていただいております。
ずっとその担当させていただいている市を
中心に訪問させていただいておりまして、実は先般も石巻市、東松島市、女川町に行ってまいりました。政権が替わり、
復興加速化が最優先
課題と位置付けて、
現地常駐
体制もしいて動き出してからどのように変わってきたのかなということを見させていただくのが最優先の
課題だったんですが、
現地に行って、やはり、ああ、
復興が少しずつ歯車がかみ合い出してきたなということを実感をさせていただきました。
東松島の市長さんにもお会いし、女川町の町長さんにもお会いをいたしましたが、これまで余り聞くことのできなかった
復興の進捗
状況、
復興庁との協議が前向きに進んでいる、そういったお話も
伺いましたし、あるいは、
復興庁の役所の役人の
方々がよくこっちに足を運んでくれるようになりましたとか、そういった話もお聞かせいただくことができて、やはり、こうした常駐
体制を組んで、
現地と県、あるいは市町村と一体となって進んでいただいている、そのことに非常に勇気付けられた次第でございます。
その中で、非常に大きく、何というか、
復興の
加速化が私自身が感じられた点、二つほど今日は御紹介をさせていただきたいというふうに
思います。
今申し上げました宮城県に、東松島市に行かせていただいたときに、東松島市の野蒜という
地域がございます。そこには東名運河という運河が流れておりまして、これは松島湾とそれから鳴瀬川をつなぐ運河でございます。松島湾、御案内のとおり、日本三景の
一つとして非常に風光明媚な
地域でございますが、なかなか観光客が戻ってこないとか、様々な悩みもある
状況でございます。
その東名運河というのは、実は松島湾側に水門があり、そして鳴瀬川側にも水門があります。その両方の水門の開閉によって水を出し入れをして、そのときそのときの潮位に合わせて水量を調整しているという運河なんですが、震災によって地盤沈下が起きまして、一メーター四十センチ近く落ちております。そのために、今、水門を開けると沈下したところから水が溢水してしまって町中に水が入ってしまうので、ずっと水門を閉じっ放しの
状況がこの二年間続いてまいりました。
現地の方は非常に困っていらっしゃいまして、水門が閉じっ放しなものですから、水が流れず水が汚濁して、水質が悪化して悪臭が漂う、何とかこの水門の管理の
状況、早く立ち上げてもらえないかという切実なお声がございました。
しかし、残念ながら、水門は片っ方は国の管理、片っ方は県の管理ということで、一緒に協議をする場というのがなかったものですから、これをまず最初に、国、県合わせて、その両方の水門、それぞれ管轄はもちろん違うんですけれども、その東名運河という意味では同じなので、
地域の住民の方も入れて協議をすべきではないかということを戻りましてすぐ
国交省に要請をいたしましたところ、直ちに動いてくれまして、
現地で
関係者、漁業
関係者も合わせて協議会を開催をしてくれました。
打てば響くようになったなということを感じさせたそれが
一つの事例でございますが、これについて、
国交省、
現状報告を
お願いできますでしょうか。